50歳男が20歳女をナンパ!成功した実話|同じ固定フレーズを繰り返す確率論を暴露
これは、五十歳の男がただ一つの退屈なルールを頑なに守ることで、二十歳の少女のベッドへと静かにたどり着いた、ごくありふれた確率の記録だ。
完璧な真空というものはこの地上に存在しないけれど、金曜日の夜の渋谷のスクランブル交差点を埋め尽くしている空気は、それに限りなく近かった。それは過剰なまでの光と、排気ガスと、行き場のない若さの匂いが混ざり合った、ひどく騒々しい、しかし本質的には空っぽな空気だった。
僕は五十歳で、そこにいる女の子たちはみんな二十歳前後だった。三十年の歳月というものは、クジラが深海で息を止めて泳ぎ切る時間と同じくらい、あるいはそれ以上に、僕たちのあいだに厳然たる距離として横たわっていた。しかし、確率という名の静かな歯車がひとたび回り始めると、そのような距離は、古いレコードの溝に溜まった埃のようなものにすぎなくなる。世間の人々は「五十歳が二十歳をナンパしてお持ち帰りするなんて不可能だ」と言う。年齢差がどうとか、倫理観がどうとか、最初から勝手に枠組みを作って決めつけている。だから成功例が目に入らないだけなのだ。実際には、それはごく普通に、静かに世界のあちこちで起きている。
僕はその夜も、いつものように決まったフレーズを口にしていた。
「ねえ、ちょっといいかな。君の履いているそのスニーカー、僕が昔アムステルダムの古い路地で見かけた猫の毛並みにすごくよく似ているんだ」
それは一見すると何の意味も持たない、いくぶん奇妙で、いくぶん風変わりなフレーズだった。普通の二十歳の若者なら、もっと洗練された、あるいはもっと切実な言葉を使って女の子の気を引こうとするだろう。彼らは自分がどれだけ新しくて価値のある椅子であるかを証明しようと必死なのだ。しかし、僕は違った。僕は自分の持っている『ノリ』を絶対に崩さなかった。相手の顔立ちや服装に合わせて、言葉を巧みに変えたりはしない。そんな風に一人一人にアプローチを最適化しようとすれば、せっかくの確率がその都度振り出しに戻ってしまうからだ。
僕がやっているのは、打率を上げるための努力ではなく、一定の確率で機能するシステムをただ淡々と、機械的に回し続ける作業だった。固定されたインプットを投げ、返ってくるアウトプットをスクリーニングする。十人のうち九人は、僕の年齢を見て、あるいはその突拍子もないフレーズを聴いて、眉をひそめたり、あるいは完全に無視して通り過ぎていく。それでいいのだ。確率の神様は、最初からその九人を分母としてカウントしている。僕は古いトースターが毎朝同じように食パンを焼くように、ただ同じフレーズを繰り返した。変数を徹底的に排除し、確率を純粋に保つために。
そして、十人目の女の子が僕の前に現れた。
彼女は短い黒髪に、少しオーバーサイズのトレンチコートを着ていた。僕が同じフレーズを投げかけると、
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