「あなたとは一緒に働きたくない」と言われた季節が、今年もやってきた
「あなたとは一緒に働きたくありません」
そう言われたのは、医療事務での面接のことだった。
そこは個人病院の皮膚科で、週3回以上働けるアルバイトを募集していた。
通信講座で医療事務の資格を取った私は、満を持して応募したのだ。
23歳の私を面接してくれたのは、院長の女医さんだった。
美容皮膚科も併設しているだけあって、華やかで上品で、肌には毛穴ひとつなかった。
きれいだなと見とれていると、私の履歴書に目を通した院長から、どうして大学を退学したのか質問された。
それについては聞かれると思ったので、家で何度も練習してきた。
大学3年生の時に
免疫異常の病気になったこと。
それで大学を休学したこと。
治療は順調だったが、再発して、
退学したこと。
入院中に通信講座で
医療事務の資格を取ったこと。
最近は体調が安定していること。
もう薬は飲んでいないこと。
週4回働けること。
主治医にも許可を得ていること。
医療事務にやりがいを感じていること。
通信講座が5万円したことは黙っておいた。
久しぶりに接する外の世界にドギマギしながらも、このチャンスを逃したくない一心で、私は院長の目を見ながら喋った。
ふっと院長が視線を逸らす。
その瞬間空気が一変した。
「退学した理由は分かりました。ただ、どんな理由であれ、途中でなにかを投げ出す人とは一緒に働きたくありません。お引き取りください」
分かってほしかったわけではない。
というのは強がりだ。本当は少し期待していた。医療の現場だからなおさら。
「辛い治療をよく頑張りましたね」とか「回復して良かったですね」という言葉を。
その先にある「一緒に働いてみましょうか」という一筋の光を。
しかし、私は不採用だった。
面接がはじまる前に、合否については後日連絡しますと言われたばかりだったが、それを直ぐに撤回したくなるくらい、即決だった。
不採用なのは仕方ない。医師であるからこそ、爆弾を抱える人と働くリスクが頭をよぎったのかも知れない。
だとしたら、どこかからコピペしてきたような、当たり障りのない定型文で断ってほしかった。それだったらこちらも、この結果は誰にでも起こりうることで、今回はたまたまご縁がなかっただけだと、受け流せたかもしれない。
しかし、私がもらった院長の言葉には、心がこもりすぎていた。
病院を出ると、真新しいスーツに身を包んだ若者たちとすれ違った。
そういえば昨日のニュースで入社式の映像が流れていた。
私はいつそのレールから外れてしまったのだろうか。
嗚咽している姿を誰にも見られたくなくて、家路を急いだ。
誰よりも、私が一番、大学を中退した自分を許せなかった。
その日以来、家にも殻にも閉じこもるようになった。
前途多幸な若者なら、次もあるさ、と跳ね返せたかもしれないが、前途を見失っている私に「一緒に働きたくない」という言葉は荷が重すぎた。
それはどんどん浸食していき、外に出ることも、知らない人に会うことも、ハッピーエンドを夢みることもなくなっていった。
1年経っただろうか。ニート生活を謳歌していない私に、友人が電話をかけてきた。
「知り合いの会社が、スタッフを募集しているけど働かない?」
自信がなかった。恐ろしかった。もうたくさんだと思った。夢を見ることも。拒否されることも。
断る言葉を探していると「社長、変わっているけど、おもしろい人だよ。会うだけ会ってみたら?」と粘られた。
そんなに言ってくれるなら。
重すぎて持て余していた腰をようやく上げた。
「大学退学しているの?」
面接開始早々、社長から突っ込まれた。
やっぱりそうですよね。
そこは避けて通れないですよね。
毛穴ひとつない肌がフラッシュバックする。
はい、そうなんです。本当に情けない話で。
縮こまる私に思いがけない言葉が降ってきた。
「僕も、大学を中退しているんだよ」
え?
顔を上げたら、社長と目が合った。
怒っていない。蔑んでいない。呆れてもいない。かくれんぼで、かくれていた人を見つけたみたいに笑っている。
社長は、大学時代に演劇サークルに夢中になり、単位を落として退学したらしい。
「でもまた勉強がしたくなって、今、通信大学に通っているの」
手品の種明かしをするように、嬉しそうに大学のパンフレットを見せてくれた。
そこには夢にまで見たキャンパスライフが広がっていた。
「大人になってから学ぶのも楽しいよ。
生活が落ち着いたら、君も大学に復学したら良いよ」
頷くのが精一杯だった。
声を出したら溢れてしまいそうだった。
そのあとも、社長のキャンパスライフの話は続いた。今回はイケイケのテニスサークルに入ったらしい。
ところで私は採用していただけるのでしょうか。大事なことを聞きそびれていたら、社長に「来週からよろしくね」と言われた。
私が就職した会社は、良く言えば自由度が高く、悪く言えば無法地帯だった。
社員はかろうじて数人いるが、部長や係長など役職についている人はおらず、みんな自分の生活スタイルに合わせて働いていた。
週5で働くパートもいるし、月に1回だけのアルバイトもいた。何年も顔を出さないヘルプもいて、一度も助けられたことはない。
ネイルがとんがりコーンでメールが打てない人もいたし、全身ヒョウ柄で見せつけてくる人もいた。
最初はその雰囲気に圧倒されたが、私も元来のAB型を発揮し、すぐに馴染んでいった。
そんな会社を統括しているのが社長だ。まともなわけがない。
差し入れしてくれるお菓子は賞味期限が切れているし、メールをしても返信はこないし、電話をかけるとたいてい電波の届かないところにいる。コピー機の中に大事な資料を残して打ち合わせに出かけるし、このあいだは財布が入ったカバンを会社にまるごとおいて帰っていった。翌日、財布がなかったから2時間歩いて帰ったよとドヤっていた。
「社長、変わっている」どころか、変わりすぎだろう。
それでも、私が大学へ復学したいと社長へ相談した時は、こちらが恥ずかしくなるくらい喜んでくれた。
卒業したときは叙々苑の向かい側にある小さな焼肉屋でごちそうしてくれた。
社長のおかげで夫と出会い、結婚もした。
映画ならここでエンドロールが流れ、ハッピーエンドの余韻に包まれるだろう。
しかし、現実はしぶとい。
私の胸は、今でも真新しいスーツの若者とすれ違うと、キリキリと痛みだす。
でも、その痛みは長くは続かない。
あれ?また大事な資料忘れてる。このあと打ち合わせって言ってなかったっけ?ちょっと社長に電話してみて。え?繋がらない?ったく、もうどこにいんのよおおおおおおおおお
と吠える毎日が、私を図太くしてくれたようだ。
もうすぐ入社して15年目になる。
社長は今日も電波の届かないところにいる。
素敵な企画に参加させていただきました。
