黒歴史をシェアする私たちは
四十にもなった私は未だにダーマ神殿を探している。
レベル二十になったら転職できるんじゃなかったっけ。もうそれぐらいにはなってるはず。
蜃気楼の中に私は行けずに、未だに辿り着けない。
私がトトロのメイちゃんみたいに純粋だったなら蜃気楼の街に迷い込めたのだろうか。
ダーマ神殿もどきに着いたと思いきや。
「あなたがなりたいのは、ITスペシャリストですか?それともアナリストですか?」
ちがうよちがう。そうじゃなくて。
私がなりたいのは吟遊詩人か踊り子。
青魔導士も。あ、時魔導士でもいいな。
いや、やっぱり選べるならチート賢者かしら。
あれ?私、レベル二十に行ってませんでしたか?
今の職業、極めてないから転職できない?
私戦士のアビリティ結構ためたはずなんですけど。なんなら遊び人もやってたつもり。
…え?私、今までずっとすっぴんだった?
アビリティポイント、まさかのついてなかったパターンって?嘘でしょう?
えー、あんなに頑張ってクセの強いお客さんともパワハラ上司とも対峙してきたよ?あれもこれも、経験値ついてなかった?
えー ー ー ー ー ー …………。
今この場にいる人間の中で、私だけが唯一彼女の黒歴史を知っている。
それはここで無能として生きる、私のただ一つの優越感にも似た黒ずんだ感情だったのかもしれない。
私は今、一日中数字と睨めっこする仕事をしている。繁忙期は日付が変わるギリギリまで、ブルーライトに映る数式の悪魔と戦っている。見渡せば周りは数字のスペシャリストばかり。営業の最前線にいたはずの私は、いつしかバックオフィスで数字を管理して分析する仕事に携わるようになっていた。
数字なんて好きじゃない。数学は一番苦手だった。適性皆無。見積を作るのさえ嫌だったのに、好きでもない数字と一日中一緒だなんて。
そう思ってはみるものの、シングルで二人の子育て中の思いっきり制約あり社員の私は営業の最前線に戻るだなんてもっと無理なわけで。この不適合の中で生きていくしかないのよ。日々、私はそう自分を慰めている。
突然配属されたこの部署に、彼女はいた。
彼女はもう、十年以上この部署に所属する生き字引。そして、同期入社。
「あ…同期…ですよね…?」
「お久しぶりです…」
初日、お互いに気まずそうに挨拶をする。
同期なんて何百人もいる。その中の二人。未だに知らない同期だってたくさんいる。だけど私たちは内定者の時からお互いを知っている。あの浮かれポンチ時代。「内定者飲み」と称される飲み会にとにかく顔を出していた。大学が近くて、ちょくちょく飲み会で顔を合わせていたけれど、喋った記憶はほとんど無い。所属するコミュニティが絶妙にニアミスだったのだ。
だけどなぜか私たちはFacebookで繋がっている。どっちが申請をしたんだろう。記憶の片隅にすら無い。それでも、彼女は私にとって強烈な印象を残したまさにその人なのである。
ある内定者飲みでのこと。
数十人単位でいつものように居酒屋で飲んでいる。この内定者仲間で飲むのも、もうかれこれ五、六回目ぐらいだっただろうか。その頃、就活で恋が生まれることを「リクラブ」と呼んでいたのだけれど、今調べたら今もその言葉は健在らしい。リクルートラブ。なんて短絡的な呼称だろうか。
当時、売り手市場の年だったのもある。みんな浮足立っていた。リクラブ全盛期(わたし調べ)。しかも、内定者だからもう身の安全は保証されたようなもの。春到来とでも言わんばかりに、内定者カップルが増えていた。誰がカッコいいたら誰が可愛いたら。イケメン三大天、美女四天王、関西神セブン。そんな話ばかり。
「社会を変えたいんです!」
曇りなき眼で語ったあの熱量はどこへやら。
こんな浮かれ姿を見たら、人事部長泣くで?
そんな軽口を叩いて大声で笑いながら、梅田の夜の街で飲んだくれていた。
「はーい、もう出るよー!二次会行く人はこっちー」
幹事の子の声がする。
笑い上戸の私は、その日も散々飲んで笑い散らかした。
「…あー。どうする?二次会行く?」
一番仲の良かった美奈とそんな会話をしていた。
「…あかん。今後ろ振り返ったらあかんで?」
美奈はひそひそ深刻そうな声で言った。
「え?」
酔っ払いの私の脳は意味を咀嚼できない。
後ろをぐるりと振り向く。
テーブルで、男の子と女の子が向かい合って話をしている。…る?
何やらただならぬ空気感。
「好き…です!」
彼女は結構な声量で、告白した。
「ごめん…なさい!」
男の子が断る。
男の子は私もよく知る子だった。
ゴン中山に似た雰囲気の子。
誠実そうでいかにも好青年の彼が、頭を下げた。
その瞬間。彼女は泣いた。ダバーっと。
「なんで…なんでぇ…。
こんなに好きなのに…。
どうしても駄目ですか…?」
食い下がる。
気まずそうに、もう一度、ごめんという彼。
彼女はさらに激しく泣く。
「なんで…。なんで…。お願い…」
彼女は懇願して縋る。
その様子を、脳味噌までアルコールしみしみの私は空気も読まずにガン見してしまった。
「…スゲェ…」
思わず、そう呟いた。
誰かの告白を見たことは何度かある。
それでも、フラれてこんなに食い下がった人を見たことがなかった。
「スゲェ」
感嘆の、その一言しか出なかった。
この余計なオブザーバーは視界の隅にすら入っていないのだ。恥とかプライドとか、そんなの関係ないぐらい好きなんだろうな。
そう思った瞬間、酔いどれの心臓にグッと熱い何かがぶっ刺さって、じんわり何かが噴き出る。
おそらく、である。
今思い返せば、彼女は告白しようと決めていたのだろう。そして、緊張を解そうとするあまり慣れないお酒を煽ってしまったのではないだろうか。彼女はもしかしたら泣き上戸だった説もある。
とにかく私はその時、「スゲェ」を心に刻んだのだ。
私にとっては勇姿である。いや、勇者だ。
でも間違いなく、シラフになった彼女にとっては黒歴史だったはず。
再会した時の私を見た時の気まずそうな感じは、それもあってだと私は思っている。
余計なオブザーバー、ちょっとは視界にチラついた説。
そんな彼女。
二十年近く経って再会した時には、仕事でももはや勇者だった。
誰もが信頼を寄せる数字のプロフェッショナル。他の人が気づかない観点でズバッと斬り込む。桁違いな処理能力の高さと豊富な知識。そして経験に裏打ちされた直感。彼女の「怪しい」は大体当たる。マクロも分析ツールもお茶の子さいさいちょちょいのちょい。実は人間じゃなくてAIだという説すらある。何なんですか、あなたは数字の魔術師なのですか。
「数字は好きなんですよねー。元々数学科ですし」
彼女はふんわり笑いながら言う。
数字好きってどんな気持ちか、私は味わったことがない。えーえーえー。同じ人類なんですか?E E E E Eーーーー。
素晴らしくシゴデキ彼女がミーティングに三十分遅刻しようが誰も何も言わない。特権階級。私なんてニ分遅刻しただけで、鬼のようにTeamsの呼び出しきますけどなにか?
そしてなんともややこしいことに、役職に関しては私の方が上というから困っちんぐである。
数字の神に愛される彼女より、数字の美味しさ全く知らないんすよね、下戸なんで。っていう私の方がある種上司。なにこのねじれ構造。しかも彼女の方が年上。もう、降格を願い出たいぐらいに、オエーな状態。
もう役職云々言ってらんねぇので、私はヘコヘコ彼女に教えを乞う。彼女も優しく教えてくれる。
そんな感じで、あの黒歴史には触れずいい感じにバランスを取りながらやっていたのである。
配属されて、ニヶ月も経つか経たないかの頃。
事件はやってくる。
当時住んでいた東京の家で仕事をしていた。
元々精神疾患を疑っていた夫の病状が悪化し、「今すぐ家を出て行け!」と怒鳴られ、家を追い出された。
平日である。
途方に暮れながらも、私は会社携帯とワイヤレスイヤホンだけ持って、近所の公園のベンチに座っていた。
どうしよう。そうだ、十一時からミーティング。
イヤホンをして、ミーティングに接続する。
彼女とのミーティングだった。
「…あれ?今外ですか?」
「今、事情があって家にいられなくて」
そう言った途端、ダバーっと涙が溢れ出た。
「え、大丈夫ですか!?何でも聞きますよ」
と言ってくれる彼女。
そこからダバーっと私は今の状況を吐き出す。
「それは…ヤベェですね…」
「そうなんです。ヤベェんです」
「…今は状況を整えることを最優先してください!仕事は大丈夫です。なんとかしとくんで」
季節柄、ちょうど繁忙期。迷惑をかけてしまう。
ダバダバダバーっと、汁が全部出た。
なんとかしとくって、なんてカッケーんすか。
「スゲェ」って、また思った。
心の中でだけだけど、黒歴史握ってますみたいな優越感かまして本当にごめんなさい。ちっぽけすぎてごめんなさい。本当私は最低です。と心の中で謝った。
結局私はそこから子どもたちを連れて家を飛び出し、新居で生活をしている。
あの時どう動いたんだ?もはや思い出せない。
彼女とは今も同じチームで働いている。
お互いの黒歴史を握り合ったまま。
そしてその話は何もしないまま。
私は彼女をやっぱりスゲェって思っている。
あえてダーマ神殿に行かない強さよ。
これぞ、専門性。
SEN・MON・SEI!
あぁ。私にロバート秋山ぐらいの才能があれば良い曲が書けるのに。全力で歌謡祭するのに。
そんな私に、彼女はいつぞやオンラインで二人で話した時に言った。
「私、あの時スゲェって思いましたよ。
私だったら動けない」
黒歴史には触れない。でもその一言だけ。
「マジですか。それ、いいことですかね?」
「ですです。すごいところです」
対する私。ダーマ神殿を求めてさすらうこのフットワークの軽さよ。もう探してるのはダーマ神殿なのか青い鳥なのかわからなくなっちゃってますが、これもスゲェにカウントされますか?アビリティになってますか?必死だったの。恥とかプライドとか、考える余裕無かっただけなの。
やっぱり彼女は薬師が似合うなぁ。私には到底解読不能な薬品を読み解いてチャチャチャチャチャーっとスンゲェ回復薬とか作っちゃう。
一周回って私はやっぱりシーフかしら。ヤバくなったらとんずらしまくるの。そのスピードが仲間を救うこともあるから。ね?いのちだいじに。
とんずらしてワープし続けてたらいつか蜃気楼の街に行けると信じたい。
あれ?私たち、結構いいパーティーなんじゃない?
え?FFとドラクエ混じっちゃってるって?いろいろ設定無視してるって?だって中学生の時からやってないんだもの、ニュアンスで汲み取って。ディテールはご勘弁!
