六甲道がすき
わたしは「住めば都」を地で行くタイプである。
だから、どんな場所でも、
一度住めば大好きになってしまう。
住んだことはないけれど、
アフリカでも一度住んでしまえば
「うん、結構いいところよ?」
と言えてしまう気がする。
…ごめんなさい。
やっぱりちょっと自信が無くなってきた。
多分嘘をついた。
水洗トイレはほしいし、虫は無理です。
それはさておき。
そんなわたしなので、今まで住んだ場所は
どこも大好きだ。
東京だって。千葉だって。今いる地元だって。
それぞれ最高だ。
その中でも、思い出すと
心が一番、ギュッとなる街。
東京や横浜の方が実際は煌びやかなのに、
わたしの中でキラキラ輝くネオンの街
といったら、やっぱり神戸なのだ。
それはきっと、初めて一人暮らしをした時の
あの冒険心と緊張感が
下駄を履かせているのかもしれないなと思う。
神戸駅から海沿いを歩きながら見る夜景。
摩耶山のロープウェイから眺める夜景。
大学の、記念館から見渡す夜景。
そのどれもが、思い出すと心臓が締め付けられるような、そんな気持ちになるのは何故だろう。
勝手にわたしの中で、
第二のホームだと思っている街。
それが、神戸であり、JR六甲道駅である。
大学時代、わたしはずっと
JR六甲道近辺に住み続けた。
阪急六甲でも、阪神御影でもよかった。
それでも六甲道に住み続けたのは、
JRはいつでも故郷に一本道で続いている。
いつだってもしも辛くなったら、
JRに乗り込めば地元に帰れる。
その安心感だったのかもしれない。
わたしのマンションは、六甲道駅から徒歩1分。
8階のわたしの部屋の窓を開けると、
見下ろすと駅のホームが見える。
部屋探しをした時に、仲介業者の人は言った。
「このマンション、ホームの音がうるさいのが
唯一の難点なんです…」と。
寂しがり屋のわたしには、
むしろ利点だと思った。
一通り部屋の中を見て回って、即決した。
電車の発車音とアナウンス。
住んでみて煩わしいと思ったことは
不思議と一度もなかった。
電車の音がわたしの日常に程良いアクセントと
して溶け込んでいた。
ホームを眺めながら、ベランダに出て、
時々缶チューハイを飲む。
はしゃぐ大学生たちの集まり。
酔い潰れるサラリーマン。
みんなわたしが見てるなんて、知らないだろー、って得意げな気持ちで。
わたしの大学は山の上にある、
というか山そのものだった。
交通手段は、バスか、歩きか、原チャか。
バスだと楽なのだけれど、
サークル活動で遅くなって
バスがもう無い時なんて、
夜のキャンパスを下っていると
猪に遭遇することもあるのだ。
「大学に住む猪は大人しいから…」
とみんなよく言ったけれど、
遭遇した時は毎度肝を冷やした。
初めてクルーズ船「コンチェルト」に乗って
夜景を見た時。
とても寒かったけれど、澄んだ冬空の下
見る夜景がとにかく美しかった。
「絶対もう一度乗ろうね」
と約束したのは、誰とだっただろう。
相手のことはすっかり忘れてしまったのに、
夜景の美しさに震えたことだけは、
鮮明に覚えている。
山も。海も。街も。
すべてが近くて、すべてが程良かった。
最初、わたしの命綱のように、
地元と繋がる安全線だったJR。
大学生活に慣れるにつれて、
六甲道から、大阪や京都への
アクセスの良さに気づく。
大阪と京都と神戸って、こんなに近かったのか。
新発見を体で知る。
そこから、自分を守る命綱は、
まるで自分の可能性を広げるかのように、
いろんな場所に連れて行ってくれた。
六甲道をホームにして、
まるで路線図を制覇するかのように、
四年間の制限付きのスタンプラリーかのように、いろんな場所に出向いた。
あの時の感覚はまるで小さな大冒険。
初めてバイトしたケーキ屋さん。
夜の街が見たくて働いた、カラオケ。
冒険心で飛び込んだ、商店街のスナック。
社会人になって、神戸に出張に行った時。
ぶらりと散歩をしたら、全部無くなっていた。
あれはまるでおとぎ話だったのだろうか。
本気でそう思えてしまうほどに、
私にとってはキラキラ繊細に光る蜃気楼のよう。
それでいて、すごく親しみのある街。
大事な場所たちが無くなっても、
ずっと六甲道は六甲道のままでいてくれたら。
いつかまた、この真っ直ぐ続く線路に乗って、
六甲道まで行こう。
そして、わたしの大事な2人の子どもたちに、
「お母さんの大好きな街なの」
と紹介する。
それはわたしの、
死ぬまでにやることリストのうちの一つ。
