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ドラクエⅣの戦闘曲は、日常に火を入れる 推し活日記#13 ドラクエⅣ「戦闘 -生か死か-」編

ドラクエの戦闘曲は、
体のどこかに残っている。

敵が出る。
画面が変わる。
音が変わる。
こちらの心も、少し構える。

「あ、来た」

この切り替わりがいい。

ドラクエの音楽は、
ただ場面を飾っているのではない。
プレイヤーの心の姿勢を、
きちんと変えてくる。

その中でも、
僕が特に好きなのが、
ドラクエⅣの通常戦闘曲。

**「戦闘 -生か死か-」**である。

タイトルからして、もうただごとではない。

通常戦闘なのに、
生か死か。

スライムベスが出てきても、
さそりアーマーが出てきても、
生か死か。

言いすぎではないか。

いや、
ドラクエⅣの場合、
言いすぎではないのだと思う。



ドラクエの戦闘曲で、
まず思い浮かぶ名曲の一つに、
ドラクエⅢのゾーマ戦がある。

いわゆる、
「勇者の挑戦」。

あれは、すごい。

ボス戦のワクワクと、
荘厳感が同時に来る。

ただ強い敵と戦っているだけではない。
世界の闇そのものに向かっている感じがある。

曲が鳴った瞬間、
あの場所の冷たさが戻ってくる。

闇。
玉座。
最終決戦。
光の玉。

そして、
どこかで聞こえる気がする、
いてつくはどう。

実際に音として鳴っているわけではない。
でも、あの曲を聴くと、
記憶の中で、あの絶望的な効果音まで立ち上がる。

ゾーマ戦の曲は、
戦闘BGMというより、
神話の扉だと思う。

勇者が、
世界の終わりと向かい合うための音。

あれはもう、
ラスボス戦ではなく、
人類代表戦である。

過言ではない。



一方で、
ドラクエⅣの
「戦闘 -生か死か-」は、
少し違う。

ゾーマ戦が、
大聖堂の奥で鳴る最終決戦なら。

ドラクエⅣの通常戦闘は、
街道の途中で、
急に刃物を向けられる感じがある。

神話ではなく、死線。

準備はしていた。
装備も整えた。
薬草も持った。

でも、敵は出る。

旅をしていれば、
戦闘は避けられない。

この避けられなさが、
あの曲にはある。



ここで少しだけ、音楽の話をしたい。

「戦闘 -生か死か-」は、
前半と後半で表情が変わる。

前半は、まだ足場がある。

敵が出た。
こちらも構えた。
さあ戦うぞ。

そんな分かりやすい緊張感がある。

でも、後半に入ると、
急に地面が少し斜めになる。

リズムが、
まっすぐ歩かせてくれない。

変拍子、というのだろうか。

正確な拍子の話をし始めると、
心の音楽室の先生が黒板に五線譜を書き始めるので、
ここでは感覚で言う。

普通に四拍子で歩いていた足元に、
急に一段だけ高さの違う階段が混ざる感じ。

「おっと」

となる。

でも、止まらない。

むしろ、そのズレが、
戦闘の緊張を一段上げる。

敵と向かい合う時、
現実もそうだ。

こちらの予定通りに、
相手は動いてくれない。

回復しようと思った瞬間に、
先に殴られる。

攻めようと思った瞬間に、
状態異常が来る。

リズムが崩れる。

でも、その中で
コマンドを選ぶしかない。

そして、旋律が音階を駆け上がっていく感じもいい。

ただ横に進むのではない。

上へ上へ。
息を詰めながら登っていく。

前半が、
「敵が出たぞ」
だとしたら、

後半は、
「まずい、これは本気で決めないと危ない」
になる。

通常戦闘曲なのに、
ここまでやる。

すぎやまこういち先生、
通常戦闘にどれだけ魂を込めているのか。

これは、
通常戦闘曲の顔をした、
小さなボス戦である。

過言ではある。
ハイ。



ドラクエⅣは、
章立ての物語だ。

ライアン。
アリーナ。
クリフト。
ブライ。
トルネコ。
マーニャ。
ミネア。
勇者。

それぞれの人生があり、
それぞれの事情がある。

そして大事なのは、
戦闘曲にも、その人生が少し入っていることだ。

第4章、
マーニャとミネアの章では、
通常戦闘曲が
**「ジプシー・ダンス」**になる。

これが、ものすごくいい。

踊り子と占い師。
父の仇。
旅芸人の町。
夜の熱。
哀愁と情熱。

姉妹の戦いだけ、
音の匂いが違う。

だからこそ、
「戦闘 -生か死か-」の立ち位置も、
逆にくっきりする。

あれは、
導かれし者たちの共通の死線なのだ。

誰か一人の伝説ではない。

兵士にも、王女にも、商人にも、姉妹にも、勇者にも、
それぞれの戦いがある。

そして合流したあと、
それぞれの生活を抱えたまま、
同じ戦闘画面に立つ。

ドラクエⅣの通常戦闘曲は、
そこが人間くさい。

勇ましい。
でも、余裕ではない。

かっこいい。
でも、少し焦っている。

前に進む。
でも、ちゃんと怖い。



大人になってから聴くと、
この曲は妙に日常に近い。

仕事でも。
創作でも。
育児でも。
生活でも。

今日は平和に進むはずだった。

でも、
急に戦闘画面へ入る。

トラブル。
電話。
締切。
体調不良。
想定外の一言。
謎の書類。
急な出費。

「今ですか」

と思う。

でも、
画面はもう切り替わっている。

コマンドを選ぶしかない。

たたかう。
じゅもん。
どうぐ。
にげる。

この選択肢の感じは、
かなり人生に近い。

逃げることすら、
時には大事なコマンドだ。

雑魚戦などない。

その時の当事者にとっては、
いつだって生か死かなのだ。

過言ではある?
いや、ない!



僕がドラクエの喩えをよく使うのも、
たぶんここにつながっている。

ドラクエは、
人生を少し扱いやすくしてくれる。

疲れたらホイミ。
場を変えるならルーラ。
出力を上げるならバイキルト。
何が起こるか分からない時はパルプンテ。

こういう言葉があるだけで、
現実の重さが少しだけ持ちやすくなる。

「戦闘 -生か死か-」は、
日常の中で急に戦闘画面へ入った時の音だ。

別に、
世界を救う場面ではない。

でも、
今の自分には大事な局面。

そこで背中の奥に鳴る曲。

今は何をする。
たたかうのか。
回復するのか。
どうぐを切るのか。
一度にげるのか。

全部、戦略である。



推しは、
気づいたら好きになっている。

ドラクエⅣの
「戦闘 -生か死か-」も、
そうだった。

子どもの頃は、
ただ戦闘の曲として聴いていた。

敵が出た。
曲が鳴った。
倒す。
経験値をもらう。

それだけだったかもしれない。

でも、大人になってから聴くと、
少し違う。

あれは、
人生の小さな局面で鳴る曲だと思う。

ゾーマ戦の音楽が、
世界の闇に挑む勇者の曲なら。

ドラクエⅣの通常戦闘曲は、
それぞれの生活を抱えた人たちが、
今日の敵に向き合う曲だ。

荘厳ではないかもしれない。
でも、切実だ。

神話ではないかもしれない。
でも、人間の戦いがある。

ドラクエⅣの「戦闘 -生か死か-」は、
日常に火を入れる。

そして今日も、
どこかで誰かが、
自分の戦闘画面に立っている。

コマンドを選ぶ。

たたかう。
じゅもん。
どうぐ。
にげる。

ただ、ひとつ思う。

ファミコンの頃のAIが、
今のAIくらい賢かったらな。

クリフト。

お前のことだ。



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