家族(親族)介護を振り返る⑤
前回の続きのお話になりますが、、、
在宅看取りを経験する中で、バックベッドという仕組みを初めて知りました。
ざっくり言うと、原因疾患の悪化や別の病気などで治療が必要になった時に、スムーズに入院できるようにする仕組みだそうです。
これは安心だ!
私の当時の感想です。
抗がん剤治療をしていた総合病院の看護師から、在宅に移行する際は主治医を探すくらいの優先順位で、早急に決めないといけないと説明されました。
でも、結果的にバックベッドは決まりませんでした。
正確には、一度は探してもらいましたが、
その病院を断ったせいなのか、理由はわかりませんが、
二度目はありませんでした。
どうやら私は、主治医の機嫌を損ねてしまったようでした。
というか、それ以外の理由を考えられませんでした。
そしてここから、私はさらに苦しむことになっていきました。
紹介された病院で、医師と面会したときの一言が気になりました。
緩和ケアをはじめ終末期の患者と関わる医師です。
入院のことを“収容”と言ったのです。
それも何度も。
私の中で、収容って、20年近く介護医療の現場にいましたが、一度も聞いたことがありませんでした。
ものすごい違和感に自分がおかしいのかと思い、調べました。
以前は使われていましたが、1990年代ごろを境に、表現を変更する流れになったと医師法に記されていました。
どうしても、
捕らえて入れる
隔離する
保護下に置く
というニュアンスを強く感じられたためだそうで、
良い印象を受けなかった私の認識にも近いものがありました。
また、2000年の法改正では、
「収容」=施設側の管理・隔離が中心
「入院」=患者が医療を受ける行為が中心
といった発想の転換時期でもあったそうです。
現在でも使用されている状況はあるようですが、精神病院など一部だそうです。それでも、生粋の精神科看護師の友人から収容なんて言葉は聞いたことがありません。
当時は2021年。
……ほんと、ここはいつの時代なんだよ。
これが率直な感想でした。
病院の設備が悪いわけでもない、看護師が悪いわけでもない。
でも、この違和感に疑問を抱かないまま、ここでは時間が止まっているのだろうか。そんな風に感じてしまいました。
「言葉一つで大げさな」と思われる方がいるかもしれません。
でも、看取りをする家族にとって、その言葉一つに、過敏に、繊細になってしまうんです。
そして、私には務めていた病院のホスピス医が基準になっていることもあり、譲れない理想のようなものがあったのかもしれません。
後日、理由を述べたうえで、主治医に丁重にお断りのお願いをしました。
そして、改めてベッドを探してもらうお願いをしました。
しかし、探してもらえませんでした。
理由を何度訪ねても、教えてもらえず、
「探さない。事が起これば、救急車を呼んで病院を探す」
の一点張りでした。
これって、明らかに私が断ったせいですよね(^^;)
医師と患者の橋渡しのはずの看護師も、何も教えてくれません。
「不安ですよね」
「困りますよね」
いや、答えになってないし、不安と不信感しかありません。
自分の行動への罪悪感と今後の不安、
叔母はその件で私を問い詰めることはありませんでしたが、
それゆえ申しわけなさに押しつぶされながら、
その後も大きな変化はなく、日常は続いていきました。
でも、積み重なった不信感は、もうぬぐえませんでした。
ましてや、私が越してきて2カ月足らずという短い期間での話です。
これは、この医師個人の方針なのか。
それとも、この地域全体の傾向なのか……
私は地元の友人に相談しながら、なんとか自分を維持していました。
でも、叔母からの圧とかかりつけ医院の対応にどんどん疲弊し…
……ついに私は“一時休戦”の状態まで追いつめられていきました。
お読みいただきありがとうございました😊
