出がらしさんと、搾りかすさん
出がらしさんと、搾りかすさん。
というショートショートを書いた。
しかし、どうもラストがしっくりこない。
悶々と考えながら、以前読ませてもらった記事のことを思い出した。
自分の中にある常識から、少しズレた人を見かけた時に、他者がどう反応するかを見ている記事。外見のことだった。
この記事は、ずっと心に残っていて、どうにか言葉にしたかった。
とりあえず、書いていこう。
私のピチピチだった時代は、ある一部のマニア受けするような外見だったようだ。
ようだ、というのも、自分であまり自分のことにこだわりがない。
なんとなく、整っていたら良いだろうと思っている。
その、なんとなくの基準は自分基準だから、他者から見た時に、どう映っているのかは分かりようがない。
でも、付きまとわれることがあった。
職場でも、困ることがあった。
どこか、境界線のないような外見なのかもしれない。
先日、最近仲良くなった人に、見た目と中身のギャップがあり過ぎると言われた。
この、ギャップは本当によく言われ続けてきた。
境界線をきっちりしようとすると、ギラギラの見た目になるらしい。
それはそれで、中身はやはりボケているので、ギャップが酷いと言われる。
ぽやっとしたままだと、変なひとに目をつけられる。
根が真面目である。
ボケた中身を一人前にするために、必死に仕事する。それを逆手に取られることもあった。
自分の送別会のときに、上司に襲われかけた時は、本当にクソっと思った。
年齢と共に、そういうことが無くなっていくことが、本当に嬉しかった。
何かを作らなくても、飾らなくても、自分のままでいられることが、嬉しかった。
特に、今は農業で人と会うことが少ない。
ご近所さんも、年配の方ばかり。
この自分らしくいられる年齢と環境で、のびのびと出来ることに、本当に感謝してる。
話を戻そう。
外見で判断する人が苦手だ。
美しかろうと、そうじゃなかろうと、個性的だろうと。
自分の価値観だけで判断する人が苦手だ。外見を笑う人たち。蔑む人たち。
その人の背景は分からない。
分からないから、判断しない。
しかし、社会に受け入れられやすい見た目というのはある。それは、仕方ない。
そうじゃない方向を選んでいる人を、自分の基準だけで、判断したくない。
背景は、ちょっと考えてしまうけどね。
そもそも、顔と名前を覚えるのが、苦手である。
私は、その人のエピソードやそこに伴う感情を知ったときに、その人の輪郭が浮かび上がってくる。
以前のアカウントを消して、このアカウントを作った時に、記事の内容だけで、私と分かってくれた方が何名かいらっしゃった。
本当に嬉しかった。
私の輪郭が、その人の中であったのだと思うと、それだけで泣けてきてた。
記事を通しての、会話だと思った。
ありのままが、どんなもんか分からないけど、言葉に出来ない何かも、揺れ続けていることも、とりあえずそのまま記事にしている。
そんな、よく分からない記事から、輪郭を作ってもらえたことが本当に嬉しかった。
人を見る目があるのか、ないのか分からない私は、その人の感情や本音を見たくなる。
そこが見えないと、相手の輪郭が保ちにくい。
とはいえ、外見もその人がどんな人か、というのも、結局は自分フィルターを通しているのだけどね。
現在の私は、カスカスになったティーバッグの出がらしのようです。
そのことを喜んでいる、ヘナチョコです。
生きやすいです。
マダムたちに、人気です。
搾りかすさんへ。
スニーカーを新調しようと思います。
その日は、お湯をたして、潤いティーバッグで臨もうと思います。
