信じる、手放す
「心配するということは、相手を信じていないということなんだよ」
「じゃあ、大丈夫かな?と思う気持ちは、心配じゃなくて何ですか?」
「気にかける、だけでいいのよ。そこから先は相手の世界の話だから」
とてもお世話になっていた人との会話。
何年経っても、この言葉を大切にしている。
母は、とても心配性だった。
常に制限があり、母が管理できる範囲の世界しかなかった。
そういう世界に馴染むひともいるのかもしれない。
でも、私の性質は違ったのだろう。
感情を否定されることも、
見えているもの、感じているものを受け止めてもらえないことも、苦痛だった。
母の狭い価値観や世界の中だけで、窮屈に生きていた。
同じように心配性な私として成長したが、
「心配するということは、信じていない」
この言葉に、とても救われた。
自分の言葉として落とし込むのに、かなりの時間を要したが、
心配し過ぎることは、ずいぶんと減った。
両親に対しては、早い段階で、ただの人間だと思うようになっていた。
だから、信用されていなかったとしても、それは相手の世界の話だと思っている。
愛情がないわけではない。
ひととひと。家族であっても、そう思っている。
自分の未来も心配することが減った。
そういう意味では、自分を信じていると思う。
それと同時に、すべてのことの終わりにも触れてしまう。
でも、確定していない何かを恐れるよりも、今を大切にして、望む世界につなげたい。
娘と接する上でも、気をつけている。
娘を信じる。信じたい。
それでも心配してしまうときは、そのときの自分の声を逃さないようにしている。
母の勘に頼りながら、娘が感じている「今」を、隣で見ていたい。
大切すぎるからこそ、かもしれない。
自分にブレーキをかけている部分はある。
娘の世界を、小さくしたくないから。
それぞれの世界を尊重したい。
相手が笑顔であることを喜び、感謝したい。
たぶん、全部自分のため。
自分の領域を侵されるのは、誰でも嫌だと思う。
心配や、「あなたのため」という言葉を使って、私の領域に入って来られるのは、困る。
もう、そういうのは充分。
境界線をくっきりと持ちたい、ただの人間です。
ひとの人間くさいところが、好きです。
はい、ひとが好きです。
心配はしないけど、気にしてます。
あなたが元気がないと、気にしてます。
できれば、一緒に笑っていたいです。
重なる世界を大切にしたい。
ちょっとずつ積み上げて、重なっている世界を広げていきたい。
だから、
それぞれの望む世界でありますようにと、心から願っている。
さて、5月の風にのって、5月を駆け抜けるよ。

お仕事のひとも、お休みのひとも、
ゴールデンウィークが楽しい時間になりますように。(乾杯🍻)
