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剣道って、結構“危ない勘違い”を生むと思っている。

最近ふと思った。

剣道って、本当に「強さ」を教えているんだろうか。



もちろん、自分は剣道をちゃんとやった事がない。

……と言いたいところだが、
実は小学1年の時に、1年だけ剣道をしていた。

しかも、警察署の道場で。笑

とはいえ、
今の自分に剣道経験者感は一切ない。

だから、
ほぼ外から見た感想だと思ってほしい。



中学の時の体育教師に、
阿部先生という人がいた。

剣道でかなり有名な人で、
たしか8段とか9段とか、
とにかくめちゃくちゃ強いらしい。

実際、雰囲気も凄かった。

ただ、
そんな先生を見ながら、
体育の授業でずっと思っていた事がある。



これ、
真剣(本物の刀)だったら勝負変わらないか?

と。



例えば剣道って、

・声を出す
・正しい姿勢
・残心(打った後の動作)
・礼儀

これがかなり重視される。

でも、
本当に命懸けなら、
そんな事してる余裕あるか?

と思ってしまう。



「メーン!!」

と叫びながら斬りかかる。

しかも、
打った後、
綺麗に残心。

いや、
その間に後ろから斬られるやろ。


(暴れん坊将軍の敵と同じである。)



しかも、

「有効打突じゃないので一本になりません」

と言われても、

いや、
真剣なら手首落ちてますやん。


となる。



もちろん、
剣道側が、

「これは実戦です」

と言っている訳ではないのも分かる。

むしろ、
危険な剣術を教育用に抽象化した武道なのだろう。

でも、
だったら最初から、

「これは精神修養です」

と割り切った方がいい気もする。



しかも、
ここで言う“剣”って、
そもそも昔と今で別物だ。

例えば、
土方歳三や近藤勇たちがやっていたのは、
今の競技剣道ではなく、
“剣術”に近い。

つまり本来は、

「人を倒して、生き残るための技術」

だった。



だから、
綺麗な姿勢より、
実際に斬れるか。

礼儀より、
生き残れるか。


こっちの比重が大きい。

実際、
土方歳三の天然理心流も、
今みたいな“綺麗な一本”というより、

極端に言えば、
腕一本やられても、
最後に勝てばいい。


そんな、
かなり実戦寄りの世界観だった。



だから、
「声を出さないと一本にならない」

というルールにも、
少し違和感がある。

むしろ新選組とかって、

「メーン!!」

より、
斎藤一みたいに、
無言で間合いに入って、
急に刺してきそうなイメージがある。



そう、問題は、
“武士道っぽさ”だけが残ることだ。

礼。
精神。
規律。
自制。

確かに大事だと思う。

でも、
竹刀という安全なおもちゃで、

「命を懸けた武士の精神」

みたいな空気を出されると、
少しズレを感じる。



むしろ、
本当に危険な状況って、
もっと泥臭いはずだ。

叫ぶ余裕もない。

姿勢も崩れる。

不意打ちもある。

綺麗な一本なんて、
存在しない。




ここで少し不思議だったのが、
警察官が剣道をやることだ。

もちろん、
礼儀や精神力を鍛える意味は分かる。

でも、
実際の現場って、

・押される
・転ばされる
・組み付かれる
・突然殴られる

こっちな気がする。



だったら、
柔道や総合格闘技の方が、
よほど実戦向きではないのか。

と思ってしまう。



ここで少し見え方が変わってくる。

じゃあ、
なぜ警察は今でも剣道をやるのか。



多分、
あれは「戦闘技術」ではない。

むしろ、

礼儀。
忍耐。
上下関係。
統率。
精神性。

そういう、

“警察官らしい人格”

を作るためのものなんだと思う。



つまり剣道って、

「人を倒す技術」

というより、

“日本的な組織文化”

に近い。



そう考えると、

剣道って、
“武器を使った戦闘技術”

というより、

“日本人の組織論”

そのものなのかもしれない。

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