なぜあの人は、”話す”のが上手いのか?
「コミュ力が高い人」と聞いて、どんな人を思い浮かべるだろうか。
人とすぐに打ち解けて、場の空気を読んで話を合わせるのが得意な人?
それとも、YouTubeやライブ配信でひとり語りを続けられる人?
最近、ふと気づいたことがある。
「コミュ力」という言葉の中には、まったく性質の異なる2つの力が混在しているのではないか──ということに。
そして、話すのが上手い人に共通しているのは、
『発信型』のコミュ力が高いという事だと最近気づいた。
① 対人型のコミュ力
まず一つ目は、一般的に「コミュ力がある」と言われるタイプの能力だ。
これは対面での会話の中で発揮されるスキルであり、空気を読む力、共感力、そして聞き上手であることが特徴。
このタイプの人は、場の温度を察知し、相手が気持ちよく話せるように自然と立ち回ることができる。
「安心感を与える力」「話を弾ませる力」に長けており、いわばこれは**“共鳴型”のコミュニケーション**だ。
一対一の場面やグループの中で真価を発揮する。
よく、話す力とは、聴く力と言われる。
彼らは、自分で話す事よりも、相手の空気を読み、相手に合わせることが上手いと思う。
② 発信型のコミュ力
そしてもう一つが、いわゆる「発信者」が持つ力だ。
YouTuber、配信者、エッセイスト、哲学者、あるいは一人で雑談ライブを回せる人たち。
彼らが持っているのは、思考力 × 言語化能力だ。
話すのが得意というより、「考えてきたことを、言葉にできる」力が高い。
特に配信者などを見ていると、難しい質問に対してスラスラと答えている場面がある。あれは、偶然でも才能でもない。
彼らは、ある特定のテーマについて、これまで何度も自分なりに考えてきた。そして、その思考を言葉にする訓練をしてきた。
逆に言えば、思考してこなかったテーマは話せないし、思考してきたテーマでも、言語化できなければ人には伝わらない。
つまり、彼らは、特定のテーマについて何度も思考を巡らせ、かつそれを言語化する能力に長けているから、発信活動でコミュ力を発揮するのだ。
これは、プレゼンが上手い人にも共通することだと思う。
話せないテーマ=考えてこなかった証
このことに気づくと、逆もまた明らかになる。
自分がうまく話せないテーマというのは、要するに「考えてきていないテーマ」だということ。
表現型の人たちは、自分の“フィールド”を持っている。そこでは深く語れるけれど、その外では急に黙ってしまう。
でもそれは劣っているのではなく、むしろ自然なことだ。
発信とは、「自分が本当に向き合ってきたものの痕跡」だから。
語れるテーマは、自分が悩み、問い、葛藤してきたテーマなのだ。
なぜ「話すこと」が難しいのか?
多くの人が「思ったことがうまく言葉にできない」と感じる。
でもそれは、単なる話し方の問題ではない。
本当の原因は、思考の“深さ”と“回数”の不足にあることが多い。
思考は、一度や二度考えたくらいで言語化できるような単純なものではない。
何度も反復し、日常の中でそのテーマと再会し、ときにはモヤモヤしたまま日々を過ごしながら、ようやく言葉になる。
たとえば「どうやったら自信がつくと思いますか?」という問いに対して深く語れる人は、単に経験があるからではなく、その問いについて繰り返し考えてきたからこそ、語れるのだ。
思考とは、日常の中でできる“筋トレ”だ
つまり、発信力の本質は、「考える習慣」にある。
これは知識の多さや経験の豊富さではなく、「ひとつの出来事に対して、どれだけ深く考えたか?」という問いに尽きる。
「話がうまい人」がいる。
でもその“うまさ”は、滑舌やユーモアのテクニックではない。
その人がそのテーマについて真剣に考えてきたという“自信”がにじみ出ているから、伝わるのだと思う。
誰にでもできる、発信型コミュ力の育て方
朗報なのは、これは生まれつきの才能ではないということだ。
発信力=思考の蓄積なので、それは誰にでも少しずつ積み重ねられる。
具体的には:
• 「なぜそう思うのか?」を自問する
• 見たこと・感じたことに“もう一歩”深く入り込んでみる
• 気になったテーマをメモに残して、後日また考え直してみる
こうしたことを習慣化していくうちに、少しずつ自分の言葉が生まれてくる。
すると、ライブ配信も、エッセイも、動画も、「自然と話せる」ようになる。
最後に
「コミュ力」という言葉は、実はとても曖昧だ。
でも、今の時代に本当に求められているのは、**他者と話す力だけでなく、「自分の考えを言葉にする力」**ではないかと思う。
発信型のコミュ力とは、取り繕う力ではない。
それは、自分が何を大切にしているか、何に違和感を抱いてきたか、何に心を動かされてきたかを、正直に言葉にする力だ。
あなたが語れるテーマは、きっとあなたがこれまでの人生で一番向き合ってきたもの。
だからこそ、それは誰かの心にも届く“コミュニケーション”になるのだと思う。
