消えた証言~証言は消える。ほな音に変えたるわ。~ 第1章 消えた友人

陽菜が学校に来なくなって三日目。

学年主任の竹坂が教室に来て、

「芦屋の連続強盗事件の犯人が芦屋周辺をうろついているので神戸方面から来ている人は十分に気をつけるように。」

私は、ついに副担任の先生に相談することにした。

放課後、職員室の前で深呼吸してから声をかけた。

「先生……陽菜のことなんですけど」

副担はプリントをめくる手を止め、私を見た。

「陽菜? ……ああ、あの子か。
最近見てへんなとは思ってた」

私は息を呑んだ。

覚えている。

クラスメイトも担任も忘れているのに、副担だけは陽菜を覚えていた。

「先生、陽菜が……消えてるんです。
家も、表札も、みんなの記憶も」

副担は眉をひそめた。

「どういうことやねん。
瀬口、わかるように説明せぇや」

怒っているのではなく、“理解できない現象に対する戸惑い”だった。

「瀬口、陽菜のこと……ワイは忘れへんで」

その言葉に、胸が熱くなった。

翌日、私は陽菜のマンションへ向かった。

昨日まで確かにあったはずの表札が消えていた。

植木鉢も、自転車も、玄関マットもない。

まるで最初から誰も住んでいなかったみたいに。

インターホンを押すと、見知らぬ女性が出てきた。

「どちら様ですか?」

「ここ……陽菜ちゃんの家じゃ……」

「陽菜? すみません、うちはずっと夫婦二人暮らしで」

声が遠くなる。

世界が、陽菜を“消している”。

私は震える指で、もう一度インターホンを押した。

すると、奥から別の男が顔を出した。

ジャージ姿で、背中には白い文字。

「警察」

「瀬口さんですね。中へどうぞ」

玄関をくぐると、空気が一気に変わった。

リビングにはスーツ姿の弁護士、

資料を広げる調査員、

無線を肩にかけた警察官が十数人。

書類の音、無線の雑音、誰かの咳。

その全部が、異常さを物語っていた。

陽菜の両親はソファに座り、

母親は手を握りしめ、父親は唇を噛んでいた。

スーツの男性が資料を閉じ、私に向き直る。

「陽菜さんが、芦屋の強盗傷害事件に関与している可能性があります」

頭が真っ白になった。

「……陽菜が、犯人……?」

誰も否定しなかった。

その沈黙が答えだった。

私は言った。

「……陽菜の無実を証明します」

けれど、誰にも認められなかった。

私は俯いたまま、陽菜の家を後にした。

マンションの前で、背後から声がした。

「瀬口はん、また来たんか」

ナベさんだった。

梅田でも堺でも知られた人気者で、

唯一、陽菜を覚えている大人。

「陽菜ちゃんは確かにここに住んどった。
忘れるわけあらへん」

その言葉だけが、現実をつなぎ止めていた。

放課後、私はナベさんと合流した。

「瀬口はん、ちょっと来てみ」

案内されたのは、梅田の商店街の裏路地だった。

「陽菜ちゃん、ここで買い物しとったって
言うてる人がおる」

店の奥から、店主のおばちゃんが出てきた。

「陽菜ちゃん? あの細い子やろ?
この前、アイス買っていったで」

私は息を呑んだ。

陽菜の痕跡がまだ残っている。

でも──

「……あれ? 名前、なんやったっけ……?」

おばちゃんの表情が曇る。

記憶が、薄れていく。

ナベさんがすぐに声をかけた。

「陽菜ちゃんや。忘れたらあかん」

おばちゃんは、はっとしたように頷いた。

「そうそう、陽菜ちゃんや。
あの子、ええ子やったわ」

世界が陽菜を消そうとしている。

でも、まだ完全には消えていない。

証言が少しずつ集まり始めている。

「ナベさん、これを見てください」

私はスマートフォンの画面を見せた。

陽菜と一緒に撮った唯一の自撮り写真。

しかし、画面の中の陽菜の輪郭は、まるで水に濡れた絵画のように滲み始めていた。

「……急がなあかん。証拠も記憶も、砂みたいに指の間からこぼれていっとる」

ナベさんの顔が険しくなる。

私たちは商店街を駆け抜け、陽菜が事件当日に立ち寄ったという目撃情報のあった古本屋へ向かった。

店主の老人は、帳簿をめくりながら首を振った。

「そんな子は知らん. うちは今日、一人も客は来とらんよ」

「そんなはずない! 陽菜はここで、あの限定版の詩集を買うって言ってたんです!」

私は棚をかき回した。

陽菜が欲しがっていた本。

もし彼女がここに来たのなら、何かが残っているはずだ。

棚の隅、一冊の文庫本が床に落ちていた。

栞代わりに挟まっていたのは、見覚えのある図書カード。

「これ……陽菜の字だ」

カードの裏には、小さな文字で『助けて』と書かれていた。

その文字さえも、私の目の前で少しずつ薄くなっていく。

「瀬口はん、警察や!」

ナベさんの叫び声と同時に、店の外にパトカーのサイレンが響いた。

警察は陽菜を追っているのではない。

陽菜という「バグ」を消去しようとする世界の意志が、法という形を借りて私たちを追い詰めているのだ。

「逃げよう、ナベさん。陽菜が完全に消える前に、彼女が犯人じゃない証拠を……彼女がここにいた証拠を、世界に突きつけるんだ」

私は震える手で、消えかかった図書カードを握りしめた。

陽菜は消えた。 記憶も、家も、痕跡も薄れていく。

でも── 私は陽菜を消さない。

たとえ明日、私自身の記憶が彼女を拒絶し始めたとしても、この掌に残る微かなインクの感触だけは、絶対に離さないと誓った。

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