【徒然日記】心を預けられる私で
今日は、闘ってくれた人について。
愚痴を聞いてくれる人。
慰めてくれる人。
そばに座り、言葉を選びながら寄り添ってくれる人。
私は、きっとその役回りを担うことが多い側の人間だと思っています。
今の世界は、やさしさを求めている。共感は安心になり、癒しは価値になる。その需要も、痛いほどわかっています。
けれど、私が本当に心を預けられた人は、少し違っていました。
それは、一緒に闘ってくれた人。
「大丈夫だよ」と言うだけではなく、矢面に立ってくれた人。
私の言葉が誤っているなら、真正面から否定してくれた人。
自分も傷つくかもしれないのに、それでも踏み込んできてくれた人。
安全圏から投げられる言葉は、どうしても軽くなる。
代償を引き受ける覚悟とともに渡された言葉には、重みがある。
もちろん、前提がある。
私の歩く道に筋が通っていること。
ただ盲目的に味方してほしいわけではない。
違うと思うなら、違うと言ってほしい。
私に対して闘ってほしい。
本気の反対は、敵意ではない。無関心だ。
本気の味方は、ときに厳しい。
いちばん苦しいのは、自分は傷つかない場所から、都合のよい言葉だけを差し出す人だ。
火の粉は浴びない。責任も負わない。それでいて正しさだけは語る。
そして、自分の正しさに合わないものを静かに排除しようとする。
その、じんわりと滲む悪意の空気が、私はたまらなく苦しかった。
それでも、「みんなで頑張る」ことをやめられなかった。
やめようとする自分が、どこか卑怯に思えた。
自分だけ抜けることが、正義ではない気がした。
闘ってくれた人は、同じリスクを引き受けてくれた人だった。
傷つく可能性を、共有してくれた人だった。
やさしさだけでは、深く結びつかないことがある。
危うさをともにくぐったとき、信頼が根を張った。
私はこれからも、愚痴を聞くだろう。
慰めもするだろう。寄り添いもする。
けれど、本当に大切にしたい関係には、闘う覚悟がいる。
自分の正しさを疑いながら、
それでも逃げずに、矢面に立つ覚悟。
みんなで頑張ることをやめられなかった自分は、不器用だったのかもしれない。
けれど、その奥にあったのは、孤独への恐れではなく、誠実であろうとする意地だったのだと、今は思う。
その意地を、これからも守れる人でありたい。
二月は逃げると言う。
気づけば、もうすぐ三月。
私にとって大きな分岐点が近づいている。
けれど、どこで何をしていても、私は私でありたい。
そして、一人ひとりの“誰か”と、正面から向き合って生きていきたい。
ライムを炭酸水で割る。
今日は、その酸っぱさを静かに噛み締めながら。
~追記~
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