「孤独があるから、あなたをわかる」――【東方神起・ユノ】『I-KNOW』をfake/docuで読む
0章:前置き ― この文章は「偏愛的読書記録」です
fake/docuという“地図”を手にしてから読んでください
※この文章は、東方神起のユンホ(ユノ)が、ソロとして発表した
1stフルアルバム『I-KNOW』を、fake/docuの構造から読み解く“偏愛的ノート”です。
本アルバムは、収録曲が2曲ずつ対になる実験的な構造を持っています。その前提を知った上で読んでいただけると、より楽しめると思います。
これは、一人のファンとして、そして一人の人間として、推し活という人生の燃料から読み解いた“偏愛的エッセイ”です。
解釈には当然、バイアスやゆがみもありますが、それも含めてお楽しみください。
特定のアーティストの話ではありますが、きっと「あなた」の推し活にある孤独と熱狂にも、どこかで触れるはずです。
1章:最初の混乱 — まだ言葉にできない違和感
『I-KNOW』が差し出した“新しい温度”の前で
『I-KNOW』が発売されてから数日。
仕事や家のことに追われつつ、私はずっと、アルバムの前で足踏みしていた。
fake と docuが、なぜここまで真っ二つなのか。
なぜユノは、このタイミングで"エッセイ"という言葉を使ったのか。
でも、今は分かる。
これは“ユノという人間まるごと”を描くための構造であると。
年単位で予告されていた
フェイクアンドドキュメンタリーである
ユンホ初のフルアルバム
『I-KNOW』が正式に発売された。
先行発表されたのは
『Body Language』と『Stretch』
正直、私にはわからなかった。
こりゃあ、時間かかるぞ!と思った。
なぜなら私は韓国語がわからないのである。
(ちなみに英語も分からない。)
ヨロブン
カスミアッパ
くらいなのである。
読めるハングルはユンホくらいだけ。
チャンミンもギリ、わかるかな。
しかし、韓国語話者のファン以外が、
理解が難しいのは、
ユノも想定済みであろう。
だからこその『Body Language』
ユノが感じてきた言葉の壁、はがゆさ。
逆に、
「もう言葉は要らない!!」
とあらゆる海外のステージで感じたことも何度もあったと思う。
ユノは天性のダンサーであるゆえに持って生まれた
ノンバーバルコミュニケーションと、
世界中にファンがいるからこそ鍛えられた
ノンバーバルコミュニケーションの両方を持っている。
だからこその「ボディランゲージ」である。
この曲は、いま、必然なのだ。
そこまではわかる。
わかります。
2章:fakeに落ちる私 / docuに拒まれる私
「みんなのユノ」を愛してきた自分に気づく
全曲聴いてみた。
私の好きな曲は、見事全て、fakeなのであった。
落ち込む。
私は「みんなのユノ」が好きなのね。
そうだよ。
ユノが「みんなのユノです!」っていうと、異常に安心し、異常にぶち上がり、今日も弾けて楽しむぜ!!!
と思う。
みんなのユノは、みんなのユノなのです。
docuサイドの曲を聞いてみよう。
暗い。全てが暗い。
ユノは頼ってもくれない。
おしゃれなVlogを見ても感じていた
孤独、空虚、
韓国の音楽番組に出ている時に、ファンの応援で助けられながらも、戦うような姿を思い出す。
ユノユノは孤独なんだと。
ごめんなさい、『set in stone』は曲は好きだけど
MVがいろんな別のことを考えてしまうので、
苦手です。
作られた感じがして。
あれ系なら、庵野秀明が作った宇多田ヒカルの『one last kiss』 みたいなのがよかった。
とは言っても、あれは宇多田ヒカルの息子さんが、預かったカメラで大好きな母を撮ったものを、
ワクワクする編集をするならば、当代一の庵野秀明が、ヒカルちゃんの目線がビシバシくるファンにとって刺激的な嬉しい編集をしまくったものらしいので、
やはり、特別なのだ。
じゃあユノだったら、誰が撮ればいいんだろう。
ヒデシさん…?(なんか一番最初に出てきた)
チャンミン…?(僕がユンホの写真。を嫌いなトンペンはおるまい)
妹ちゃん…?姪っ子ちゃん、甥っ子ちゃん…?
ユノが「普通の人の生活のVlogを見ている」と言っていたことが、ずっと胸に引っかかっている。
それは、10代からステージで生き、人生の多くを表現に捧げることによって、
我々が当たり前のように積み重ねてきた日常と、
どこか距離のある場所を走り続けてきた人特有の、
切実なまでの「日常への片想い」のように、私には感じられた。
ユノが時折見せる、市井の人たちの日常に向けられるまなざしは、
どこか心細げで、謙虚すぎるのである。
3章:星野源という“地獄の補助線”
嫉妬から始まる、他人の孤独の読み解き
急だが、私は、星野源が苦手なのである。
見た目が嫌いとかではない。
演技が嫌いでもない。
(エロビデオ先生と、ゲゲゲの弟は好き。)
曲が全部同じに聞こえるから。
全部、ドン!ドン!どんどんどん!!
全部、『イスのおうえんだん』だよ。
(イスのおうえんだんは好きだよ。)
ちがう。
私の大好きなガッキーと結婚した。
そこだと思う。
星野源のくせに。のび太のくせに構文である。
(個人の感想です)
そんな星野源の曲を、
ラジオ番組で、ユノが「聞いた。よかった。」
と言っていた。
星野源さんの最新アルバム、なかなか暗いらしいじゃん?
(聴けよ、という話だが、聴かない。ジジイかよ!!でもここまで言ったら、後で聴いてみるしかない。意外といいんだろうな)
私は星野源のアルバムが暗いのを許したくないのだが、暗いらしい。
なぜ、なぁぜなぁぜ??
あの、ガッキーを妻にし、CDも売れ、ドラマにも出まくり、ライブも成功してる星野源が、
どうして辛いとかいうの?
…許さない。
ガッキーと一緒にいられたら幸せやんけ!!!
家帰ったら、ガッキーおるんやぞ!!!
と、私の中の朝ドラBK方言で、クラスで一番後ろの席にいる襟のカラーがバカ高いリーゼントのヤンキーがそう思うわけです。
本阿弥さやかなら、差し歯が飛んでいっています。
そう、ただの嫉妬です。
4章:孤独は“他人の孤独に気づく鍵”
誰にも言えない地獄を、それでも抱えて生きる話
そこで、視点を変えてみましょう。
どんだけ羨ましいと思う人にも
その人の地獄があるのです。
その人の孤独があるのです。
星野源には星野源の地獄が、
星野源の孤独があると。
だから、ユノの地獄と孤独が、
星野源の楽曲に重なったのだろうか。
ガッキーを妻にした星野源ですら、地獄を持ってて、孤独なんだよ。
だから、人それぞれが持つ地獄も孤独も、
どうしようもないんだわ。
私ももちろん、心の奥底に観音開きで鎖をぐるぐる巻きにして閉じている地獄の扉があり、
それが不意に開いてしまった時、
どうすることもできなくて、柄にもなく泣いてしまうことがある。
そして、地獄なので、
地獄は逃れられないので(だって何千年何万年も永遠に近い時間、毎秒ごと業火に焼かれたり、鬼に串刺しにされたりするんだよ。詳しくは絵本地獄・千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵を読んでね。)
誰にも話すこともできやしない。
大変だったね、とも、そんなの大したことないよ。
とも言われたくない。
それが一人一人が持つ固有の地獄であると思う。
そんな地獄とそこから滲み出てくる孤独と、
人は向き合ったり、無視したり、戦ったりして生きているのである。
誰しもが持っている孤独。
孤独は悲しい、寂しい、そして空虚なのである。
だが、孤独は、愛しいものでもある。
孤独は、唯一“他人の孤独に気づく鍵”でもある。
サンキュー、源。
5章:fakeとdocuの構造を読む
光と闇をわざわざ分けたのは、なぜか?
今回、ユノはアルバムを
『I-KNOW』と名付けた。
ユノは知っている。
では、何を?
みなさまご承知の通り、
デビュー前からもデビューしてからも、
ユノは傷ついて、傷つけられて、もがいて、悩んで、苦しんで、それでも立ち上がってきた。
それがユノユノなのである。
変容し続ける世界に対して、自身は変わらず、
自分を鼓舞する生き様をまざまざと我々に見せつけ続けてきたのがユノであり、東方神起なのである。
ユノが何度も立ち上がってこれた理由の一つが、我々ファンの存在であるとしたら、
震えるほど嬉しいが、それはユノしか知らない。
ファンが傷つくくらいなら、自分が傷つく方がいい。
自分が黙ってさえいれば、我慢すれば、誰かが傷つかないのであればそれでいい。
ユノユノのattitudeはいつもそうなのだ。
そんなユノがめちゃめちゃ歌詞の暗いdocuを出してきた。
どうした?ユノ、わたしはちょっと苦しんだぞ?
話は戻るが、
韓国語がわからないので、どなたかが訳してくださるのを待つしかないのである。
配信はされたものの物理CDは韓国から日本へ届くまで時間がかかり(致し方ないことで誰も悪くない。)
歌詞カードも手元にないので、
ユノ様が歌っていらっしゃる内容もわからないのである。
ああ、ボディランゲージではクリアできない問題。
だが、苦しんだのはそこではない。
歌詞の訳を読んだ。(ありがとうございます)
あっ、マジで頼ってくれてもいない。
前述の通り。
ファンが理想とする、
君がいてくれたから僕は。とか、
君が導いてくれた。などは全てfakeの曲なのです。
ユノ、私が思ってるユノはfake、偽物のユノなわけ??ぴえん。
ピェンロー鍋。
しかし、ハンガリーロケかなんかで、スタッフの方に言われていたよね?
「fakeとdocu分けなくていいんじゃないですか?」
って。
あれをわざわざ見せるということは、そういうことなんだよね?
私がユノを知った頃から、ユノの芯である素晴らしい部分は何も変わってない。
それは、ユノをユノたらしめ、
ファンを安心させ、ユノを愛し続けたい!と思わせる核であるわけだが、
あの頃と今、大きく違っているところは、
ユノはただの明るい若者ではなくなったということだと思う。
思い返してみても、TONE、TIME、TREE、WITHあたりでは、ユノって繊細。と思ったことはなかった。私は。
(深いユノペンさんたちはわかっていらっしゃったんでしょうか?)
常に優しいのは変わらないけどね。
いつも明るくて、ポジティブで、周りのみんなに元気をくれる人だと思っていた。
もちろんそこも大好きだ。大好きだーー!!
そして、これはユノのfakeの部分である。
それは極端に言えば、漫画に出てくるような、キャラクターのような偶像。
ストレートであるが、多面体ではない。
東方神起は、アーティストっていうけど、曲を自分で作ってないし、やってることはアイドルじゃん。
って誰かに言われても、
私はそれを強く否定できなかった。
ライブ、毎回違うから!!!全力だから!!ライブだから!!と言い返すのみだった。
だが、ここ数年のユノは、繊細だと思う。
繊細になったのではない。
つまりは、ユノは自分が繊細であることを隠さなくなったのだと思う。
そして、その勇気は、私の感じるユノのかたちに奥行きを与えた。
大好きな二次元キャラ(初めてライブに行った時、東方神起って本当に存在するんだ?!と思った。これは東方神起あるあるでしょ?)
ほぼ2.5次元だった東方神起が、
自分と同じ寂しさ、孤独を持つ人間として、深度を持ちはじめたのである。
私は自分の地獄が憎い。
そこには、完全に皮の剥かれた新鮮な傷が常にジュクジュクして延々と膿を沸き出そうとしているのがわかっているからだ。
だが、そこから染み出す孤独は嫌いではない。
なぜなら、この孤独がなければ、
ユノの孤独、星野源をはじめとした他人の孤独に気づき、そこから表出されるものを愛することはできないからである。
ユノの業界研究は凄まじいと思う。
この曲が流行っている、この感じがウケている。と。
たぶん、移動の時のイヤホンからは常にいろんな曲が流れているんだろうな。
bubbleのメッセージからは古今東西のあらゆる音楽を聴いていることも伝わる。
(ぜひ日本の90年代半ばの曲もたくさん聴いてほしい。「月」というキーワード縛りでもたくさんあるので。日本のスタッフさん、お薦めしてください)
というか、SMエンタのアーティストがみんなそうだと思う。
お前なんか大したことない。って常に誰かに耳元で囁かれ続けているのか?
と思うくらいみんな謙虚で、努力をし続け、
そして、自分たちの人気が、いつまでもあるものではないと不安でいるように見える。
そんな魑魅魍魎が跋扈する激動の韓国芸能界で、
ユノは20年戦い続けた。
過酷な高校球児の8倍くらいの期間、休まずに戦い続けている、そして今も。
common・普通。ではない。異常である。
ユノのパブリックイメージはこうだと思う。
真面目・誠実・優しい・明るい・熱い・好青年・責任感。
人の心は、まだらであり、ムラがあり、fakeである光もdocuである闇も同時に存在する。
人を形作るfakeとdocuは地続きのグラデーションであって良いし、それが自然な姿である。
一つの曲の中に、どちらの気持ち・どちらの部分もあって良いし、どちらも入る方が自然である。
しかし今回、『I-KNOW』において、ユノははっきりと分けた。
対になる2つの曲を用意し、同じフレーズを使い、光と闇をしっかり表現仕分けたのである。
本来なら、一曲の中に光も闇も、ポジティブもネガティブも混ざっていていいはずだ。
そのほうが、人間としては自然だ。
なのにユノは、あえてfakeとdocuで真っ二つにした。
推測ではあるが、ユノは、一曲ごとに完結する物語を並べるのではなく、
アルバム丸ごとで「ユンホという一人の人間」を描きたかったのだと思う。
だから初のフルアルバム『I-KNOW』を「僕のエッセイ」だと言ったのだ。
fakeとdocuを行き来しながら、一冊のエッセイのように
ユノの心の地図を描いたのが今回のアルバムなんだと思う。
6章:Set in Stone と Take-off の意味
「I knew」と「I will know」、ユノが刻んだ軸
このままでは、自分が枯渇する。(これはインタビューか何かで言っていた)
枯渇🟰大衆に存在を飽きられて忘れられてしまう。
そんな恐れの中で、
自分の中にある
今までの自分のパブリックイメージにはない、
「弱い」と判断されてしまうような気持ちや、
隠しきれなくなってどうしようもない自分
を棚卸し、
言語化し、
fakeもdocu、どちらも自分と受け入れて、
整理し自分を納得させ、
心にあらたなスペースを空けて、
これからも続いていく自分のために、新しい自分を入れる場所を作ってあげた。
20年を超えて初めて自分を全面に出して、少年だった16歳のままの自分の部分すらも大切にした。
自分の変わらないところ、自分の信念、
そして、
これまでの自分、これからの自分の道、
それを高らかに力強く宣言したのが今回の
『I-KNOW』であると。
象徴的なのは、一曲目の『Set In Stone』と、
アルバムの最後の曲『離陸/26 take off』だけが、
対になる曲がないことだ。
逆に言えば、この2曲が構造的には対なのか?
『Set In Stone』は、「確定する」という意味である。
変わらない自分、
今までの自分についての曲である。「I knew」。
過去のユノ、世間に見せてきたユノ、
「こうでなければ」から作られたユノ。
その全てを自分と認めて、固定した。
それに対して『離陸/26 take off』は、
fakeでもdocuでもなく、その両方を抱えた“今”と“これから”のユノの宣言「I will know」だ。
歌詞には、比較で疲れた自分もいるし、取り残された感覚もある。
僕は僕らしくと、自分で自分のフライトを操縦するユノもいる。
過去を『Set In Stone』で刻み込んだから、
ようやく『離陸/26 take off』で、光と闇を両方抱えたまま飛べるようになった。
この曲は、最初から“統合されたユノ”として立っている。
7章:キャラではなく“生身の人間”だという宣言
20年分の核をさらした、初のフルアルバム
ユノは弱い自分も見せることを受け入れた。
自分で自分を許した。
(これは自分との、多くて重い約束を背負い続けていると容易に推測されるユノにとっては大きな勇気だ。)
自分は、キャラクターではなく、生身の人間であることを宣言した。
このアルバムが出る前から、もうわかって(I-KNOW)いたけど、
アルバムが出たらユノにこう言いたかった。
あなたはもうアイドルじゃない。
歌、ダンス、映像、言葉、そしてその源泉であるattitude、
全てを持っている最強で本当の生身のヒーローであり、アーティストだ。
ファンはもう、ユノの繊細も孤独も知った。
赤じゃなく緑色が好きなこと、
演技ももっとやりたいこと、
ファンが自分の一部であると言ってくれたこと。
この流れ、ユノの初の正規一集
『I-KNOW』はファンにとっても、胸に刻まれた消えることのない、位置がずれることのない座標のような(won't fade awayな)揺るぎないアルバム「宝物」になるのであろう。
(アルバムはライブツアーによって完成すると思っているので、現時点では、あろうとさせていただく。)
というか、自力で解く答えにここまでかかってしまったが、
なんと韓国で行われた展示会のパネルにしっかり答えが書かれているじゃないか。
fakeとdocu、その間にあるpairと。
1曲目の『Set In Stone』の英語の歌詞にも全部答えが書いてあるじゃないか。
教科書持ち込んでいいテストじゃないか。
私はあほなのか。
あほというか、言葉がわからないと思い込んでるんだな。
ちゃんとユノは、あほに対しても答えを用意してくれている。
やっぱり優しい。みんなのユノです。
分かるタイミングは、人それぞれ。と言ってくれている。
そこも揺るぎない。
英語も韓国語も、勉強しよ。
しかも私は、ユノが今回用意してくれた膨大なコンテンツたちを1/3も見れていないのである。
全部見れば『I-KNOW』にはきっと新たな発見があるはずだ。
そのくらいファンにとっての濃いプレゼントを発明家でもあるユノは用意してくれた。
(※この文章を書いた後、『set in stone』のMVを、
TVの大きな画面で見直した。
すると、まったく苦手ではなかった。
これまでは、ずっとスマホの画面で見ていたのだ。
ステージを降りても、300%かっこいいユノが、そこにいた。
不思議である。私の受け止め方が、書くことで変わったのだ。
こういう更新が起きるところも含めて「ユノマジック」なのだろう。
ついでに、ずっと気になっていた星野源のアルバムも聴こうと思う。
「イスのおうえんだん」じゃないリズムを、今現在の私は欲しているみたいだ。)
ユノが用意してくれたコンテンツを全部見てから、
インタビューは全て読んでから、感想を書こうと思っていたのに、このように暴走して思いつくまま書いてしまったのは、
今日、東方神起の3度目の日産スタジアムのライブが発表されたからだ。
最高だ。なんなら現場で2人から直接聞きたかった。
嬉しくて眠れない。
8章:ファンが撮るユノという提案
“ユノをI-KNOWしているのはファンだ”という事実
本文ここまで書いてきて思いついたのだけど、
誰がユノを撮るか問題、
ファンが今まで撮ってきたユノでMVを構成するのはどうだろう?
(もちろんいろんな権利等があり非常に難しいのは承知です。基本不意打ち撮りですし。)
特にマスターのみなさま方には額に土をつけてありがとうごぜえますというしかないのだが、
今回のソロカムバで見せていただいている数々のユノ写真、どれも素晴らしいですありがとうごぜえます。
ユノの一番いい表情、ユノは知らないユノ、ユノも知ってるユノを、I-KNOWしてる、わかってるのはファンのみんなだ。
ユノの良さ、ユノも知らなかったり、ユノの弱い部分をチャームだと知っているのは、20年見続けてきたファンのみんなだから。
fake も docu も、その間にある pair も、全部を受け取れるのはファンたち。
それも含めて“I-KNOW”である。
みんなユノが好きだから、
宇多田ヒカルの『one last kiss』に匹敵するものができそう!
【あとがき】
ここに書いたことは、あくまで“今の私の解釈”です。
『I-KNOW』に関するコンテンツはまだ全てを見終えていなくて、
これからもきっと新しい発見があると思います。
でも
今日、東方神起の「日産スタジアム3度目」の発表があった瞬間、
どうしても書かずにはいられませんでした。
これからも、ユノの心にある
ときに燃え盛る火柱のような情熱、
ときに暗闇の中のろうそくの火のようなゆらぎ
そして、焚べた薪が静かに燃える暖炉のようなあたたかさを、
ずっと見続けていきたいと思います。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
