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丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)『日本文学史早わかり』講談社 1978.4  『無地のネクタイ』岩波書店 2013.2  池澤夏樹(1945.7.7- )「メイキング・オブ・文学全集」『池澤夏樹、文学全集を編む』河出書房新社 2017.9

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『日本文学史早わかり』
装幀 和田誠(1936.4.10-2019.10.7)
カバー画 サム・フランシス(1923.6.25-1994.11.4)
講談社 1978年4月刊 180ページ。
2019年2月3日購入 アマゾン中古260円
講談社文芸文庫 2004年8月刊
2012年3月31日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J8PMH4
https://www.amazon.co.jp/dp/4061983784

「日本文学史の大筋と特質がすっきりと頭にはいる独創的な本です。」

「古来、日本人の教養は詩文にあった。だから歴代の天皇は詞華集を編ませ、それが宮廷文化を開花させ日本の文化史を形づくってきたのだ。明治以降、西洋文学史の枠組に押し込まれてわかりにくくなってしまった日本文学史を、詞華集にそって検討してみると、どのような流れが見えてくるのか。日本文学史再考を通して試みる文明批評の1冊。詞華集と宮廷文化の衰微を対照化させた早わかり表付。」

明治大学文学部を卒業した春、
1978年5月に結婚して
四畳半二間(風呂無し)で暮していた頃に読みました。
もう四十年以上前なので、二十代前半でした。

丸谷才一さん(1925.8.27-2012.10.13)による
和歌の鑑賞を読むのなら、一番最初に読むべきものかもしれません。

漢詩~和歌~俳諧~近代詩という日本の詩歌の歴史に注目して、
日本文学史全体を一筆書きのように概観する、
上手な落語家の噺を聴いているような、見事な語り口の文章です。

丸谷才一が発表した長篇小説よりも、
この評論の方が面白い、
後の世にはこの本の方が評価される、
かもしれないなぁなどと私は思ったりしています。

初出一覧(発表年月順)
「趣向について」『文学』1967年3月号「書評 中村幸彦『戯作論』」
「花」『週刊朝日カラー別冊』1970年春季号「花と時間」
「日本文学史早わかり 1-5」『群像』1976年10月号
「香具山から最上川へ」『本』1977年3月号
「歌道の盛り」『別冊太陽』19号 1977年夏
「雪の夕ぐれ」『新潮』1977年8月号
「夷斎おとしばなし」石川淳『おとしばなし集(集英社文庫)』集英社 1977年8月 解説
「日本文学史早わかり 6」『文体』1977年9月創刊号「詞華集的人間」
「文学事典の項目二つ 風俗小説 戯作」『日本近代文学大事典』第4巻 講談社 1977年11月
「ある花柳小説」『里見弴全集』第4巻月報 筑摩書房 1978年2月

「天皇の叙景歌は、国ほめに励みながら四季の正しい循環をことほぐといふ、二重の呪術的態度を底に秘めるものであつた。かういふ潜在的な国ほめの気分は天皇の恋歌にも及ぶ。その最上の例として、いづれも『小倉百人一首』の採るところをあげておかう。

陽成院[869-949]
つくばねの峯よりおつる男女(みな)の川恋ぞつもりて淵となりぬる
[後撰和歌集 巻第十一 恋歌三 771 釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかわしける 百人一首 13]

崇徳院[1119-1164]
瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はんとぞ思ふ
[久安百首 久安六年(1150) 詞花和歌集 巻第七 恋上 229 題しらず 百人一首 77]

自然と人事との照応は王朝和歌の基本のすがただが、それを最も大柄に示すのは天皇たちのこの種の恋歌であった。そこでは、男女の痴情はまことにおつとりと山水に合体し、様式化された風景が閨房の戯れを壮大に祝福するのである。かういふ詠歌の方法と国見の伝統とに関連を見ようとしないことは、ほとんど不可能だらう。

天皇の歌のこのやうな調子は宮廷の和歌の本質を決定したし、堂上の和歌のかうした傾向は、単に日本の詩の基調となつただけではなく、また、日本文化全体の性格に深くかかはることになつた。江戸の人々が花見や雪見や月見にあれほど熱中したのも、実は古代以来の国見のゆかりによるものと考へるのが正しい。一杯ひつかけて風景美を玩賞する行楽は、国土の安穏と五穀の豊穣を祈る庶民版の儀式だつたのである。」
p.92-93「香具山から最上川へ」『本』1977年3月号

「大岡信は、敦道親王、[藤原]公任、和泉式部の歌合戦に注目して、あれは昔ふうの歌の名手が彼女の新風にすつかり辟易した事件で、平安中期の好尚の移り変りがここに凝縮してゐる、といふ意味のことを述べてゐたが(『うたげと孤心』[集英社 1978.2 『すばる』1973年6月~1974年9月連載])、事実、公任は花山院の命を受けて『拾遺抄』を編んだとき、この女流歌人の詠は一首も収めなかつた。

その約十年後、この私撰集をもとにして花山院が『拾遺集』を編むに当っては、巻第二十哀傷に
くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
が一首撰入しただけである。そして次の勅撰集『後拾遺』では撰入数は六十七。」 p.72「日本文学史早わかり」『群像』1976年10月号

「[勅撰集の撰者である]詩人=批評家にとつては、当代の佳什をよりすぐる作業、つまり文藝時評や現代文学全集の編纂に見立てることのできさうな仕事ももちろん大事だけれど、もつと重要なのは、在来の勅撰集に洩れてゐた古歌の秀逸を拾ひあげる、再評価の試みであつた。

たとへば和泉式部の恋歌のうち、
『千載』(撰者は藤原俊成)は、
いかにしてよるの心を慰めむ晝はながめにさても暮しつ
これもみなさぞな昔の契りぞと思ふものからあさましきかな
といふいかにも『千載』好みの、といふよりも『後拾遺』や『金葉』や『詞花』のころには激しすぎて厭はれたにちがひない作を取上げ、

さらに進んで
『新古今』(実質上の撰者は後鳥羽院で、最も有力な編纂助手は藤原定家)では、
枕だにしらねばいはじ見しままにきみ語るなよ春の夜の夢
今朝はしもなげきもすらんいたづらに春の夜ひとよ夢をだにみで
といふ、いつそ淫蕩放逸な趣を喜んで撰入する。

ところが
『風雅』(石田吉貞の説によれば実質上の撰者は花園院)になると、
人はゆき霧はまがきに立ちどまりさも中空にながめつるかな
水鶏だにたたく音せば真木の戸を心やりにも明けて見てまし
といふ、京極派ふうの静寂と繊細に通ずる詠を収めることになる。

このやうに、それぞれの時代の美意識を主張し、その美意識によつて過去の文学作品の清新な局面を発見し紹介するのが、撰者たちの務めであつた。」p.41「日本文学史早わかり」『群像』1976年10月号

「江戸時代の人々の『新古今』尊崇をよく示すものとしては、俳諧師たちのこの集に対する憧れがある。芭蕉は、例の有名な文章のなかで、
わたしの俳諧は夏の炉、冬の扇のやうなもので、世の人々の求めるところと異り、実用性はちつともない。しかし実用には役立たなくても、釋阿(俊成のこと)や西行の和歌となると、軽く詠み捨てた即興的な作でも人の心を打つ。だから後鳥羽院も、彼らの和歌は真実がこもつてゐてあはれ深い、と批評したのだ。それゆゑ俳諧に遊ぶ者は、後鳥羽院のこの言葉をたよりにして、細い一筋の道をたどるのが正しい。

[予が風雅は、夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて、用ふるところなし。ただ、釈阿・西行の言葉のみ、かりそめに言ひ散らされしあだなるたはぶれごとも、あはれなるところ多し。後鳥羽上皇の書かせたまひしものにも、「これらは歌にまことありて、しかも悲しびを添ふる」と、のたまひはべりしとかや。されば、この御言葉を力として、その細き一筋をたどり失ふことなかれ。「柴門の辞 許六離別の詞」元禄六年(1693)芭蕉50歳]
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/saimon/saimonji.htm

と弟子に諭して、彼の『新古今』への傾倒ぶりを見せた。」
p.102-103「歌道の盛り」『別冊太陽』19号 1977年夏

「江戸の文学趣味の基本は『新古今』であった。『小倉百人一首』は藤原定家が『古今』から『新勅撰』まで九つの勅撰集から秀歌を選んだものだが、大切なのは、その選び方が『新古今』時代の趣味によつてなされてゐるといふことである。王朝和歌が江戸の文明と密接な関係を持つたのは『百人一首』によつてであつた。ところがその『百人一首』は極めて特殊な角度、『新古今』的な角度で切り取られた、王朝和歌なのである。江戸時代の文学者にとつては、『新古今』は現代文学の出発点のやうなものであつた。」p.107-108「歌道の盛り」『別冊太陽』19号 1977年夏

「藤原定家 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ 『新古今和歌集』巻第六冬歌[671 百首歌たてまつりし時 正治二年(1200)[後鳥羽]院初度百首]」p.111

「古来、本歌どりの模範としてあがめられてきた、
『萬葉集』巻第三雑歌、
長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)
苦しくも降り来る雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに
の本歌どりである。」p.115

「定家が描いたのは、何の用で雪の夕べに馬を進める男だらうか。わたしは、人を訪ねる男だと思ふ。在原業平のやうに誰かのところへ逢ひに行つたのだ。そして、その相手はおそらく(業平の場合[惟喬親王 伊勢物語82段・渚の院]と違って)女だつたのではないか。」p.123

「待つてゐるのは誰か、訪れるのは誰か、を探るためには、一首と『源氏物語』の関連について考へなければならない。」p.127

「「『源氏』見ざる歌詠みは遺恨の事なり」といふ名せりふを吐いた藤原俊成の息子であれば当然のことだが、定家にとつて最も重要な歌書は『源氏物語』であつた。

彼ひとりに限らず、御子左の家の歌人全体にも、『新古今』歌人全体にも当てはまることだが、和歌の具体的基盤である宮廷が衰へかけてゐた時代、和歌を溶けこませ流しこむかたちで形成されてゐるあの古い物語は、逆に、歌道の規範となった。

最も熱心な『源氏』読みが俊成・定家の父子であった。彼らは、『源氏』の情景を歌に詠み、作中人物の贈答歌を本歌とし、作中人物が引用する(部分を口ずさむ)古歌の本歌どりをおこなつた。そして「雪の夕ぐれ」の本歌は『源氏』東屋における引歌なのである。」p.128

「薫がつぶやく「佐野のわたりに家もあらなくに」だけで、『源氏』が書かれたころの読者には全部が判つたわけだから、『萬葉』の歌と言つてもずいぶん有名なものだつたにちがひない。

定家にとつてこの歌は、『萬葉』の歌といふよりむしろ『源氏』の引歌で、つまり東屋の筋および情景と密接に結びついてゐた。「苦しくも降りくる雨か」は薫が浮舟とと契る直前につぶやく歌、あるいはまた、薫が浮舟と契るためにはるばると訪ねてきてそのあげくに口ずさむ歌である。」p.132

「定家の一首が描いてゐるのは、馬で、一人か二人を従へて、雨の宵ではなく雪の夕べ、浮舟に逢ひにゆく薫であつた。ぢかに描いてゐると述べては言ひすぎになるならば、さういふ面影をしのんでゐると言ひ直さうか。とすれば、一首が単に雪の旅の苦しさを詠んだだけの辛い歌、ではなく、艶麗な歌であるのは、むしろ必然的な結果であつた。この三十一音には恋ごころが仕掛けられてゐる。」
p.133「雪の夕ぐれ」『新潮』1977年8月号
『新々百人一首』新潮社 1999.6 再録

https://manapedia.jp/text/3671
伊勢物語『渚の院(昔、惟喬親王と申す親王おはしましけり)』の現代語訳と文法解説

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「指導的な批評家」
『図書』2003年11月号「バオバブに書く」
『無地のネクタイ』
岩波書店 2013年2月刊
https://www.amazon.co.jp/dp/4000022288
「『日本文学史早わかり』[講談社 1978.4]といふ本を書いたことがある。何につけても異を立ててゐる本だ。
まづ時代区分が違ふ。文学そのものによる時代区分を案出した。

巻末につけた年表に「指導的な批評家」といふ項目を設けた。
第二期のそれは紀貫之、第三期と第四期は藤原定家、第五期は正岡子規。

売れ行きはまづまづだつたし、文庫本も出た(解説は大岡信[1931.2.16-2017.4.5]さん)。
島田謹二[1901.3.20-1993.4.20 東京大学教養学部大学院比較文学比較文化専修課程初代主任教官 小野二郎先生(1929.8.18-1982.4.26)の恩師]が絶讃したのださうで、駒場方面でよく読まれたといふ噂を十年くらゐ経つてから耳にした。

指導的な批評家といふ概念は、わたしが王朝和歌とさんざんつきあつたあげくのお土産である。定家卿の権威が長くつづいたし、その前には貫之の支配力がすごかつた。そして子規は、本当は定家を倒したかつたのに、江戸後期における彼の声望が高かつたから、ちよつとはづして貫之を叩いたのかもしれない。

とにかく日本文学はこの三人の詩人=批評家に導かれてゐる。
そして似たやうなことがイギリス文学史にある。
ジョンソン博士、コールリッジ、T.S.エリオット。
この両国の文学事情のせいであの項目は生じたし、それにこれを入れると時代相がぐつと鮮明になると思つたのだ。

第五期はやがて終る。ひょつとすると、もうすでに終つてゐるのかもしれない。そして、第六期の指導的な批評家はおそらく吉田健一だらう。」p.23-27

『池澤夏樹、文学全集を編む』
河出書房新社 2017年9月刊
https://www.amazon.co.jp/dp/4309026087
池澤夏樹(1945.7.7- )
木村由美子(「世界文学全集」編集長)
東條律子(「日本文学全集)編集長)
「メイキング・オブ・文学全集」

「池澤 準拠すべき批評家として折口信夫がいて吉田健一がいて丸谷才一がいる。佐藤春夫や中村真一郎もいた。眼力がある批評家によって編むのがアンソロジーであって、それは個々の創作を超える文学の基本活動であると丸谷さんは言っていた。

かっては紀貫之であり藤原定家であり、ずっと時代が下って芭蕉になって正岡子規になって、今は吉田健一(実は丸谷才一もと彼は言いたかったのでしょう)。小林秀雄ではないと。

東條 編集会議のときに時々、(頭上を指して)「丸谷さんがこの辺にいるから」とおっしゃっていましたね。

池澤 いるけど、口は出さないでいてくれた。正直に言えば丸谷さんがご存命だったらやりにくかったと思います。僕はもし彼がいたらある程度のところで彼の所に行って「こんなものでどうですか」と、そこで彼が何か言うと、そうかなと思いながら変えたと思う。敬愛するけど煙たくもあるんですよ。」 p.160


読書メーター 丸谷才一の本棚(登録冊数175冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091201

高校生の頃(1970-72)に読んだ
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一
『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』早川書房 1963.8
https://note.com/fe1955/n/n26e000989c48
以来五十年ぐらい読み続けてきました。

昔、図書館で借りて読んだ丸谷才一本を、
この数年、アマゾン中古で廉価本を見つけると購入していて、
蔵書が20数冊増えました。

再読のたびに、若い頃は何を考えながら、
この文章を読んでいたんだろう? 
と思うことがたびたびあります。
全然内容や記述を憶えていないじゃないか、
と呆れることもしばしば…。
少年易老學難成
Ars longa, vita brevis.



https://note.com/fe1955/n/n49dc2860af81
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『梨のつぶて 文芸評論集』晶文社 1966.10

https://note.com/fe1955/n/n3c66be4eafe5
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『日本詩人選 10 後鳥羽院』筑摩書房 1973.6

https://note.com/fe1955/n/n56fdad7f55bb
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『樹液そして果実』集英社 2011.7
『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9 
『恋と女の日本文学』講談社 1996.8

https://note.com/fe1955/n/na3ae02ec7a01
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「昭和が発見したもの」
『一千年目の源氏物語(シリーズ古典再生)』
伊井春樹編  思文閣出版 2008.6 
「むらさきの色こき時」
『樹液そして果実』集英社  2011.7

https://note.com/fe1955/n/n2b8658079955
林望『源氏物語の楽しみかた(祥伝社新書)』祥伝社 2020.12
『謹訳 源氏物語 私抄 味わいつくす十三の視点』祥伝社 2014.4
『謹訳 源氏物語 四』祥伝社 2010.11
『謹訳 源氏物語 五』祥伝社 2011.2
丸谷才一「舟のかよひ路」
『梨のつぶて 文芸評論集』晶文社 1966.10

https://note.com/fe1955/n/n1998cbebf2ac
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『挨拶はむづかしい』朝日新聞社 1985.9

https://note.com/fe1955/n/nd41726da27bb
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『快楽としてのミステリー(ちくま文庫)』
筑摩書房 2012.11

https://note.com/fe1955/n/nf236daad7399
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一
『決定版 深夜の散歩 ミステリの愉しみ』講談社 1978.6

https://note.com/fe1955/n/n26e000989c48
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一
『深夜の散歩 ミステリの愉しみ(創元推理文庫)』東京創元社 2019.10


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