ぼくのエリ 200歳の少女(2008/スウェーデン/監督トーマス・アルフレッドソン)
いじめられてばかりの12歳の少年・オスカーは、隣の家に越して来た少女・エリに出会う。彼女は夜にだけ外出し、キャンディも食べられない不思議な少女だった。同じ頃、街では不可解な失踪や殺人が起こり始め、オスカーはエリがバンパイアだと気付く。(フィルマークスより)
昔ヒューマントラストシネマで観て、15年ぶりくらいにアマプラで再鑑賞しました。
数日経っても断片が浮かぶいい映画体験だったことだけ強く印象に残っている、忘れられない一本です。ホイテ・ヴァン・ホイテマを意識するきっかけになった作品でもあり、改めて観るとホイテマの映像美とオスカー役のカーレくんの透明感に拠るところが大きいな、と。
公開時の平沢薫さんのレビューにあった言葉がこの映画を端的に言い表していて、"人間の根源的な孤独を描く物語”ですね。
人間が持ち合わせているある一定量の孤独、それを癒してくれるのは家族や友人とは限らない、他者とのぬくもりでしか解決できない類の孤独を感じた。
「きみとは友達にならないよ」
「なぜ」
「だってなりたいって顔してた」
12歳の少年へ放った言葉は強烈だ。そのあと何度も自分が少女でなくても気持ちに変わりはないのかと確認するエリ。200年もの間、何度もそのやりとりをしてきて、ときに拒絶され血の涙を流し傷ついてきたのかと思うと胸が痛い。パートナーを失い、衝動的に人を殺してしまったときの涙。運命を受け入れるには幼すぎる。
一方、オスカーが抱える現実も過酷だ。家庭か学校か、そのどれかに自分を受け入れてくれる人間がいない。むしろ罵倒され虐げられる日々。少年の世界は狭い。ほんの一瞬見せる年相応の邪気のない笑顔が痛い。その後の現実が想像をついてしまうから。
孤独が二人を引き寄せ、生き延びるために手をつなぐ。恋とか愛とか情とか説明できるなにかではなく、もっと強い力で互いを受け入れたことに胸が熱くなる。そして少なくとも今よりは希望を感じさせる未来に。
