ないものは作る 外伝2 「無知——なぜ、僕はこんな人間になったのか」
なぜ、僕はこんな人間になったのだろう。
一人でセキュリティを背負い、嫌われても正しいことを言い、誰も作らないなら自分で作る。コンサルにも頼らず、後任もいないまま、ただ仕組みを回し続けている。
こういう生き方を、僕は誰かに教わったわけではない。マニュアルがあったわけでもない。気づいたら、こうなっていた。
でも、ふと手を止めて考えると、一人の人の顔が浮かぶ。
大場さんだ。
僕がこの会社に入って半年ほど経った頃に、中途で入ってきた人。最後はプライドの塊のようになって、自分の作った仕組みを誰にも変えさせず、定年で去っていった人。晩年の大場さんは、決して扱いやすい人ではなかった。
でも、僕が「こんな人間」になった原因を辿っていくと、必ずこの人に行き着く。
少し、昔の話をさせてほしい。
僕は、この会社に新卒で入った。社会人として、何も知らない状態で放り込まれた。
その半年ほど後に、大場さんが中途で入ってきた。どこの部署の所属だったのか、当時の僕にはよくわからなかった。わからないまま、大場さんは入社してすぐ、ある仕事に没頭し始めた。
情報セキュリティのマネジメントシステムの構築だ。
今でこそISMSという名前で知られているが、当時はその前身にあたる規格だった。日本ではまだ、ほとんど誰も取り組んでいない時期だ。情報セキュリティという言葉自体が、世間にまだ馴染んでいなかった。そんな頃に、大場さんは一人で、その認証を取りにいった。
今から思えば、とんでもない先見性だった。何年も先に来る時代を、大場さんは先回りしていた。
当時の僕は、その大きさをまるで理解していなかった。
僕に与えられた仕事は、実働だった。情報資産の目録を作るために、一つひとつの機器にラベルを貼り、資産番号と紐づけていく。書類をファイリングする。そして、サーバー室の片付け。
そのサーバー室が、ひどかった。物が、とにかく多い。使われているのか使われていないのかわからない機器、配線、段ボール。足の踏み場を確保するところから始めなければならなかった。
——後に僕は、ある問題拠点のサーバー室を見て、呆れ返ることになる。記録もない、物だらけの部屋。実を言うと、僕のキャリアは、あれとほとんど同じ部屋の片付けから始まっている。何十年も経って、僕は自分の出発点とそっくりな部屋に、再会したことになる。
大場さんは、新卒の僕に優しかった。
下働きをしている僕に、丁寧に指示を出してくれた。怒鳴ることもなく、急かすこともなく。たぶん、向こうから見れば、僕はまだ何も知らない子どもだったのだろう。
そして、いつの間にか、認証は取れていた。
正直に言うと、最初の審査の記憶が、僕にはまったくない。気づいたら、会社は認証を取得していた。僕はラベルを貼り、書類を綴じ、部屋を片付けていただけで、全体像など見えていなかった。大場さんが一人で大きな絵を描いていて、僕はその絵の、ほんの隅の方を塗っていただけだった。
当時の僕は、それでよかった。新卒とは、そういうものだ。
下働きの新人は、やがて、与えられた持ち場を持つようになる。僕の場合、それがIT部門だった。サーバーの面倒を見るのが仕事になった。
ラベルを貼る側から、そのラベルが貼られた機器を、実際に動かし、守る側へ。少しずつ、僕の仕事は変わっていった。そして、大場さんとの距離も、また少し変わっていく。
組織は時々、形を変える。ある時期、組織改変があって、IT部門のトップが大場さんになった。情報セキュリティを立ち上げた人が、ITの責任者も兼ねる。僕は、その部下として、相変わらずサーバーの世話をしていた。
そんな時に、あの事件が起きた。
ループ障害だ。
ネットワークの世界には、ループという現象がある。配線が輪のように繋がってしまうと、データが永遠にぐるぐると回り続け、増殖し、ネットワーク全体を埋め尽くす。ブロードキャストストーム、と呼ばれる。通信が、雪崩のように溢れて、何もかもを飲み込む。
その日、全社のネットワークが、麻痺した。
設計上は、こんなことは起きないはずだった。ネットワークはセグメントに分けられていて、本来なら、ストームは一つのセグメントの中で止まる。境界を越えないはずだった。
ところが、その日のストームは、セグメントの境界を越えていた。仕組みの上では防げているはずのものが、現実には防げていなかった。全社が、大騒ぎになった。
そして僕が、原因を突き止めて解消する役回りを、おおせつかった。
——どこなのか、わからない。
広大な社内ネットワークのどこかに、たった一本、輪になった配線が潜んでいる。それを探し出さなければならない。砂浜に落とした針を探すような話だった。全社の業務が止まり、みんながこちらを見ている中で、僕は一人、見えない一本のケーブルを追っていた。
ループだから、原因は、直前に配線をいじった場所のはずだ。最近、LANの結線作業をしたところはどこか。その線で絞り込もうとしていた。でも、社内は広い。心当たりが、多すぎる。
焦る僕の横で、大場さんがぽつりと言った。
「あそこのチーム、今日、引っ越し作業してなかったか?」
さらりとした一言だった。
僕は、はっとした。言われた部屋へ走った。そこには、机やキャビネットを動かして、引っ越し作業をしているチームがいた。彼らは、自分たちがネットワークを麻痺させているなど、まったく知らずに、黙々と作業をしていた。
その部屋のLANを確認した。あった。輪になった配線。ループ結線だ。
それを直した瞬間、全社のネットワークが、息を吹き返した。
二つのことが、僕の中に深く刻まれた。
一つは、結線をしていたのが、IT部門ではなく、総務だったことだ。技術の人間ではない。ネットワークの知識など持たない人たちが、引っ越しのついでに、よかれと思ってケーブルを繋いだ。その一本が、全社を止めた。技術部門の管轄の、外側で、事故の種は生まれていた。
——後に僕は、この構図を、何度も繰り返し味わうことになる。範囲外の海外拠点でパソコンが盗まれ、管轄外のIT環境に弱点が見つかり、防災担当でもない自分が避難計画を作る。仕組みの外側で、事故はいつも起きる。その最初の一つが、あのループ結線だった。
もう一つは、大場さんの、あの一言だ。
僕は、技術で絞り込もうとしていた。配線図を睨み、ログを追い、ネットワークの理屈で原因に近づこうとしていた。でも、最後の一歩は、技術ではなかった。「今日、あの部屋で引っ越しがあった」という、人の動きの記憶だった。
技術と、現場の人の動き。その両方を見ている人間だけが、点と点を繋げられる。大場さんは、それを当たり前のようにやってのけた。
情報セキュリティは、技術だけでは完結しない。最後は、人の行動に行き着く。僕が後に何度も思い知らされるこの事実、その原型は、あのループ障害の日に、大場さんが見せてくれたものだった。
大場さんとの記憶は、仕事の場面ばかりではない。
ある時期、大場さんは管理側を離れて、業務の現場——工場の製造ラインを束ねる管理者になったことがある。それまでずっと管理部門にいた人が、初めて、交代勤務の現場に出た。
夜勤を、初めて経験したらしい。
慣れない夜勤は、体に堪える。ある夜、勤務を終えた大場さんは、疲れ果てて、ノートパソコンを道端に落とした。情報セキュリティを立ち上げた人が、情報資産そのものを、道に落とした。皮肉な話だ。
そして、その数時間後だったろうか。たまたま僕が、その道を通りかかった。
道端に、ノートパソコンが落ちていた。
拾い上げて、誰のものか調べてみた。大場さんのものだった。
——いつも、拾われてきたのは僕の方だった。それなのに、その時だけは、僕が大場さんを拾った。立場が、一瞬だけ、入れ替わった。本人は、自分が落としたことにも、僕が拾ったことにも、しばらく気づいていなかったと思う。ちょうど、大場さんが僕を守ってくれていたことに、僕が長いあいだ気づかなかったように。
そう、僕は、何度も大場さんに拾われていた。当時は、知らなかったけれど。
道に落ちたパソコンを拾うような、目に見える形ばかりではない。大場さんは、もっと大きなところで、僕を拾っていた。それを思い知ったのは、僕自身が、文字通り倒れた時だった。
僕は一度、大きなプロジェクトをやり遂げた直後に、体を壊して入院した。
長期になりそうだった。当時の規定では、本来なら、退職扱いになるところだった。
その頃、大場さんは、人事のトップも務めていた。情報セキュリティを立ち上げ、ITを束ね、そして人事まで見ていた。何足の草鞋を履いていたのか、わからない。
大場さんは、指示を出していたらしい。僕を退職にせず、休職扱いにしろ、と。退職させるな、と。
「らしい」と書いたのは、僕がそれを、ずっと後になってから知ったからだ。当時の僕は、自分が守られていたことを、知らなかった。
それだけではない。
僕は当時、契約社員だった。何年経っても、正社員に登用されなかった。そんな僕のために、大場さんは、IT向けの正社員登用試験を用意してくれた。
試験を受けた。専門科目は、ほぼ満点だったらしい。
それでも、僕は落ちた。
理由は、一般常識だった。専門は飛び抜けていたのに、一般常識の問題が、壊滅的だったのだ。世の中の常識を問う問題で、僕は派手に転んだ。
大場さんでも、救えなかった。
——専門のことなら誰にも負けないのに、当たり前のことが抜けている。試験には現場の経験で受かるのに、人の機微には鈍い。僕という人間の不器用さは、この頃から、もう始まっていた。大場さんがどれだけ手を尽くしても、僕の、その穴だけは埋められなかった。
笑い話のようだが、当時の僕は、たぶん笑えなかった。
僕は一度、大きなプロジェクトをやり遂げた直後に、体を壊して入院した。
長期になりそうだった。当時の規定では、本来なら、退職扱いになるところだった。
その頃、大場さんは、人事のトップも務めていた。情報セキュリティを立ち上げ、ITを束ね、そして人事まで見ていた。何足の草鞋を履いていたのか、わからない。
大場さんは、指示を出していたらしい。僕を退職にせず、休職扱いにしろ、と。退職させるな、と。
「らしい」と書いたのは、僕がそれを、ずっと後になってから知ったからだ。当時の僕は、自分が守られていたことを、知らなかった。
それだけではない。
僕は当時、契約社員だった。何年経っても、正社員に登用されなかった。そんな僕のために、大場さんは、IT向けの正社員登用試験を用意してくれた。
試験を受けた。専門科目は、ほぼ満点だったらしい。
それでも、僕は落ちた。
理由は、一般常識だった。専門は飛び抜けていたのに、一般常識の問題が、壊滅的だったのだ。世の中の常識を問う問題で、僕は派手に転んだ。
大場さんでも、救えなかった。
——専門のことなら誰にも負けないのに、当たり前のことが抜けている。試験には現場の経験で受かるのに、人の機微には鈍い。僕という人間の不器用さは、この頃から、もう始まっていた。大場さんがどれだけ手を尽くしても、僕の、その穴だけは埋められなかった。
笑い話のようだが、当時の僕は、たぶん笑えなかった。
そして、僕がセキュリティ部門に来てから、大場さんとの距離は、一気に近くなった。
近くなって、何が起きたかというと——話を、浴びるように聞かされた。
毎日、一時間以上。大場さんの話を聞く時間があった。情報セキュリティのこと、過去のこと、世の中のこと。とにかく、よく喋る人だった。ITにいた頃は「詳しくは分からなかった」人の中身が、今度は、あふれるほど流れ込んできた。
その中で、大場さんが口酸っぱく言っていた言葉がある。
「“I know that I know nothing”——お前たちは、何も知らないんだ。それを、知れ」
ソクラテスの言葉だった。無知の知。知らないということを、知れ、と。
英語で言うあたりが、いかにも大場さんらしかった。気取っている、と言えば気取っている。でも、その一言は、妙に頭に残った。
当時は、説教くさいと思っていた。何度も同じことを言われて、正直、またか、と思うこともあった。
でも、今ならわかる。
情報セキュリティで一番危ないのは、「自分は大丈夫」「うちは問題ない」という慢心だ。知らないことを、知らないまま放置することが、最大のリスクになる。「丘の上だから安全」と思い込む。「不適合が出ていないから今のままでいい」と考える。その油断の隙間から、事故は忍び込んでくる。
大場さんは、それを早すぎるくらい早く、見抜いていた。
そして、この言葉は、年を追うごとに、重くなっている。
僕が大場さんに教わった頃よりも、今のセキュリティは、比べものにならない速さで変化している。クラウド、新しい攻撃、新しい規格。知ることに、終わりがない。知れば知るほど、知らないことが増えていく。サーバーのことも、クラウドのことも、僕は知らないことの方が、ずっと多い。
知った気になった瞬間に、足元が崩れる。だから「無知の知」は、精神論ではなかった。この分野で生き延びるための、実践的な必須条件だったのだ。
——知った気になっているのが、たいていIT部門なのだが。これは、内緒の話にしておく。
大場さんは、僕に、種を蒔いていた。
「脆弱性診断は、これから流行る。今のうちに取っておけ」。そう、いの一番に言ったのも、大場さんだった。当時はぴんと来なかった。でも、その一言は、僕の頭の隅にずっと残っていた。何年も経って、僕が自社で診断をやろうと舵を切る時、その種が、芽を出した。
新卒の下働きも、ループ障害も、守られた休職も、「無知の知」も、脆弱性診断の一言も——大場さんは、僕の中に、いくつもの時限式の種を蒔いていた。その時にはわからない。ずっと後になって、効いてくる。
大場さんは、完璧な師ではなかった。
知らないことを知れと説きながら、晩年の大場さんは、自分の作った仕組みに固執した。誰にも変えさせず、新しい時代に合わせることを拒んだ。無知の知を説いた本人が、最後は「自分はもう知っている」という場所から、動けなくなっていた。
説いた本人が、自分の言葉の罠にはまった。
それを、僕はすぐ近くで見ていた。尊敬していた人の、その矛盾も含めて。
でも、人間とは、そういうものなのだろう。完璧な師など、いない。教えと、弱さは、同じ人の中に同居する。
——そして、白状すれば、僕も同じ穴を持っている。審査の直前に、動いているシステムをわざわざ作り直したことがある。作りたくて仕方がない。自分の作ったものに、手を入れ続けてしまう。大場さんの「自分の仕組みへの固執」は、形を変えて、僕の中にも流れている。教えだけでなく、弱さまで、僕はこの人から受け継いでしまった。
なぜ、僕はこんな人間になったのか。
答えは、たぶん、単純だ。
僕は、一人で全部を背負う人の背中を、一番下から、ずっと見ていた。
新卒で、ラベルを貼りながら。IT部門で、サーバーの世話をしながら。ループ障害の現場で、あの一言を聞きながら。守られていることも知らずに、守られながら。
当時は、何もわかっていなかった。ただ下働きをして、ただ拾われて、ただ異動させられていた。その全部の意味が、自分が一人でセキュリティを背負う今になって、ようやくわかる。
そして、わかった時には、もう僕は、大場さんと同じことをしている。
一人で背負い、嫌われても正しいことを言い、ないものは作り、自分の作ったものに固執する。教えも、強さも、弱さも、全部、あの人から受け取っていた。受け取っているなんて、当時は思いもしなかったのに。
わからないまま刻まれて、わかった時には、もう「こんな人間」になっていた。
大場さんは、もういない。定年で去っていった。
最後の方は、扱いにくい人だった。プライドの塊で、自分の仕組みを守ることに必死で、新しいものを拒んだ。そういう大場さんも、確かにいた。それは、嘘ではない。
でも、それだけの人ではなかった。
新卒の僕に優しかった人。ループの原因を一言で当てた人。僕を退職から救った人。落第する僕のために、それでも試験を用意した人。何も知らないということを知れ、と毎日のように説いた人。そして、道端で、僕が一度だけ拾った人。
僕が今、こうして一人でモニターに向かっていられるのは、あの人が蒔いた種のおかげだ。
デスクの上の、宮野のマグカップにコーヒーを注ぐ。一口飲んで、僕はまた、知らないことを学びに、画面に向き直る。
“I know that I know nothing.”
はい、大場さん。僕はまだ、何も知りません。だから、今日もまた、ないものを作りに行きます。
外伝3 「配送」へ続く
