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紀行note 兵庫県明石市 花や今宵のあるじならまし ~ 腕塚神社 妙見社 明石神社 明石城跡 ~

おはようございます 明石散策の続きです。
前回 山陽電車の人丸前駅から北へ進み 柿本神社 ならびに 人麿山月照寺 へ参りました記事を投稿しましたが、その前にひとつ 寄り道をしています。

人丸前駅から西へ線路に沿うように少し歩くと 腕塚神社 があります。狭い境内に小さな社が建ちます。
いわくありげな神社の名前に惹かれて参りました。

腕塚神社

腕塚神社の御祭神は 薩摩守 平忠度たいら の ただのり 朝臣です。
忠度は平清盛の異母弟。文武に優れた人であり、歌人としても知られる。
平家が都落ちをしたとき 藤原俊成 に歌を託した逸話は広く知られている。

俊成は『千載和歌集』に 朝敵となった忠度の名を伏せ よみ人しらず として一首を載せた。

 さざなみや志賀の都は荒れにしを
  昔ながらの 山桜かな

寿永三年(1184)二月七日 一の谷の合戦に敗れた平家の大将忠度は、この地で源氏の岡部忠澄と戦い、右腕を切り落とされる。
もはやこれまでと念仏を唱える忠度を岡部が討ち取る。

しかし岡部は平家の大将らしいが誰の首を取ったか知らない。
えびらに結ばれた文に書いてある和歌から 討たれたのが忠度であると知り、その死を敵も味方も嘆き惜しんだという。

 ゆきくれての下かげをやどとせば
  花やこよひのあるじならまし

腕塚神社

敦盛最期と様子が似ている。逃げ落ちようとするところを源氏の武将につかまり、身分を名乗らず潔く最期を迎え、死後にその所有物により身元が分かるという趣向。

腕塚神社 由緒碑

腕塚神社の近くには 忠度塚 がある。忠度塚にはお参りするのを失念した。
ちなみに神戸市長田区にも腕塚と胴塚があるそうで、どれがホントか存じませんが今後の散策の課題です。

さて 腕塚神社を後にして 柿本神社 ならびに 月照寺 を参り、その先に話の駒を進めます。

国土地理院 地図

月照寺 柿本神社 の前の道を西へ進むと日蓮宗の 本松寺 があります。こちらにはうかがいませんでしたが、宮本武蔵作の庭があるそうです。お寺の北西には鎮守 妙見社 があります。
妙見社の額を架けた鳥居の先には、仏堂のような建物。神仏習合好きには惹かれる空間です。

本松寺鎮守の妙見宮
妙見社境内
妙見社

こちらの妙見尊は 島左近 が崇敬していた尊像で、のちに明石藩に仕え本松寺の檀徒となった末裔から奉納されたものだそうです。
島左近は石田三成の側近。関ケ原で戦死したと思われるが、生き延びたという説もある。

妙見社をさらに西に進むと、住宅地の中に 明石神社 がある。

明石神社

近年、建て替えられたのか、白い綺麗な拝殿。神社らしからぬ趣きで、狛犬がいなければ町の公民館にも見えてしまう。

真横からみると神さまのいらっしゃる本殿は屋根の両端にX状の 千木ちぎ をつけ、棟には3本ばかり横棒状の 鰹木かつおぎ をいただいているので、神社建築を踏まえているのが分かる。

明石神社 側面

明石神社は、九代明石城主の松平直常が、松平家の先祖の徳川家康、松平直良、直明の霊を祀ったのがはじまり。

さて、明石神社からさらに西へ進むと 明石城跡 に入ります。
ビルなどが視界を邪魔してますが、明石海峡と淡路島が望めます。おもいのほか、淡路島が近い。

明石城より
明石城より
明石城より

明石城は元和五年(1619)に初代明石藩主の小笠原忠政が築城。
本丸跡に建つ三重櫓の 巽櫓 と 坤櫓 は国の重要文化財に指定されている。

向かって右側が巽櫓、左側が坤櫓

明石城は本丸には御殿が作られたが天守閣は建造されなかった。もともと明石川の西側に高山右近の船上城があったが、人丸社のあったこの小山が新らしい城の地に選ばれた。

明石城下の町割りには 宮本武蔵 が指揮したようです。本松寺の作庭など明石には武蔵の足跡が多そうです。
実はこれまで宮本武蔵にはあまり関心がなく剣豪のイメージしかもっていなかったものですから、新鮮な発見でした。

まだ明石散策は続きます。つぎは明石駅の南側へ向かいます。

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