てらたびnote 京都 高雄 神護寺 第三章 文覚上人墓
高雄山神護寺の旅日記も今回で最後です。
今回は初めて有料記事にしてみました。
たいした内容ではありませんが、今日は旧暦のお正月なので、お祝い気分。
さて、金堂のあたりから山へ向かう道が二つある。ひとつは神護寺創建にかかわる和気清麻呂公のお墓。もうひとつは鎌倉時代の神護寺復興に尽力した文覚上人のお墓。

入山の際にいただいたリーフレットによると、文覚上人のお墓のほうが離れている。
時間がどれほど要するか分からないが、距離の長い文覚上人の墓参をすることにした。かりに短時間で金堂まで戻れるなら、その時は清麻呂公のお墓にも行けばいい。
ここは、あまり無理をしない。
先に述べるが、結局は文覚上人の墓参だけで、清麻呂公の墓参には行かなかった。
山の昇り降りで疲れてきたということもあるが、予想外の墓参で、かなり満足してしまった。
文覚上人は平安時代後期には衰退していた神護寺の復興に勤めた。高山寺を復興した明恵上人は文覚上人の孫弟子にあたる。
文覚は後白河法皇に寄進を強要し伊豆に流されるも、そこで源頼朝と知己を得る。
源頼朝生存中は政治的な関与もしたようで、頼朝が亡くなると佐渡へ流され、許されて戻ると今度は対馬へ流され、配流中に没したらしい。
文覚はかつて遠藤盛遠という武士であった。
彼は同僚の妻である袈裟御前に横恋慕をした。恋に狂った盛遠は袈裟御前の夫を殺そうと寝所を襲う。ところがあやまって袈裟御前を殺めてしまう。
この文覚出家の逸話はフィクションと思われるが、広くこの伝承は知られている。
カンヌ映画祭でグランプリを獲得した映画『地獄門』は、この逸話を菊池寛が戯曲化し、それを映画化したものである。
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