読書note1-19「小田原征伐」/池波正太郎『真田太平記』(新潮文庫)第三巻「上田攻め」より
おはようございます。
いまは池波正太郎の『真田太平記』を読んでおります。新潮文庫で全12巻の長編大河小説なので、各章を読み終えたところで雑文を投稿することにしています。
今回は第三巻「上田攻め」より「小田原征伐」です。
小田原征伐は、天正十八年の豊臣秀吉による小田原北条家への征伐のことです。ことの発端は、豊臣秀吉に背いて北条が真田の名胡桃城を武力で奪取したことに起因します。
この事件は、小説『真田太平記』では豊臣秀吉の謀りごととなっています。
ただし北条家を潰そうとまでは考えていなかったように思われます。もう少し北条側の立ち居振る舞いが良ければ、有力大名として存続できた気もします。
小田原征伐は相模の小田原だけで行われた小田原城包囲だけではなく、関東各地の北条の領地での争いも含まれる。
真田昌幸軍は、北陸道を進軍してくる前田利家ならびに上杉景勝の軍勢と合流して中山道の碓氷峠から上州へ進んだ。
本隊の豊臣秀吉はまるで物見遊山のような陣中で、上方から淀殿も呼び寄せる始末。まったく急いてはいない。あまり血を流さずに終結させたい気持ちもある。
春先からの小田原城包囲により、夏には小田原城は開城となった。
籠城は外から援軍が来て打開できる戦術で、だれも助けに来てくれなくては食糧も枯渇し、兵力も底をつく。やがては、城を出て討死するか、白旗をあげるかとなる。
この間、奥州の伊達政宗が豊臣秀吉に恭順の意を表している。伊達政宗も豊臣秀吉には従わない東北の若き戦士であった。北条家として伊達政宗を小田原城包囲を打開してくれる存在と頼みにしていたようですが、結局伊達政宗も関白秀吉の威光に抗えなくなっていた。
本作での豊臣秀吉は権力が発する威光の恐ろしさと共に、妙に軽妙な雰囲気もある人たらしな側面ももっている。礼を尽くして会えば懐柔されてしまう器の大きさみたいなものが備わっている。
これは真田昌幸にも似たようなところがある。女好きというところも通じているかな。
さて、小田原征伐ののち奥州征伐を経て、関白豊臣秀吉のもとで、いちおう天下は泰平の世になった。
北条家の当主で徳川家康の娘聟になる氏直は高野山に蟄居。氏直の父である氏政と叔父にあたる氏照は切腹。
徳川家康は東海から関東へ移封となった。江戸に居を構えることになる。
真田昌幸には信州上田と上州沼田の領地が安堵された。元の土地が戻ってきただけだが、これで充分ホッとできる。
小競り合いがなくなると、各大名とも領国の経営に力を入れるようになる。
上州沼田には長男の真田信幸が入ることになり、小田原征伐前に上田へ戻されていた次男の真田幸村はふたたび豊臣秀吉の側に仕えることになる。
樋口角兵衛はこの戦の間に長男信幸から次男幸村を心酔するようになる。
名胡桃城主だった鈴木主水の遺児である小太郎には、取り戻した名胡桃城主になるよう昌幸が命じたが、これを拒否。
自分は人の上に立つ人間ではないといい、真田信幸の家臣となる。
この章の終わり、戦後の安堵の中で真田昌幸と昌幸の叔父の矢沢薩摩守頼綱が語る。
昌幸「薩摩よ、行く末のことは何もわからぬのが世の常じゃ」
矢沢頼綱は微かにうなずき、
頼綱「これで、まったく、戦が絶えたわけでもありませぬし……」
昌幸「ほう...…、そのように、おもうか?」
頼綱「何とはなしに...…」
昌幸「ふうむ...…」
