てくてくnote 小田原城 蓮池弁財天
小田原総鎮守松原神社を参拝したのち、小田原城へ参りました。
小田原城は15世紀半ばに大森氏が築いた城郭が前身とされ、北条早雲が進出してからは北条氏五代約100年、関東の中心的な城となる。
天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏滅亡。
江戸時代は大久保氏が小田原に入るが改易。阿部、稲葉の城主を経て再び大久保氏が城主となり、やがて明治を迎える。
明治に入り天守閣は解体されたが、昭和三十五年(1960)に再建。

小田原城ヘは東側の正面入口から入る。先に訪れた松原神社から正面入口は近い。馬出門、銅門を抜け二の丸を通り常盤木門から本丸へと歩く。ちょうど上の写真の案内図の赤い点線を歩く。
天守閣からの帰路は城の北側から下り北入口から出る。このルートは小田原駅へ近い。


今回の小田原城は天守閣が目的ではない。天守閣は外から拝見するだけでそばを通り抜けます。
さきほどの小田原城案内図の北入口付近を見ると、道から少し外れた森の中に「蓮池弁財天」と書かれています。
今回の小田原城訪問の目的は、この蓮池弁財天です。

北入口から逸れた道のわきに、蓮池弁財天記の案内板が建っています。この案内板は周囲の草木に溶け込んでしまい存在が少し分かりにくい。

大永二年(1522)蓮上院十三世住職 亮海 の勧めで北条氏康が江の島の弁財天を勧請したのが蓮池弁財天の始まり。小田原城の北側にかつては蓮池があり、その中島に弁財天は安置されていた。いま蓮池はなく弁財天はここに移されていると記している。

この鳥居の反対側は高校の裏手になっているので、それほど深山幽谷な処ではない。


周囲に花も飾られていて、意外と整備もされている。地図にのっているのかいないのか分からないような場所で、寂しい場所かなと思っていたものですから、ありがたい。Google Mapだとここではなく旧地に案内されてしまう。
ここでは氏康と記しているが、北条氏康は永正十二年(1515)生まれとされていて、大永二年(1522)はまだ家督は継いでいないから、氏綱の時代のことと思われる。
亮海が北条氏綱に弁財天勧請を勧めたのには、ひとつ逸話がある。その発端は浅草寺にある。
大永二年九月のはじめ、北条氏綱の使いの富永なる人物が古河の帰りに浅草寺へたちよる。ちょうど十八日で観音さまのご縁日、参詣者も多かった。すると弁天堂のあたりで銭の湧き出る事件があった。富永はこれを奇異に思い、小田原に還りては氏綱にこの話をしたという逸話が『江戸名所図会』の浅草寺弁天堂の項に記されている。
ここで蓮乗院の法印がいう。弁天さまは観音さまのご分身、当家の守護神でもある。当家の紋の三つ鱗は弁天様の鱗でもあると説き弁財天への崇敬を勧め、氏綱は江の島の弁天さまを勧請して蓮池の中島に祀るようになったと「小田原記」に記されている。
ここで浅草と小田原がちょいと繋がったような心地がしてくる。
忘れておりましたが、今年の初詣は浅草寺弁天堂でございました。
