紫式部ゆかりの片岡社など上賀茂神社の境内を巡る
こんにちわ、唐崎夜雨です。
去年の夏、上賀茂神社へお参りした記録の続編です。
京都市北区の上賀茂神社の境内には多くの摂社末社があります。前回の投稿で触れました本殿及び権殿の特別参拝を終えたあと、境内にある摂社末社をめぐりました。
上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神。
神社の正式な名称も賀茂別雷神社。上賀茂神社は通称ですが、こちらのほうが通りがよいので本文では上賀茂神社としていきます。
この日(2023/07/11)
本殿および権殿の特別参拝を終えたのち楼門を出て左手へ進む。
緩やかな石段の先にあるのが、新宮神社。
この日は門扉の前より参拝。

新宮神社の御祭神は高龗神〔たかおかみのかみ〕。
貴船神社と同じ神さまで龍神とされています。
貴船神社は江戸時代まで長く上賀茂神社の摂社でした。積雪や水害などにより貴船へ行けないときのために、境内に貴船の神を分霊したのが始まりのようです。
新宮神社の左奥には大山津見神〔おおやまつみのかみ〕を祀る山尾神社がある。門からではちょっとハッキリとは見えなかった。
何年か前の新年の頃に上賀茂神社を参拝したとき、本社の中門から入り内庭を抜けて新宮神社から出る一方通行だった記憶がある。
うろおぼえではあるが。

楼門と新宮神社の間、御物忌川を背にして建つ小社が川尾神社。
ご祭神は水神の罔象女神〔みつはのめのかみ〕。御物忌川を守護されているのでしょう。苔の生えた檜皮葺が素敵だ。
御物忌川を屋根のついた橋・片岡橋で渡ったところに鎮座しているのが、片山御子神社。片岡社ともいわれている。すぐ右手が山となっているから片山あるいは片岡と呼ばれるのだろう。

片山御子神社は上賀茂神社の第一摂社。延喜式神名帳にも記載されている。上賀茂神社が創建されたころよりこの地に祀られているらしい。
ご祭神は賀茂玉依姫命〔かもたまよりひめのみこと〕。御本社の祭神である賀茂別雷大神の母神である。
片山御子神社の「御子〔みこ〕」は本社祭神との親子関係をあらわすものではなく、神さまに奉祀する「巫女〔みこ〕」的性格の神ということのようです。
ちなみに一般参拝者はお参りできないが、境内図をみると本殿の脇に若宮神社があるので、賀茂別雷大神の親子関係としての御子神はそちらに祀られているものと思われます。
賀茂のタマヨリヒメはその身に神を宿された女性であり、身を以て神に仕える巫女であると同時に、神の母でもあるということでしょう。

紫式部とホトトギスがモモのようなハート型の絵馬に描かれている。ここの絵馬はわりと好きなデザインです。
『源氏物語』の作者である紫式部は片岡社を参詣し和歌を詠んでいる。
賀茂に詣で侍りけるに人のほととぎすなかなむと申しけるあけぼの
片岡の梢おかしくみえ侍りければ 紫式部
ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしづくに立ちやぬれまし
神社の通釈として「ホトトギス」を「想いを寄せる男性」として、あなたをいつまでも待っているというような意味ととらえている。
個人的には素直に、いちはやく初夏のおとずれホトトギスの声を聞きたいという遊び心、風流の心でいいと思ってます。
現代人にだって初夏はカツオ、秋はサンマ、冬はカキとか季節の到来を愉しみにしているものがあるでしょ。食べ物ばかりで恐縮ですが。
想いを寄せる男性を待つでも結構ですが、ホトトギスから不如帰の文字を、濡れて待つのは涙を流すことを、片岡の片も片思いを想起させ、どうも実らぬ恋なのではと思ってしまうのです。
それでは縁結びにならなくて申し訳ない。
妄想はさておき、片岡社のちかく石段を少し上ったところに須波神社。こちらの神社も延喜式神名帳に載る。
信州の諏訪大社とは関係ない。須波は主たる祭神の阿須波神から採られた名である。
ご祭神は、阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神の五柱。
大阪にある坐摩〔いかすり〕神社と同じ神。
上賀茂神社の宮地を守護する神様として祀られている。ということはこちらも創建の頃より祀られていると考えていいでしょう。

境内を流れる小川には賀茂社の社紋である葵が彩られた風鈴が飾られていた。この日は暑かったから水辺の風鈴は目にも涼しげ。
でも、台風接近ともなれば風鈴も片づけなければならないから大変ですね。

さて、今回は上賀茂神社の御本殿に近いところに摂社末社をご案内。
境内散策はまだ続きます。ではまた!

