てくてくnote 逗子 延命寺と亀岡八幡宮
逗子〔ずし〕の地名の由来はいくつかあるようで、そのひとつは延命寺の地蔵尊を納める厨子〔ずし〕が由来と言われている。

神奈川県逗子市逗子三丁目
高野山真言宗 黄雲山 延命寺
通称 逗子大師
延命寺は天平年間(724-749)に行基が自作の延命地蔵菩薩を安置したのが始まりと伝える。
行基開山は鎌倉の杉本寺も同じであるし、坂東二番の岩殿寺も行基が開いたと伝えている。本当に行基が東国に来ているか疑問だと思うが、東国にも行基創建と伝える寺院は意外と多いのかもしれない。

時代は下って平安時代。空海が日光へ行く途中でこの寺を訪れた。そこで空海は地蔵菩薩を納める厨子を作る。これが人々の尊崇の的となり「ずし」が地名となったと言われる。
現在、地名発祥の石碑が山門脇に建つ。
それから後は三浦氏、北条氏の帰依を得る。
天文年間に朝賢が中興の祖となり、天正十九年(1591)徳川家康より寺領五石をたまわる。
貞享四年(1687)の伽藍竣工の際に大日如来を本尊とする。
本堂には「逗子大師」の扁額が架かるが、逗子大師と称するようになったのは昭和に入ってからだという。

立派な本堂。昭和の再建。階段を上がったところにお賽銭箱があり、一般参拝はそこでお参り。本堂内部には入れず。
本堂の左手の寺務所で御朱印をいただけるようだ。今回は御朱印は頂かなかった。またの機会に譲る。

山門と本堂の間に弁天堂あり。湘南七福神のひとつ。正面中央がガラスなので中の様子がうかがえる。
本尊はお正月には御開帳されるようだが、通常秘仏。代わりにお前立ちの弁天様がいらっしゃる。八臂で頭に鳥居をいただいている。

弁天堂のならびに宝篋印塔が7つ並ぶ。三浦道香主従七武士之墓がある。七つでよかった。ハつの墓だと横溝正史的な祟りが起きそうだもの。
戦国時代、北条早雲に敗れた三浦道香主従がこの寺で自害したのを家臣だった者が建てた墓。

逗子大師延命寺の参拝を終えて再び田越川を渡る。JRと京急の駅の間に位置する亀岡八幡宮に参る。
ここは旧逗子村の鎮守(『新編相模国風土記稿』)である。
明治の神仏分離以前は延命寺が八幡宮の別当だった。

もとは八幡宮とのみ称していた。戦後宗教法人として登録する際に「亀岡八幡神社」とした。ですが、これまでの呼び方にならい「亀岡八幡宮」と呼ぶようになる。
亀岡の由来は、この地が亀の背中のようであることと、鎌倉の鶴岡八幡宮に対して亀岡八幡宮となった。
八幡宮は逗子市役所の隣で市民の憩いの場のようなスペースでもある。神社境内にしてはベンチも多い。大きなご神木もある。
狛犬もいるが「狛亀」もいる。

神奈川県逗子市逗子五丁目
亀岡八幡宮
御祭神:応神天皇



