人物柄の浴衣には、禁忌がある| #せりふ三題噺
俺と妻はある美術大学のデザイン課の出身で、去年結婚した。
彼女と出会ってから、もう8年にもなる。
俺の実家は、街のしがないクリーニング屋だ。
親父のシミ取りの技術だけは神がかっていて、染み抜き方法を、全国のクリーニング屋相手に、教室を開いて教えているほどだ。
その技術を俺も小さい頃から習っていた。
汚いシミなんかを他の布に移し替える技術は親父譲りで、デザインよりも得意かもしれない。彼女からも『そんなにシミをとるのが上手いんなら、私のシミも取ってよ』なんて冗談めかしてからかわれるくらいだ。
俺はそんなときはいつも、『まだ、とれる時期じゃないから』なんて返事を返していた。そんな風にして。実家の手伝いをしながら、服のデザインなんかをして暮らしていた。
彼女の実家、いや妻の実家は古くから伝わる呉服屋だった。浴衣や着物など、いろんなものを売っていた。今ではパジャマなんかにも手を広げている。
それは、俺の提案だった。
着物もいいが、いつも身に纏えて密着する日常的な
衣服の可能性を広げたかったからだ。
彼女の父親には反対されたが。
妻はとても美人で、美術の教科書に乗っていた見返り美人を見ているような気持になる。いっそ、浴衣の柄にでもしたいくらい、傍から離れたくないほどに。
◇
結婚して一年が経った頃に、彼女の実家を継ぐことになった。理由は、彼女の父親の失踪。
彼女の家には、結婚前に何度も足を運んでは彼女の父親にクリーニング屋の息子だとか、染み抜きしかできん癖になんて暴言を吐かれてたっけ。
娘の彼氏が気に入らなかったんだろう。
結婚式までには和解することができたが、俺の心にシミのように何かが残っていた。
ある日、うちの呉服屋にデザインを学んでいる少しモダンな格好をした大学生くらいの女の子がやってきた。着物をアクセントにしたかなり奇抜な格好をした可愛らしい女の子だった。
店の中の着物や浴衣、パジャマなんかをじっくりと見て回っていた。間違って、棚に置いていた薄汚れた男物の着流しのボロ布を入れた葛篭を開けて慌てていた。
少しおっちょこちょいなところがあるらしい。
可愛らしい子だ。
妻がインスタでモダンな柄の商品の紹介をしていたから、それを見てきたんだろう。妻の顔をみて、嬉しそうに声をかけていた。
「初めまして、インスタ見てます。
いつもご自身でデザインされた着物をお召しになってて、素敵です」
彼女は俺の方には目も向けず、妻を褒めていた。
妻のデザインが好きだと何度も話して、妻も嬉しそうな顔をしていた。
彼女は、流行りのイチゴ柄の浴衣や文鳥柄の帯を手に取って、じっくりと見ていた。俺はその子に声をかけた。
「よかったら、試着してもらってもいいですよ」
彼女はハッとした顔をして、俺の顔を見上げた。
浴衣を肩にかけて、姿見で真っ赤なイチゴ柄の浴衣を合わせていた。
彼女が驚いたような声で妻に話しかける。
「なんだか、熟した真っ赤なイチゴみたいな香りがする気がします」
「フルーティーといういか、布地も立体的で瑞々しい感じ」
俺は彼女から浴衣を受け取ると、
文鳥柄の帯を手渡した。
帯を撫でる彼女の口から、こんな声が返ってきた。
「柔らかいふわふわの羽みたいな手触り、
本当に鳴き声が聞こえてきそうなほどリアルだわ」
彼女はすごくデザインと生物の活き活きとした触感を気に入ってくれたようだ。
少し料金はかかるが、2匹の猫のデザインの浴衣と帯をオーダーメイドで注文してくれることになった。
「悪い、その子向こうの部屋に連れていってくれ」
妻にそう伝えると、店の片隅にいた子猫達を抱えて、隣の部屋に向かった。隣の部屋から微かに「…な゛ぁ、にゃぁ」と漏れ聞こえていた。
女の子から、どうやってこんなにリアルなもの作れるんですか?そう聞かれたが、「企業秘密ですよ」と答えた。
少し納得いかなそうな彼女に向かって、俺は少し微笑んだ。
◇
数週間後。仕上がりは異例の早さだ。
でも、これも技術だ。
受け取った彼女は、目を輝かせて胸元の子猫と帯の子猫に手を這わせた。
「毛並みがやらかくて、なんだかお日様の匂いがする」
そう言って、店の端で寝ていた一匹の子猫に目を向けた。
「なんだか、本当にここにいるみたい。どうやってるんだろう」
彼女の驚く顔を見ながら、俺は少し満足そうに微笑んで、別の商品の提案をした。
「すごく気に入ってくれてるね。モダンな格好が好きそうだし、すごく似合ってるよ。あとさ、こんな人柄に興味はない?」
そう言って、部屋の奥にしまっていた浴衣を彼女の前に持ってきた。
つい、うっとりとした顔で布地を撫でてしまう。
「人物柄はホントは着物なんかのモチーフには禁忌とされてるんだ。
でも、見返り美人とか花魁なんかの絵が入っていたこともあるし、いいもんだろ?」
彼女は、不思議そうな顔でなんで禁忌なのかを聞いてきた。
「だってさ、あまりにリアルだと…。動いたときにできた布の皺が、顔と重なると本物みたいに見えるじゃない。つまりは、そいうことだよ」
不思議そうな顔をする彼女に説明してやった。
「あと、人の顔が入ってると、どうしても目が合うじゃない」
嘘は言っていない。そんな風に言われることがあるからだ。俺はそう言って、彼女に綺麗な女性の柄が入った浴衣を肩に合わせた。
店に昔からある、額が少し黒ずんでいて、鏡の縁が少しだけ白く濁っている姿見の前まで、浴衣を大事そうに抱えて移動してきた。
彼女の身体に沿って、浴衣が纏わりついている。誰かに後ろから抱きしめられているような、そんな官能的な姿にも見えた。
彼女は興味深そうな顔をしながら、身体に纏った浴衣をまじまじと観察する。
「なんだか、奥様みたいな雰囲気の女性の柄ですね。
艶があるっていうか。染み一つない顔で。ひょっとして奥様がモデルですか?
そういえば、今日はご不在なんですか?」
俺は、広角を上げてさらっと答えた。
「少し急用ができてね。いま”ここ”にはいないんだ」
それを聞きながら、彼女は浴衣の女の顔を鏡越しにまじまじとみていた。
「前にいってらしたこと、本当ですね」
「私が動いても、女の人の目が私の目を追ってきます」
そして、彼女は姿見で人物柄をまじまじと見ながら、人物柄の唇を触った。
『おめでとう‼』
「え、なんか聞こえませんでした?」
俺の方を振り返り、怖がった声で否定して欲しそうな目で問いかけてきた。
俺はうっとりとした表情で、間違えを正すように答えた。
「おめでとうじゃないよ…。」
「どうして、だよ」
彼女は驚いたような恐怖が染みついた顔を、
こちらに向ける。
そこにまた、聞いたことがあるような声がした。
『に、逃げ…て』
◇
数日後、俺は愛する妻の浴衣を綺麗に飾っていた。
とても愛おしい存在のように大切に大切に扱った。
そして、新しく作った浴衣を飾った。
思い出したように声が漏れていた。
「あぁ…、次は上手く……シミがとれるかな」
■セリフ
「おめでとう!」
■三題
・いちご
・パジャマ
・文鳥
▼投稿ルール
投稿締切(任意):2026年5月28日(木)23:59
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