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なんとかなった修論の話

修論がやっとひと段落して、卒業が見えました。

とても褒められた研究態度ではありませんが、盛っても仕方ないので今の気持ちを赤裸々に書いてみます。本当に単なる感想です。


流石に自分を労った。
なんやかんや乗り切った。終わらせた。もう大丈夫だ。

先延ばし癖の酷い私に研究は相性が悪かった。その場しのぎの繰り返しだったように思える。それでも形になるんだから、我ながら感心してしまった。
閉鎖的な研究室で自分から盛り上げる気概もなく、他の研究室に遊びに行くことも尻込みしてできなかった。社会人になった友達とは疎遠になった。時間や金銭面の感覚の違いについていけなくて、なんだか会いたくなかった。

研究をサボろうが適当にやろうが、困るのが自分だけ(一応指導教員も)というのが本当に厄介だと思った。
頑張りすぎるなんてことは起こらなかった。
むしろ停滞と、停滞することによって身に降りかかる面倒臭さがキツかった。ならやれよ、という話。

学部4年生のとき、研究以外の要因も重なってうつ状態になった。
研究室に来ても手が動かなかった。大学の周りを徘徊するだけの日も少なくなかった。停滞が苦しいのに、何も出来ず、更なる停滞が重なり、現実逃避ばかりしていた。
それでも卒業はしたかったので、指導教員に泣きつく形で「なんとかしたいです」と言った。
指導教員の配慮もあって、なんとか卒業できた。
通学路を変えるなど自分なりに工夫したことも功を奏した。電車のホームがよくない場所だと思った。

感覚を掴んだ修士課程。怒られないギリギリを攻めて(攻めるな)、それでも進められていた。一年前が嘘のように気持ちは穏やかだった。
居場所が研究室だけではなくなったのが大きいのだと思う。就活で色んな大学生を見るのは面白かったし、TAとして実技を教える手伝いをするのも楽しかった。

学会も気は進まないが、出て良かったと思う。
大学院に進学しなければ出来なかった経験をたくさん出来たと思う。研究は向いていないし相変わらずやる気はなかったが、それでも選んで良かったと思えた。

正直もう二度と研究室生活はやりたくない。
もうこりごりだ。アカデミアに属することは尊いものではあるが私には向いていなかった。

帰属意識や、貢献や、責任という圧が欲しいのだと気付いた。
自分の役割を明確にできる場所が向いていると思った。
そのことに気付けたのも、研究室に身を置いていたからなのかもしれない。

研究室が閉塞感の強い場所である認識は変わらないが、先輩も後輩も良くしてくれたと思う。研究室に同期はいなかったのもあって、私が研究室内で喋る機会は少ない方だったが、適度な距離感で気さくに話してくれる先輩後輩の存在はありがたかった。

指導教員にしろ、研究室のメンバーにしろ、詰まったら「とりあえず聞く」ことが研究を進めるにあたって大事だと思う。
知識も手段もない状態では停滞から抜け出せない。少し勇気を出して聞きにいった方が、案外簡単に答えがもらえることが多い。

なんとかなった、という感覚が強い。やり遂げたみたいな達成感や充足感というより、逃げ切った安堵と言う方が適切な気がする。

ぶっちゃけ指導教員の人間性は苦手だったが、それなりに親身になっていただき、さほど優秀でもない私の研究を形にしてくださった。ちゃんと感謝を伝えなければと思う。
もちろん研究室のメンバー、学科の同期にも。

修士の学位を修めたという経験は、きっと私のためになる。役に立つかは分からないが、この自負は思った以上に自分を支えているような気がする。

お疲れ様。

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