孤独は選べるのに、孤立は選べない|一匹狼の生存戦略
一匹狼として生きることと、
孤立することの違いについて考えた記録である。
「群れるのが苦手だ。」
誰かに合わせること。
空気を読むこと。
その場に適した自分を演じること。
「だから私はよく一人でいる。」
一人で考え、
一人で歩き、
一人で何かを作る。
⸻ そこに寂しさはなくて、
私にとって安心できる状態だ。
だけどある日、気付いた。
群れたい訳ではないのに、
傷ついている自分がいることに。
⸻ どこかが少しだけ痛む。
私はずっと、
「一人でいること」
と
「一人にされること」
を同じものだと思っていた。
⸻ でも、どうやら違うらしい。
一匹狼は生存戦略
昔から、
所属することより、
理解することの方に興味があった。
「誰が人気者なのか」
「どのグループに属しているのか」
これらについて関心がない。
それよりも、
「なぜその人はそう考えるのか」
「なぜその言葉選びをしたのか」
そういうことばかり考えている。
「人間を観察するのが好きだ。」
そしてたぶん、
理解しようとすることで安心している。
⸻ 理解できれば予測できるし、
予測できれば傷つきにくいから。
だからいつも、
少し離れた場所から人を見ている。
「それが自分なりの生存戦略なんだと思う。」
孤独は自分で選択できる
「孤独は案外悪くない。」
(少なくとも私にとってはね。)
邪魔されずに考えられる。
説明せずに済む。
自身の輪郭を保ったまま生きられる。
⸻ 孤独には自由がある。
だから、一人でいる時間を大切にしてきた。
誰かといることで得られる安心感も必要。
同時に、一人でいることも魅力的だと思う。
「孤独は選択で、
自分の意思で選び取れるものだ。」
孤立は自分で選べない
「けれど、孤立は違う。」
孤立とは、
一人でいることではない。
⸻ 存在が認識されていない感覚。
例えば、
「自分だけ知らない話がある」
「自分だけ共有されない情報がある」
「理由を尋ねても答えてもらえない」
そこに明確な悪意がなくても、
人は不安になる。
人間は思っている以上に、
説明によって安心している生態だ。
⸻ 孤独は自由だ。でも孤立は不自由だ。
孤独は自分で選べる。
孤立は自分では選べない。
似ているようで、全くの別のものである。
嫌いな人より、意図の見えない人が怖い
「嫌いな人よりも、
分からない人の方が怖い。」
嫌いな人は理解できる。
⸻ 価値観が違うだけだからだ。
この人はこういう人間だ。
ここを大切にしている。
ここで怒る。
ここで笑う。
構造が見えるものは対処できる。
でも、意図が見えない人は対処できない。
「理由を聞いても答えない」
「説明がない」
「輪郭がない」
するとムダな想像力が動き始める。
「嫌われているのかもしれない」
「避けられているのかもしれない」
「何か隠されているのかもしれない」
⸻ 本当は違うかもしれない、
それはよく分かってるのに。
一匹狼だって群れを嫌ってはいない
「誤解を解きたい。」
一人でいる人間は、
人間嫌いで、誰とも関わりたくない。
そう思われがちだが、そうではない。
私は群れが苦手なだけで、
人間そのものが嫌いなわけではない。
「むしろ興味関心の的である。」
仲間に入れてほしいわけではない。
⸻ でも、人として扱われたいとは思う。
理解されなくてもいいけど、
理解しようとしてもらえたら嬉しい。
孤独と孤立の境界線
振り返ると、
求めていたのは所属ではなかった。
⸻ 安心や理解、透明性だった。
群れの中に入りたいわけじゃない。
誰かの中心になりたい訳でもない。
「そこにいる人間として認識されたい。」
それだけ。
孤独は、
自分の輪郭を守るためのものだ。
孤立は、
その輪郭ごと見失われる感覚だ。
同じ"ひとり"でも、全く意味が違うのだ。
「それでも私は一匹狼を選ぶ。」
これからも群れることはない。
群れたいとも思わない。
けれど、孤立したいわけでもない。
(透明人間にはなりたくないけど。)
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