見出し画像

"少女性"を捨てきれない大人

⸻ 少女性を抱えたまま、
      少し早く現実を知りすぎてしまった。


"未完成"のままで


── “完成”は、わたしにとって終わりだ。

世の中は、
完成されたものを好む。

綺麗な言葉、
わかりやすい感情、
洗練された美しさ、
説明可能な人格、

けれど、
わたしはそこに馴染めないし、
馴染む気すらもさらさらない人間である。

綺麗にまとまった瞬間、
何かが"死ぬ感覚"がある気がする。


だからいつも、

少しのノイズを残す、
少しの余白を残す、
少し説明不足のまま置いておく。

そんな表現ばかりしてしまいがちだ。



標本箱への"採集"


── わたしは感情を“放出”できないでいる。

普通、
感情は吐き出すものらしい。

怒り、
孤独、
悲しみ、
愛情。

けれど、
わたしはそれをうまく放出できずにいる。

代わりにしていたのは、

“採集”

だった。


写真、
言葉、
色、
夜、
水、
音、

に変えて、少しずつ保存している。


叫ぶのではなく、
並べる。

説明するのではなく、
置いておく。

そうやって、
その時の感情を腐らせないようにしている。



生きたまま、"標本"になっていく


"標本"とは本来、
死んだものを保存する行為である。

でも、
わたしが保存しているのは、
まだ脈を打っているような感情ばかりだ。

少女性、
疲労、
孤独、
未完成さ、
柔らかさ、
傷つきやすさ、

全部、
まだ生きている。

だけど、
どこかで既に“展示物”みたいになっている。

⸻ まるで「いつか失われること」を前提に、
        今の自分を保存しているみたい。


わたしのなかの"少女性"


「わたしは、“少女を演じている”わけじゃない。」

社会を知って、
現実を知って、
人間の冷たさも早く知りすぎた。

それでもなお、

夜に安心してしまうこと、
水に惹かれること、
透明なものを綺麗だと思うこと、
柔らかい言葉を探してしまうこと、

を捨て切れない。

だから、
少女性は演出じゃない。


壊れないための"避難所"を設置


⸻ わたしにとって、かわいいものや透明感は、
          武器ではなく“避難所”だった。

現実は冷たい。

人間関係も、
社会も、
言葉も、
あまりにも鋭い。

だからせめて、
自分の身の回りのものは、
柔らかいもので満たしたかった。


知りたくもない現実に苦しむ


── わたしは世界の温度を知るのが少し早かった。

よく、
「大人っぽい」と言われる。

でも、
わたしは違うと思う。

ただ、

「世界の硬さを知るのが早かった。」

ただ、それだけだ。


諦めと抵抗が同時に存在している


世界を知らなければ、
もっと無邪気でいられたかもしれない。

逆に、
完全に擦れてしまえば、
もっと楽だったかもしれない。

でもわたしは、
そのどちらにもなれなかった。

現実を知ってしまったのに、
なお、

「綺麗なものを信じたい。」

そんな想いが捨てきれないでいるし、
絶対に捨てたくない。


いいなと思ったら応援しよう!

りり よろしければ、ご支援お願いいたしますっ! いただいたチップは、バンドやZINE等の創作活動に費やさせていただきますっ𝜗𝜚