無職日記14|私を定義するのは私だ
「若いんやから、これからやん」
ありふれた言葉に胸がチクッと痛む。
若者だからって、みんなが元気なわけじゃない。
ラベルを貼ってしまうと、見えるものも見えなくなる。
そうやって、社会には分かりやすい価値観があふれ、それが商品やサービスとして売られ、人は振り回されている。
「健康」もその一つだ。
「健康」と「元気」は違う
先日、念願の『(un)cured』を手に取ることができた。
『(un)cured』の紹介文には、こうある。
「自分の心身に振り回されている人のための、カルチャー・健康マガジン。〈途中、省略〉外側から押し付けられるものとしての『正しい健康』ではなく、『自分が自分のために健康であろうとすること』を肯定し、カルチャーを入り口に、健康について主体的かつ自由なムードで考えられる状態をつくることを目指します。」
つまり、「健康」は人それぞれに違っていいのに正解みたいなものが示されていて、「健康ってそれでいいのか?」を問いかける本なのだ。
例えば、世間が推す"丁寧な生活"とは「早寝早起き」や「3食バランスのいい食事」、「きれいに片付けられた部屋」だ。
でも、それで心地よく過ごせる人もいれば、逆に自分のリズムが乱れてしまう人もいる。
作中に登場するラッパー・田島ハルコさんは、自称「よく入院する元気な人」だ。たびたび入院するものの、心は元気で、手術直後には母親へテンション高めの連絡をしたという。
また、部屋がよく散らかっていた時期があるが「そうしたかったんだと思う」と語っている。
不調だからといって、元気じゃないわけではないのだ。
ド定番な生活習慣ってホントに効くの?

かつて、うつっぽくなった時「ビタミンDを作るために日を浴びろ」「うつには青魚が効く」という情報を目にして、実践したことがある。
結果は「効いてるか効いてないか分からない」だった。
むしろ、無計画なやけくそ旅の方が、「いい風景だなあ」「こんな生き方や考え方があっていいのか」と目を開かせてくれた気がする。
たしかに、生活リズムを整えたり、自律神経について知ってやってみるのも一つの手ではある。
でも、特定の対策だけが「正解」のように広まり、それがビジネスになって、人がお金を使わされる構図でいいのだろうか。(同書「唯ぼんやりした不調──自律神経を批評する」福尾 匠)
自分が心地よくいられるのであれば、"健康的な"生活でなくてもいいと、同書は肯定してくれる。
不健全な自己認識だから生活できる
私自身も、「元気で活動的な若者」でいられない自分を、どこか責めてきた。
私は、体が元気な一方、気持ちの上がり下がりがあり、疲れやすく、心の状態が体に出てしまうタイプだ。
定期的に落ちる。
季節単位の時もあれば、数日単位の時もある。兆候はここ数年で把握しつつあるけど、突然落ちる時もある。
落ちてる時は卑屈で陰鬱な空気をまとってしまう。なので、なるべく引きこもる。そうなると、服装とかどうでもよくなり(そもそもファッションに興味ないけど)、さらに外に出られなくなる。朝散歩を諦める。
「若いうちに好きなことを」「挑戦」という単語を思い浮かべる余裕なんて失せる。
ダサい自分を見せたくなくて取りつくろうけど、たぶん隠しきれていない。
だから、私は「活動的な若者」ではない。
「活動的に見せかけるのに必死な若者」なのだ。
でも、それでいい。
煮え切らない自己認識をもっているからこそ、私は生活できている。
世間が決めた「若者」や「健康」に自分を合わせるより、自分で自分を定義していたい。
私を定義するのは、私だ。
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