『薔薇の名前』ウンベルト・エーコ 知ってると理解しやすくなる情報まとめ!
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という本が、東京創元社から「完全版」(四六版)として出版されます。この書物はとても難解と言われていますので、普段本を読まない人が、さくっと手に取って読める感じのものではないと思いますので、この出版社は冒険してますね。小説界のラスボスのような書物です。
これまで読まれていたのは、完全版じゃなかったのか? という疑問は置いておいて、読む前に知っておくと理解しやすくなる情報をまとめてみました。参考になるとうれしいです!
神学者トマス・アクィナスによるアリストテレス哲学との一体化
ウンベルト・エーコは、中世の代表的な神学者のトマス・アクィナスを研究していました。この小説もその時代を背景としています。
トマス・アクィナス(1225~1274年)は、古代ギリシャのアリストテレスの哲学を、最大限にキリスト教の教義に取り入れ、調和させました。『神学大全』という大著書を作り、彼の哲学(トミズム)は、カトリック教会の正統的な哲学(教義)と見なされました。このころがキリスト教と古代ギリシャ哲学が一体化した最盛期です。
小説は、同時期のヨーロッパの修道院が舞台になっています。
物語の導入部
「1327年、教皇ヨハネス22世時代の北イタリアのカトリック修道院を舞台に起きる怪事件の謎を、フランシスコ会修道士「バスカヴィルのウィリアム」と、ベネディクト会の見習修道士「メルクのアドソ」が解き明かしていく…」
という流れになっています。主人公2人が修道院で起こる殺人事件を解決していくという、ミステリーがメインストーリーとなっています。2人は、シャーロックホームズとワトソンのような関係です。
オッカムのウィリアム
この主人公の、「ウィリアム」さんは、「オッカムのウィリアム」を下敷きに書いているとのことです。オッカムとは、中世の神学者で、普遍論争の中心人物で、唯名論の立場でした。
小説内では、オッカムの普遍論争を想起させるように、かなり「意図的に」配置したと考えられます。「記号(文字、名前)」と「意味」との間の関係性や、生じるズレを説明するには、うってつけの対象だったからです。
近代思想の出発点? 「オッカム」の普遍論争と唯名論
後期スコラ学の神学者に、オッカムのウィリアム(1285~1347年)という人がいます。オッカムとだけ呼ばれますがオッカムは実は地名で、名前はウィリアムです。この敬虔な神学者は、キリスト教の教義があまりに複雑になっているため、もっと簡潔で明快な解釈をおこなおうとしました。
1信仰する。
2神は個人的な啓示として現れる。
3個人の理性と信仰は矛盾しない。
それ以外は説明しなくていい。という考えです。オッカムは、決して神を否定しているわけではありません。説明しないことが不在を意味するわけではないのです。本人がそのように否定しています。
個物を超越した「普遍的なもの」といったものは無く、「個物のみ」が存在している、というのがオッカムの主張する唯名論です。人が自然から普遍的なものを見いだしたとしても、神はそれを超越しているので、そう思えても、それは人間がそのように認識しているだけである、というものです。
オッカムは、信仰と人間の理性の間に余白を設けて、理性との矛盾をさけました。このゆるさが、普遍論争と呼ばれる論議を産みました。
オッカムは何も前提とせず、すべてを疑う姿勢を取ります。その態度は「オッカムの剃刀」と伝えられています。後の近代哲学の祖と言われる、デカルトの懐疑的な方法論に似ていますね。
史実では、この敬虔なオッカムは、異端とされて、正統派から破門になり、国を追われます。
ルネサンス期(14世紀〜16世紀)の混乱
ルネサンス期は、中世の神中心の考え方から、人間と古代への関心が高まった時代です。古代とは古代ギリシャ文化とローマ文化です。
そうなると、キリスト教にとっては、認めたくない動きがでてきます。
・人文主義(ヒューマニズム) 世俗的な倫理や人間の尊厳を重視。古代ギリシャ・ローマの古典が再評価。(ロマンス)
・自然哲学 従来のスコラ哲学的な枠組みから離れて、古代ギリシャ哲学の自然そのものを探求する動き。
・政治哲学 マキャヴェリが「君主論」で、現実主義的な統治論・権力論を展開した。
小説は、ルネサンスが始まったころになります。価値観の曲がり角です。
キリスト教のゆらぎ
キリスト教(カトリック)がゆらいできます。長く権力を持つと腐敗は免れません。理由は以下のものです。
・教皇庁がフランス国王の管理下に置かれた。(アヴィニョン捕囚)
・複数の教皇が立った(ローマ皇帝派、アビニョン教皇派)
・聖職者が教えを守らなくなった。(妻帯者、贅沢など)
・教会の腐敗 領地を拡大、権力の強化、財産のためこみ、税の徴収、商売
小説の最初の方に、2人の教皇が立ったことが描写されています。
清貧論争
ローマ教会や聖職者は、地位を利用して、お布施によって、莫大な資産を築いていています。金持ちそのものです。それを象徴するような問い、「イエスは財布を持っていたか否か」という当時の論題が、現代にまで伝わっています。
イエスは、「清く貧しくあれ、貧しきものにこそ天国は開かれていて、金持ちが天国に行くのは針の穴をラクダが通るよりも難しい」と言っています。当時の教会は、どう見ても、「清貧」からもっとも遠い存在に見えてしまいます。
後の宗教革命(反教皇、反教会、プロテスタント派)につながっていきます。
小説内でも、この清貧論争がおこります。中盤の重要なシーンです。
ドルチノ派
ドルチノ派は、キリスト教の一派です。イエスの清貧さを重要と考えていて、貧しい乞食のように施し物だけでくらすようにするべきだ、と説きます。既存のローマ教会の堕落した在り方に異議を唱えます。キリスト教の正統派は、ドルチノ派を異端者として迫害(拷問、火あぶり)します。
小説内では、異端思想と呼ばれていた、元ドルチノ派の人がでてきます。
修道院の図書館
修道院の図書館には、正当な教義もあるが、ドルチノ派のような異端思想と考えられた書物(禁書)もあるらしい。図書館への入出は限られていて、その知に触れることができる人間はごく一部の人間です。そして、その中には、幻のアリストテレス『詩学 第二部』(喜劇)がある…らしい? という設定です。
ペスト(黒死病)の流行(1347~1665年)
1347~1351年はペスト(黒死病)が大流行します。原因がわからず知人が死にまくるのです。その後もペストは地域的に流行り続けます。それがおさまるのはロンドンの大疫病の年(1665年)と言われています。
小説後半に、ペストが流行した描写があります。
この小説の読み応えポイント!
殺人事件を軸にしてメインストーリーが進みますが、その過程でさまざまな知的な「問い」にでくわします。わからない「答え」を目指して、じわじわと核心に近づいていきます。
人は普遍的な真実を捉えることができるのか? 正当性とは? 異端とは? 正しい信仰とはどのようであるべきか?
なにが権威の根拠となるのか? 神学を喜劇にする(相対化する)ことはゆるされる? 教会が真理としているものを疑ってもよいのか?
同性愛は追求してよいか? 快楽を追求してよいか?
宿命や運命(ヨハネの黙示録)はあるか?
知を求めてよいのか? 知は独占してもよいのか? 知に代償は必要か?
名前(記号)は個別ななにかなのか、普遍的な本質を表すのか(本質にたどり着くのか)? 事実は真実と一致するか?
などなど。興味深いですね。
ウンベルト・エーコは、わたしたちを取り巻く物事の中で、交換されている意味(思想)と記号(行動)の、語りえない何かを、捉えようと試みているように思えます。隅々まで味わって読みたいですね。
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