異端な君へ、弾圧された「異端思想」入門の入門|⑤ディドロという異端者『両インド史』
「異端思想」とは、正統な考えから逸脱した思想です。正統とは、キリスト教正統派の考え方を指します。当時の異端思想を見てみましょう!
近代の異端者、ディドロの『両インド史』を追ってみましょう。
『両インド史』とは?
1770年に『両インド史』が刊行されました。正式名称は『東・西インドにおけるヨーロッパ人の定着と貿易に関する哲学的・政治的歴史』です。
ここでいう両インドですが、「東インド」は南アジア・東南アジア一帯を指します。「西インド」はアメリカ大陸やカリブ海諸島を指します。
ということは、この本は当時の、ほぼ全世界における植民地と貿易について、詳細に書かれた本なのです。全10巻と、辞典のセットような本で、記事の作成にはディドロが大きく関わり、レーナルが編纂しました。
この本は大流行して、ヨーロッパでベストセラーとなり、ロシア・トルコでも流行りました。20年間で70版(海賊版含む)も刷られました。貿易関係者や宗教関係者、政府関係者、熱心な研究家などに読まれました。
『両インド史』は何を提示したか
内容は、大胆なキリスト教批判、専制君主批判、貿易や商業における重商主義批判でした。この視点は、ディドロによってもたらされたものです。1770年代当時の政府の在り方や、グローバリズム(植民地主義)を批判し、その姿を露わにしたのです。
また、この本は、地理と歴史と経済と民俗学を合わせたような「総合的な世界史」の叙述に成功しています。植民地の経済状況については、巻末に貸借対照表をつける。現地の神話に関する読み解き、風俗に関する叙述など、多様な視点で語られました。日本の「風土記」の世界版のような感じです。
批判を簡潔にまとめると以下の3点です。
①植民地主義への批判
ヨーロッパ列強の植民地支配への批判。植民地でおこっている虐殺・暴行の告発。
②奴隷制への反対
当時は、当たり前のように行われていた奴隷制(人身売買)の廃止を訴えました。
③自由貿易の提唱
各国の東インド会社による独占を批判し、自由で開かれた貿易が、互いに平和をもたらすと説きました。
この本に通底するのは、「支配者が暴君(強い専制)となったとき、人民には、自然法として、抵抗する権利がある」という思想です。スピノザの自由を希求する精神や国家感を引き継いでいます。
第3版の改定
売れ行きが好調であったため、編纂者のレーナルは版の改定を試みます。ディドロに依頼し、北米大陸の東部13州の、人民の手による独立運動の様子について、大幅増補しました。
この時は、すでに政府に目をつけられていたため、スイスで印刷されたのち、ひそかにパリに持ち込みました。
当時の統治者側の怒りっぷり
フランスの法王庁は黙っていられません。相当怒っていることが伝わっています。
パリ高等法院大審部でのこと。
「もはや恐れることなく神を汚す言葉を用いて、この不敬な者(ディドロやレーナル)が、「外国で印刷する自由」を乱用して、放蕩無頼な書物をはびこらせている。王座と祭壇を打ちこわして、そこに哲学を据えようとたくらんでいる! この危険な書物の著者が、堂々と名乗っていることは、厳しく糾弾しても、しすぎることはない!」
人ってこんなに怒れるんですね。
『両インド史』の大きな影響
現在は『両インド史』について、あまり伝わっていませんが、当時はとても大きな歴史的影響を与えました。影響とは以下の2点です。
①フランス革命 特権階級への弾圧の正当化
フランス国内で、この本が提示した「圧政に対する抵抗権」の考えが広がり、フランス革命の動機、抵抗勢力の正当化、精神的支柱となりました。
②ハイチ独立運動 奴隷解放
フランス最大の植民地だった「ハイチ」に住む、指導者トゥサン・ルーヴェルチュールは、この本を繰り返し読み、白人を倒し自由な世界を勝ち取ろうと奮起し、独立戦争をしかけるのです。ハイチは独立戦争に勝利して、世界初の黒人共和国となります。
おわりに
1774年8月に、ローマ法王庁の禁書目録に登録。異端と認定されました。パリの検閲当局は、公序良俗に反するとして、廃棄処分が決定しています。
その後、ディドロは逮捕され投獄されます。編纂者レーナルには、逮捕、財産の没収の重罰が下り、国外追放となります。
次回は、ランゲ『市民法理論』です!
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つづく!
■『両インド史』東インド篇
■『両インド史』西インド篇
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