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黙って持って行く人

たまにイベントのサポートで配り物の担当になることがある。ブースに寄ってもらうために配る試供品もあれば、参加者をねぎらう飲み物や記念品を配ることもある。

受け取り方も人それぞれだなぁと思いながら渡しているが、たまに、スルッと列に入り込み、黙ってサササーッと持って行く人がいる。バラまき目的の試供品のときは気にならないが、参加者向けの景品のように渡す相手が決まっているときには、さすがに「あれ?」と思う。

一言、「これは参加者向けですよ」と言えればいいが、大抵、そういうときは、交換チケットなどのシステムがなかったり、長い行列ができていて、さばくのに忙しいときだったりする。「持ってかれたなぁ」と手を動かしながら、去って行く背中を見ているしかない。

持っていく人は大人もいるし、子どももいる。たまに、親が後ろにいて、幼い子どもに取りに行かせていることもある。そういう人たちのことは、ザワザワとずっと心に残る。

「どうして自分にはもらえる理由がないのに、持って行ったのだろう」とか、食べ物の配布であれば、「平気で食べられるんだろうか」など、行動の理由やその後が気になるのだ。10代くらいの子どもだったりすると、「家でちゃんと食べられてないのかな」とも思ってしまう。

イベントは不特定多数の人が集まるので、誰であるかを特定される可能性は少ない。配るほうも予想した損失の範囲内で収まることが多いので、目くじらを立てるのも大人げないと見過ごす。だから、もらったもの勝ちと思うのかもしれないが、倫理に欠けた行為ではある。

バレなければいいという行為は、些細なことでも積み重なると、だんだん、もっと大きな倫理に欠けた行動にも鈍感になっていく。人が倫理に反する行動をためらうのは、小さなハードルを越え続けた先に、自分がもっと大きな罪を犯すのではないかという恐ろしさがあるからだ。

最近、「世知辛い」と言う機会が増えた。スルッと持って行く人に遭遇すると、「昔から、こういう人はいた」と思う気持ちと「昔は、そういう人が、ここまで多くなかったような気がする」という2つの相反する気持ちが沸いてしまう。世知辛くなった世の中の写し鏡なのか、そうではないのか。「タダより高いものはないんだけどな」などと、考え続けるのだった。

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角田奈穂子 仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。