名言で勝手にエッセイ【22】
今回は、短いが学びのあるラ・フォンテーヌのひとことを借りてみます。
(いや、要するによく言われる、汝自らを知れということなんですけど、捻られているのです)。
ソロモンのパラドクスみたいな妙味があるなと。
皆さんは、この矛盾についてご存知ですか?
まあ、「ソロモン王みたいに叡智の塊になれたら、それが一番いいな」と思っている時点で、僕はいろいろ及ばない人なんですけど😅。
今回の名言
ラ・フォンテーヌいわく、
全世界を知っておのれ自身を知らぬ者がある。
原文はたぶん、フランス語だろうので、僕はその機微を表すトライをする身にまだ及びません(最近、またフランス語の学習を始めてみたりしているんですが😅)。
したがって、以前にも多少トライしておりましたが、今回は和文を英訳する回となります。ご了承ください。
試訳
There is a person who knows nothing about himself / herself but everything in this world.
うっかり、a man にしかけて、修整。
そういや性差にニュートラルにしないと、フェミニストに怒られるなと。
トランプ政権誕生の前日に当てつけがましいですかね😅
でも、故・ギンズバーグ判事を当のアメリカ人も裏切れないでしょ?
彼女を模範にした日本の最高裁判事たちも…😅
エッセイ(という名のこねくり回し)
名言というより、詩歌やアフォリズムみたいな感じでしょうか?
ダイスサイズのチョコレートみたいに(?)、一口サイズ過ぎるので😅
戦後に広まった民主主義や自由主義のもとで、自らの自由と他人の自由をバランシングできて、稚拙な中(厨)二病みたいな無益な全能感からも逃れ、ニーチェが警句したようなルサンチマンからも逃れている。
願わくば、そんな理性的な人間でありたいものです。が。
だがしかしです。冒頭に引用してきた『ひとこと辞書』の言うように、知性に恵まれながら治世に失敗する王侯貴族や政治家、官僚というのは、過去、歴史年表の中(たぶん、暴君の陰あたりに?)にたくさん居たわけです。
名君というのは、ごくまれに勝つから名君で、たいていは酷いのが主君(当主)になる。近現代だと与党党首からの国家のリーダーになる(掛詞?)。日米の対比で言うと、首相なり大統領なり、制度も呼び名も違いますが、リーダーとなるわけです。ダウンサイジングしていうと、各自治体の長もそうかもですね。
いやここは酷さの話だから、日米のリーダーを引き合いにするより、プーチン大統領や習近平国家主席のほうが例示に良かったか😅
一般化していうと、暴君というのは、自分大好きなわけです。
自分を首尾一貫して貫き通すのに長けている。
他人を貶めてでも成功したい、と思ってギラギラしている。
先日の、兵庫県知事選の応援演説をしていた、「遊軍」みたいな感じかもしれません。近視眼的には、彼は自己の当選の利益は追っていないわけですが、たしか、南あわじ市だかの市長選には打って出るんですよね?その布石の人気取りだろと🥶
そんなの相手に、自他ともにバランシングして、懊悩していたら勝てるわけがない。相手は自分のことしか考えずに利益追求しているのだから。
何度も書いて恐縮ですが、心技体全て揃った、しかも宗教的にも真善美を兼ね備えたような名君が、西洋にもごくまれに居たわけですが(半ば神話ですけど、ローマの五賢帝とか?)、まれだからこそ、褒めたたえられるんですよね…😅
それに反し、今回のラ・フォンテーヌの名言における例示としたソロモン王は、他人のために叡智を用いたが、自分をわかっておらず、治世は失敗してしまったわけです。
叡智の塊であったにもかかわらず、エゴのために用いることができなくて、失墜する(とされている?)。
最近売れているサッカー漫画にエゴがテーマのやつ、ありましたよね…。
あれはたしか、公益や共益よりもエゴ全開でしたが…😅エゴだけだとまとまれないので、「百害あって一利なし」にも思えますが、あの漫画は、今の日本サッカーは仲良し過ぎてダメだということだったような。
後世の名付け親がその態様について、耳障りの良い名(?)を付けてしまったので、「パラドクス」といってもいいけど、僕は性格が悪いので😅、シュールな悲喜劇に思えます。
公のためを思って他人に尽くして、結果、そいつらに切り捨てられるんですから。
公私混同せずに公私をハンドリングしていける人は、前人未到の領域に行けるのかもしれません。あなたはどう思われますか?
🔵過去作はこちら
ムラがあるのですが😅、過去の作品もピックアップして読んでいただけたら嬉しいです。
