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心の中の私の声

あとどれぐらい生きられるのかな?
私、いつの間にか病気しちゃったんだよね。
私、陸上部だったのに、肺が人一倍強かったのに、なんで肺疾患なんかに
なっちゃったのかな?(´;ω;`)ウゥゥ

緩やかではあるけれど、私の病気(間質性肺炎)は進行性だ。
だから毎月、肺の具合をチェック(検査)してる。

毎月、あぁ、今月もなんとか生き延びることができそうだ。
そんな感じで検査の日(結果)を迎えている。
膠原病(皮膚筋炎)なので、合併症である間質性肺炎だけを気を付けていればいいわけではない。
私の病気である皮膚筋炎は、体中の臓器が癌になりやすいという特徴がある。
癌も気を付けていかねばならない。

感染症も気を付けなければならない。
健康な人なら普通の風邪で済むところを、私は肺炎寸前で入院した。
もう泣けてくる、しかし泣いてばかりもいられない。
私には老犬コタローもいるし、主人もいるし、老いた母もいる。
そして、ここには大切な仲間もいる。

まだまだ、生きていたいし、生きることを堪能したいんだ。
どんなに悲しい宣告を受けようとも、ベッドの上だろうとも、私は私の人生を全うするのだ。
私は私の声を発し続けるのだ。
それが慟哭にしかならなかろうとも。

私がここで書くことといえば、いつも暗闇であがいている声ばかりだ。
そのせいで、私はいつもあがいていて、もがいていて、苦悩ばかりしている人と思われていることが、しんどくなった。(だから、思わず、連投休みますつぶやきを上げてしまった)
そのくせ、人生ちゃんと楽しんでるよ!と積極的に声を上げる(書く)こともできないできた。

性分なのだろう。
私はこんなに楽しいですよと、人に言っていいと思って生きてこなかったのかもしれない。
極端な話、私は苦労をしている状態が常であり、苦悩している状態が常であるのだから、私には楽しいでーす、幸せでーす、なんて雰囲気は似合わないと感じていたのではないかと感じた。

ある意味、不幸でないと落ち着かないみたいな。
幸せな自分になったら居心地が悪いみたいな。
どんだけ私病んでるんだろう?そんな気もしてきた。

いや、病んでるわけではないのかな?
私はきっと、人生の悲哀の方に心が動くのだ。
幸せが嫌なわけじゃない、当たり前だ。
ただ、私は、子供の頃からずっと悲しかったから、哀しかったから。
自分であれ、誰かであれ、社会であれ、悲しんでいるのが、哀しんでいるのが、とても辛かったのだ。
そこについて、私なりの声を上げたかっただけだったのかもしれない。


さて、今日も生きる(寝る)としよう



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