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書評「ヒットの復権」柴那典

これは凄みのある本だ。筆者の柴那典氏はちょうど10年前の2016年に「ヒットの崩壊」(講談社現代新書)という新書を上梓していて、本書「ヒットの復権」はその続編と位置付けることもできるのだが、その筆致は相変わらず冷静ではあるものの飛躍的に力強さを増している。

それは一つには、「ヒットの崩壊」で詳らかにしていった新しいルール(「崩壊」したのはこれまでのヒットの法則のことで、実はそこでは「新しいルール」について多くのページが割かれていた)に則ってこのディケイドでかつてないほど大きく日本の音楽シーンが動いたこと、動いただけでなく市場が成長したこと、さらにその市場がグローバルに広がったことが、客観的にさらなる説得力を生んでいるからだ。

また、本書で引用されている数多くのアーティストや音楽関係者の発言のほとんどが、筆者のこの10年の取材からの抜粋であることも大きな裏付けとなっている。その人選も発言もこれ以上は想像できないほど芯を食ったもので、自身の嗜好や文化圏への我田引水的な誘導の形跡がない。ジャーナリストの価値の少なくとも半分は、正しい時に正しい場所にいることだと自分は考えているが、筆者がこの10年(実際はもっと前から)、おそらくはいくつかの奇跡的な巡り合わせも含め、正しい時に正しい場所で正しい相手と言葉を交わしてきたことがわかる。

「柴さんって本当はどんな音楽が好きなんですか?」。ここ数年、筆者とは年に2回(サマーソニックの翌週と紅白歌合戦の直前)トークイベントをしていることもあって、そんなことを同業者や業界人から訊かれることがたまにあるのだが、「それは本人に訊いてよ」というのはひとまず置いておくとして(笑)、そう訊かれるのは柴氏がジャーナリストとして中立的なスタンスを保っている(ように見えている)証だろう。特にカルチャーの分野において、中立的なスタンスを保つことがどれだけ難しいか、実際にそうしたジャーナリストや評論家がどれだけ稀な存在であるかを、自分は経験的にもよく知っている(ちなみに自分は映画においても音楽においてもまったく中立ではない)。

そして、それは必ずしもメジャーやメインストリームの音楽に関心が偏っていることを意味しない。2014年に刊行された筆者の初著が、まだ一般的にはアンダーグラウンドだった時期のイメージを強く残していたボーカロイドカルチャーの歴史についての「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」(太田出版)であったことからもわかるように、筆者の関心は同時代に自身が最も興奮できるムーブメントであり続けてきた。そのカルチャーから出てきた米津玄師やAyase(YOASOBI)やAdoの大ブレイクの例を引くまでもなく、その必然的な連鎖の先にあるのが本書「ヒットの復権」とも言えるだろう。

一方、本書で度々出てくる「制度」という言葉にはドキッとさせられる。この10年はボーカロイドカルチャーやヴァイパーウェイヴカルチャー、そのコミュニティやミームが「制度」に取り込まれてきた10年だったという歴史観がここでは示されていて、それはそのままインディペンデントカルチャーやクラブカルチャーにも敷衍可能だからだ。ヒットとは結局のところ「制度」化されることで、当然その「制度」が取りこぼしたもの、あるいは「取り込まれまい」と抵抗してきたものが存在する。

書かれていない「何か」をもって本を批判するのはーー特にそれが新書というフォーマットであればなおさらーー筋違いのことではあるが、本書に取りこぼしているものがあるとしたらその部分だろう。最初に「凄み」と書いたのは、そんなことは百も承知、著者自身もまた「制度」の一部と見做される覚悟をもって、本書が迷いのない明晰さに貫かれているからだ。


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