食品安全・品質文化と「本の時間②」|米陸軍感染症医学研究所の死闘|『ホット・ゾーン』|学習読書|ESG日誌⑥
何かの影像、何かの幻覚を見たかのように、二度、囁くような、ほとんど息だけの声で、こう言った──。「怖ろしい! 怖ろしい!」
未曽有の危機の時、派閥主義(セクショナリズム)や判断・倫理責任の戦術(現場)転嫁が発生する。個人の誠実で勇敢な行動との「壁」
事務局が学んだ本のあらすじ
1989年、米国の首都ワシントン近郊にあるサルの検疫所をエボラ・ウイルスが襲った。致死率90%、人間の脳や内臓を溶かし「崩壊」にいたらしめるエボラ出血熱のパンデミックを阻止すべく、ユーサムリッド(米陸軍伝染病医学研究所)の科学者たちが立ち上がる。感染と隣り合わせの極限状況で、彼らは何を思い、どのように戦ったのか?
未曾有のウイルス禍と制圧作戦の全貌を描く、戦慄ノンフィクション。
本書は「未曾有で未知の自然の暴力(エボラ)」と「倫理問題・政策問題を前に何度も意思に躊躇する組織」の二重の恐怖構造における人間の科学的/社会的実践の「リアリズム」である
舞台となったのはワシントンD.C近郊の小さな町レストン。事態は、この町の郊外で実験動物の輸入・販売を手掛けるある会社が使用する検疫所「モンキー・ハウス」で、東南アジアから輸入されたカニクイザルが、次々と死に始めたことから始まります。
USAMRIIDの科学者が検査薬で株を特定して戦慄は最高潮に達した。サルが感染していたのは致死率90%のエボラ・ザイールであったからである。
アメリカ国内で人間の疫病対策に関する権限を法で与えられているのは米国疾病予防管理センター(CDC)。しかし今回のエボラ封じ込めに必要な実務実働能力はなく、USAMRIID(米陸軍感染症医学研究所)との政治的対立になる。片方は「公衆衛生の政治的責任者」ながら判断を回避、片方は政治責任所在不明瞭のまま「軍事作戦」として最終的に防疫作戦を実施した。
ここのでの読み解きポイントは①広義のガバナンスにおける「政治は倫理である。文化的文脈・政治的文脈から切り離した戦略を、戦術(現場)に転嫁することは倫理的誤り・政策的誤りになる」の理論 *1です。次に②上位系統の誤りを戦術(現場)が倫理として背負わされるとき、戦術(現場)は何を語るべきなのか、の問題が最初に出てくると思われます。*1 Colin S Gray
最後に③エボラ・ザイールに感染した動物と施設の「制圧」(戦術の現場)における科学性・技術、人間の良心と恐怖心、専門職としての瑕疵なき行動、の3点の背反性を説明出来る視点はあるか。制度不機能で個人の倫理的リスクテイクによって責務を遂行させるのは「非倫理的」ではないのか。
上記①、②、③は、
“The sad truth is that most evil is done by people who never make up their minds to be good or evil.”(Arendt, Eichmann in Jerusalem)
悲しい真実は、ほとんどの悪は、善人になろうとも悪人になろうとも決意しない人々によって行われるということです。
の著名な哲学者の論点に集約されると思われます(官僚制ガバナンス)。
本書の読み解きは戦術(現場)の英雄的行為のみに囚われると、惜しい気がするのです。しかし逆説的にも戦術(現場)の行動が上記の「人間のリアリズム」としての政治的失態を浮かび上がらせていると思うのです。そして最後に、防疫作戦の効果を証明するために用いられる微生物は、食品変敗菌でもある、あの菌で、サイエンスとしての緊迫感が高まります。
コンラッド『闇の奥』再び、な恐怖感。アフリカ大陸・ケニアのキトゥム洞窟 --新型感染症コロナ下おける食品事業者の記憶
本書で描写される、ケニアのエルゴン山国立公園内にある、エルゴン山の溶岩洞窟および周囲の様子を読んでいくと、未知のウィルスを追うサイエンスの緊迫感と同時に、文学として『闇の奥』の現代版に見えるでしょう。人類の公益性とは、常に微生物・ウィルス・文化文明との交差点にありました。
事務局の著者は、コロナ下におきましてはポンプ式大型アルコール噴霧器を使用して、帰社した配送車両のボディ・車輪・冷蔵庫内の消毒業務に従事しましたこともありました。思うに未知と向かい合うことは個人の勇敢だけではなく、組織としての科学的・工学的・文化的アプローチ横断による穏やかな知性による思考と真摯にリスクを見極めての行動が求められることです。我々人間は、科学と文化の両面で今も「闇の奥」に見られています。
弊社のTQM×HACCPにあって継続的改善学習の視点になる一冊でした。
