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壊れるのは、重さではなく、コントロールを失ったときだ

最近、残業が続いていた。

家に帰れば、ご飯を食べて寝るだけ。
それまで毎日のように続けていたホームトレーニングも、やる気がなくなったというより、筋トレのことを思い出す余裕すらなくなっていた。

「時間がなかった」というのは、言い訳なのかもしれない。

10分あれば腕立て伏せはできる。
懸垂を数セットするだけなら、それほど時間もかからない。

それでもできなかった。

おそらく、足りなかったのは時間ではない。
自分の時間を自分で使っているという感覚だったのだと思う。

仕事そのものが嫌いなわけではない。
むしろ、面白い仕事も多い。

時期によっては、ほかのことを後回しにしてでも、仕事に集中しなければならないこともある。それ自体が悪いとは思わない。

問題は、忙しさではなかった。

仕事が次々と外から入ってきて、いろいろな人の事情や判断に振り回され、自分では終わりも量も決められない。その状態が続いていたことが、一番のストレスだったのだと思う。

人は、負荷が大きいだけで消耗するわけではない。

自分で選べない。
終わりが見えない。
止めることもできない。

そうした「コントロールできない状態」が続くと、同じ仕事量でも、疲れ方は大きく変わる。

これは筋トレにも似ている。

筋トレでは、自分から体にストレスを与える。

楽な重さだけを扱っていても、体はなかなか変わらない。
少し重い。少し苦しい。最後の数回は思い通りに上がらない。

その程度の負荷があるから、筋肉は刺激を受け、強くなっていく。

時には、自分が完全には扱いきれない重さに挑戦することも必要だろう。思ったより重かった重量や、ぎりぎりの一回が、新しい刺激になることもある。

しかし、重さに振り回され始めると話は変わる。

フォームが崩れる。
関節で受ける。
反動だけで持ち上げる。
どこの筋肉を使っているのか分からなくなる。

それでも「重いものを上げた」という事実だけを求めて続ければ、成長する前に怪我をする。

大切なのは、重さを軽くすることではない。

重さを筋肉に乗せたまま、自分で動きを支配することだ。

苦しい。
しかし、軌道は失っていない。

限界に近い。
しかし、どこに負荷がかかっているのかは分かっている。

いつでも安全に終えられる余地を残しながら、できる限り深く追い込んでいく。

筋トレの技術とは、重いものを持ち上げる技術というより、負荷との関係をコントロールする技術なのかもしれない。

そして、それは仕事にも当てはまる。

仕事を減らせば、すべてが解決するわけではない。
責任のある仕事をしていれば、忙しい時期も、想定外の出来事も避けられない。

重要なのは、負荷があるかどうかではない。

その負荷を自分が理解できているか。
優先順位を自分で決められているか。
どこまで引き受け、どこから断るのかを選べているか。
そして、負荷を受けたあとに回復する時間があるか。

この感覚を失ったまま働き続けることは、フォームを崩したまま重量だけを増やし続けることに似ている。

一日や二日なら耐えられる。
短期間なら、むしろ達成感さえある。

だが、それを通常の状態にしてはいけない。

筋トレでも、毎回限界重量に挑戦する人はいない。
強くなるためには、追い込む日だけではなく、負荷を抑える日、休む日、栄養を取る日が必要になる。

回復は、トレーニングを休んでいる時間ではない。
トレーニングを成立させるための一部である。

同じように、仕事以外の時間も、仕事をしていない無駄な時間ではない。

筋トレをする。
ゆっくり食事をする。
何も考えずに過ごす。
自分のためだけに時間を使う。

そうした時間は、仕事から逃げるためにあるのではなく、自分の人生を自分の手に戻すためにある。

仕事が面白いからこそ、仕事だけになってはいけない。

自分が好きなことをする余裕まで失ってしまえば、いつの間にか、仕事をしているのではなく、仕事に動かされるようになる。

もちろん、これからも忙しい時期はあるだろう。

時には、予定以上の負荷を引き受けなければならないこともある。それをすべて避けたいわけではない。

ただし、それを当たり前にはしない。

重さから逃げるのではなく、重さを自分の手に戻す。

仕事でも筋トレでも、基本にしたいのはそこだ。

壊れる原因は、負荷そのものではない。

自分が何をしているのか分からないまま、止めることも選ぶこともできず、負荷に振り回され続けることだ。

重さを受け止める。
動きを支配する。
必要なところまで追い込む。
そして、きちんと回復する。

人生にも、おそらく同じフォームが必要なのだと思う。

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