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一号♨「温泉名人」になる法 (別府八湯温泉道) ㊴


フーテンの寅ベラー
温泉名人の湯けむり歴史館
♨️

『一号一会
或いは不老泉の矜持』


 わたくし、生まれも育ちも大阪です。道頓堀で産湯を使い、姓は温泉、名は名人。人呼んでフーテンの寅ベラー「温泉名人」と発します。

 皆様ともどもタコ焼き、お好み焼き、串カツの香り漂う浪花の片隅に、しがない仮の住まいを構えー
 
 西の湯に行っちゃあノボセ、東の湯に行っちゃあフヤケ、気がつきゃ土地土地のお兄さん、お姉さんに世話になりっぱなしのー

 どうにもこうにも湯気くさいオッチャンでござんす。

 以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、万端ひきたって、よろしくお頼み申します。

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山は富士
海は瀬戸内
湯は別府

 この言葉を手ぬぐい代わりに肩にかけ、湯めぐりなさる皆々様方、ひと風呂あがりの一席、お付き合い願いやしょう。


 さて皆々様。

 別府市営温泉「第1号」はどこかと聞かれたら、わかりやすかな。
 
 そうさなぁ、とりあえず竹瓦温泉
 
 竹瓦温泉は別府を代表する名建築であり、全国に名を知られた湯ですからな、確かに。

 あるいは浜脇温泉でやすか。別府温泉発祥の地として知られる由緒ある湯ではござんす、確かに。
 
 されど、歴史資料や市の記録を調べやすと、この名前に行き着くのでございやす。

君の名は―不老泉

 別府駅からほど近い流川通り沿いに湧くジモ泉。
 明治初期、すでに浴場が存在していたとされ、その歴史は明治5年(1872年)頃までに遡る。
 
 現在のような「別府市営温泉」という制度が整う以前から、公設浴場としての役割を果たしていた古湯であり、実質的な「市営第1号」と呼ぶにふさわしい存在でございます。
 
 もっとも、別府には古くから共同浴場が数多く存在してやした。
 明治7年(1874年)には県費によって紙屋温泉浜脇東西温泉が整備され、公的な温泉施設の先駆けに。

 そして昭和11年(1936年)の市設温泉規程では、浜脇温泉楠温泉竹瓦温泉不老泉砂湯温泉霊潮泉田ノ湯温泉などが、市費で維持管理される市設温泉として正式に位置づけられておりやす。

 その中でも不老泉は、市制施行以前から続く長い歴史を持つことから、「別府市営温泉の原点」として語られることが多いのでございます。

 名前も実に縁起がよろしい。
 
 この湯に入れば老いないーそんな願いを込めて、明治の頃から「不老湯」「不老泉」と呼ばれるようになったそうでござんすよ。
 
 誰しも、昨日より今日、今日より明日、少しでも若くありたい。たとえ、湯船の中だけでも20歳ほど若返れたらなぁ。
 
  そんな人間臭い願いを、そのまま名前にしちまったのが不老泉でございやす。

 
 さて、歴史の話ばかりでは湯が冷めてしまいやすな。さっそく、不老泉の暖簾をくぐってみやしょう。

 ほのかな湯気が流れ出し、別府の朝の空気と混じり合う。

 浴室へ入ると、まず気づくのは匂い。

 鉄輪のような硫黄の強い香りではござんせん。

 鼻先をかすめるのは、ほんのりとした鉱泉の香り。

 石と湯気が長い年月をかけて染み込んだジモ泉特有の匂いでござんす。

 その香りには、どこか懐かしさが。

 旅館の香りでもなく、自宅の風呂の香りでもない。

 毎日誰かが入り、毎日誰かが帰っていく、暮らしの温泉の香りでござんす。

 かけ湯をひとすくい。

 手のひらに落ちた湯は意外なほどにやわらかい。

べたつかず
ぬるつかず
さらりとしている

 しかし水とは違う。

 肌に触れた瞬間、角の取れた丸い感触があり、湯そのものに優しさがありやす。

 
 まずはぬる湯へ足を入れ、足首、膝、腰。

 ゆっくりと身体を沈めると、湯が静かに全身を包み込む。

 熱さは襲いかかってや来やせん。

 まるで「遠いところ御苦労さん」とでも言うように、やさしく迎え入れてくれやした。

 肩まで浸かると、身体の緊張がじわりとほどけていく。

 耳に聞こえるのは源泉かけ流しの音と、常連さんたちの世間話。

 野球の話。天気の話。孫の話。

 そんな何気ない会話が浴室の天井へふわりと上がり、湯気と一緒に漂っていく。

 これぞジモ泉。これぞ別府。

 すると隣の湯船でくつろいでいた常連さんが、初めて来た観光客らしき人へ声をかけ、

 「まず、ぬる湯から入りんさい

 実に別府らしい言葉でござんすな。

 命令ではない。説教でもない。

 長年この湯と付き合ってきた人からの、さりげない親切。

 別府のジモ泉には、湯の入り方だけではなく、人との付き合い方までが流れていきやす。

まず、ぬる湯から入りんさい

 そのひと言に、この町の温泉文化が凝縮されているような気がしやすな。

 しばらくして、今度はあつ湯へ。

 足を入れた瞬間、「おっ」と声が出る。

 「熱っつ」

 しかし、刺すような熱さでない。身体の芯へ真っ直ぐ届くような熱さ。

 肩まで沈めば、胸の奥から汗が湧き出し、全身の血が勢いよく巡り始めるのがわかりやす。

 旅の疲れも、仕事の疲れも、昨日の嫌な出来事も、湯の中で少しずつ溶けていく。

 常連さんは平然と浸かっている。観光客だけが顔を真っ赤にしている。

 その光景もまた、不老泉の日常でござんす。

 湯から上がると、肌はつるつるというより、すべすべ。

 余計なものが一枚洗い流されたような感覚が残っておりやす。

 身体の奥には小さな火鉢を抱えたような温もりが残り、外へ出ても汗が引かない。

 流川通りの風が心地よく頬をなでていく。

 なるほど。

 鏡の中の顔は変わりやしやせんが、気持ちだけは10歳ほど若返った気分に。

 「不老泉」の名は、決して大げさではござんせんでした。
 
 さて、この不老泉。歴史の長さだけでなく、建物の変遷もまた面白い。

明治35年(1902年)には
なんと白木造り三階建ての
壮麗な共同浴場として
建て替えられやした

 当時としては別府屈指の高層建築で、上階には展望台まで設けられていたといいやす。
 湯上がりに別府湾を眺め、高崎山を望む。
 まるで温泉旅館と展望塔を合わせたような豪華な施設だったのでございます。
 
 大正10年(1921年)の改築では、家族湯や滝湯に加え、当時最先端だった電気治療設備まで導入されやした。
 温泉だけでなく、療養施設としても進化を続けたわけでござんすな。
 
 さらに昭和32年(1957年)。
 高度経済成長を迎え、観光都市別府に全国から湯治客や観光客が押し寄せる時代になると、不老泉は鉄筋コンクリート三階建てへと生まれ変わりやす。
 大浴場、家族室、ホールを備えた近代的な市営温泉。
 まさに別府観光の発展と歩調を合わせるように成長していったのでございます。
 
 そして忘れてはならないのが大正9年(1920年)。

 昭和天皇(当時は皇太子)が別府行啓の際に入浴されたという逸話でござんす。

 「天皇陛下も入られた湯」(御前湯)
 
 この話は今でも地元の誇りとして語り継がれておりやす。
 もっとも、そんな輝かしい歴史を持つ不老泉も、時代とともに老朽化は避けられやせんでした。
 
 そこで平成26年(2014年)、現在の建物へと全面リニューアル。
 特徴は何と言ってもバリアフリー化でありやしょう。
 かつての不老泉は、階段を降りて浴場へ向かう半地下。別府の古いジモ泉らしい味わいがありやしたが、高齢者や車椅子利用者には少々厳しい。
 
 そこで現在は地上階に浴室を配置し、スロープやエレベーター、多目的トイレなどを整備。
 誰もが利用できる「令和の共同湯」として再出発したのでござんす。
 
 とはいえ、ただ新しくしただけではござんせん。
 入口には、明治時代から受け継がれてきた鬼瓦が展示されていやす。
 鬼瓦は、100年以上にわたり別府の町を見守ってきた歴史の証人。

 新しい建物の中に、古い魂を残した。それが今の不老泉なのでございます。

 現在の不老泉には「あつ湯」と「ぬる湯」の二槽が並びやす。 

 そして初めて訪れた人には、どこからともなく声が飛んできます。

 「まず、ぬる湯から入りんさい

 この言葉は案内板には書かれておりやせん。
 されど150年以上受け継がれてきた、不老泉ならではの口伝の入浴作法なのかもしれやせん。
 
 考えてみれば、不老泉は単なるジモ泉ではござんせん。
 明治の開湯から始まり、大正の近代化、昭和の観光発展、平成の再整備、そして令和の共生社会へ。
 別府という温泉都市の歩みそのものを映し続けてきた存在なのでござんす。

 もし「別府市営温泉第1号はどこか」と聞かれやしたら―あっしはこう答えやすぜ。

 その湯は、ただ一番古い湯じゃござんせんよ。

 別府の人間が守ってきた、「暮らしの湯」のはじまり。

 朝いちばんに暖簾をくぐる常連さんも、旅の途中のよそ者も、そして皇太子殿下も。

 みんな同じ湯に浸かってきた。

 150年、湯は黙って流れ続け、人だけが入れ替わっていく。

 ―その湯の名は、不老泉

 老いを消す湯じゃない。人と町の時間を、忘れさせねえ湯でござんすよ。


【参考】

 昭和24年に昭和天皇が不老泉で入浴されたという逸話がありやすが、それは昭和24年の戦後巡幸時ではなく、皇太子時代の「大正9年(1920年)」の出来事である可能性が極めて高いようですな。

 以下に、事実関係を整理させてもらいやす。

1. 昭和天皇(皇太子時代)の不老泉訪問(大正9年)

 昭和天皇がまだ皇太子(摂政宮)であられた大正9年11月7日、別府の「不老泉」を公式に訪問された記録が残っています。

訪問日
大正9年(1920年)11月7日

訪問目的
中津平野で行われた「陸軍特別大演習」の統監に伴う別府行啓

訪問場所
不老泉、別府公園、観海寺の記念碑など

当時の状況
当時の不老泉は、大正8年から10年にかけての大改築により、家族風呂や電気治療温泉を備えた別府を代表するモダンな市営温泉でやした。

 皇太子の訪問は、不老泉が当時いかに格式高い施設であったかを象徴する出来事として語り継がれていやす。

2. 昭和24年(1949年)の九州巡幸と別府

 昭和24年の戦後巡幸において、昭和天皇は大分県を訪問されていやすが、この際の別府での動静は以下の通り。

• 巡幸日程: 昭和24年6月7日〜10日
• 別府滞在: 6月7日に佐賀関から別府に入り、「日名子旅館」(現在は閉館)に宿泊。
• 入浴に関する記録: 日名子旅館での宿泊に際し、「別府の湯がお気に召した」というエピソードが当時の報道や記録に残っていやす。
 しかし、この時に市営の共同浴場である不老泉に立ち寄り入浴されたという公的な記録は見当たりやせん。

3. 事実関係の混同について
「昭和24年に不老泉に入浴された」という逸話は、以下の2つの歴史的事実が混ざり合って伝わっているものと考えられやすな。

1. 大正9年の不老泉訪問 

 皇太子時代の昭和天皇が実際に不老泉を訪れた歴史的事実。

2. 昭和24年の別府巡幸

 戦後、天皇として別府を訪れ、温泉(旅館の湯)を楽しまれた事実。

 別府市内の観光案内や地元の伝承において、「昭和天皇ゆかりの湯」として不老泉が紹介される際、これらの年代や立場(皇太子か天皇か)が混同されて語られるケースがまま散見されておりやす。
 要するにでござんす、話が二つ混ざって歩いてるって寸法。 

4. 現在の不老泉と歴史の継承

 現在の不老泉は、平成26年(2014)に4度目の改築を経てリニューアルオープンした近代的な施設ですが、その歴史的な価値は今も大切にされておりやす。

• 展示: 施設内の休憩室などには、不老泉の歴史を物語る写真や資料が展示されており、昭和天皇(皇太子時代)の訪問についても触れられておりやす。
• 格式: 皇室ゆかりの地であるという誇りは、現在も市営温泉の中で最も広い浴槽を持つという不老泉のステータスに繋がっておるのでございます。

 当時の別府が皇室を迎えるにふさわしい、日本を代表する温泉都市であったことを示す貴重なエピソードでござんすね。



似た者同士 with 湯】

不老」という文字が含まれる有名温泉をご紹介いたしやしょう。

1. 黄金崎不老ふ死温泉(青森県)
不老」という名がつく温泉の中で、最も有名と言っても過言ではないのがここ。

• 特徴: 海岸の波打ち際にある「海辺の露天風呂」が非常に有名でござんす。
 潮風を浴びながら、目の前に広がる日本海と一体化したような気分で入浴できやす。
 波打ち際に湧く湯は、もはや絶景というより、天地自然の悪ふざけのような壮観でございます。

• 泉質: 鉄分を多く含んだ赤褐色(黄金色)の濁り湯で、保温効果が非常に高く「熱の湯」とも。

• おすすめ: 日本海に沈む夕日を眺めながらの入浴は絶景で、一生に一度は訪れたい温泉として全国から観光客が訪れやす。


2. 増富ラジウム温泉 不老閣(山梨県)

 湯治の宿として非常に高い知名度を誇る名湯。

• 特徴: 世界有数のラジウム含有量を誇る「増富温泉」を代表する宿。天然の岩風呂が有名で、古くから多くの人々が健康を願って訪れていやす。

• 泉質: 放射能泉(ラジウム泉)で、免疫力を高める効果が期待されるでござんすよ。

• おすすめ: 本格的な温泉療法や静かな環境でのリフレッシュを求める方に最適。

 
 まことに「不老」は羨ましい限りでござんす。
 ああ、あやかりたい、あやかりたい。
 
 同じ「ふろう」でも、しょせん、あっしは「不労」渡世人でござんすよ。
 
 おいちゃん、おばちゃん、さくら、博、元気か?


おあとがよろしいようで

 それではまた、どこかの湯でお目にかかりやしょう。 
 
 明日もまた、湯けむりの向こうに、ええ人生が湧いてまっせ。

 See 湯
 
 湯は黙って、今日も湧いております。


 

 

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ドリアンひろゆき 寸志 有り難く頂戴いたします ほんま、おおきに