御前♨「温泉名人」になる法 (別府八湯温泉道) ㉛

温泉名人の湯けむり歴史館
♨️
『殿様の湯は、
今日も青かった』
わたくし、生まれも育ちも大阪です。道頓堀で産湯を使い、姓は温泉、名は名人。人呼んでフーテンの寅ベラー「温泉名人」と発します。
皆様ともどもタコ焼き、お好み焼き、串カツの香り漂う浪花の片隅に、しがない仮の住まいを構えー
西の湯に行っちゃあノボセ、東の湯に行っちゃあフヤケ、気がつきゃ土地土地のお兄さん、お姉さんに世話になりっぱなしのー
どうにもこうにも湯気くさいオッチャンでござんす。
以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、万端ひきたって、よろしくお頼み申します。

海は瀬戸内
湯は別府
この言葉を手ぬぐい代わりに肩にかけ、湯めぐりなさる皆々様方。
温泉というものは不思議なもんでござんして、偉い殿様が入った湯も、あっしの様なオッチャンが入った湯も、肩まで浸かりゃ、みな同じ顔になりやす。
別府八湯のなかでも明礬の山あいにひっそり佇む照湯温泉は、そんなことをしみじみ考えさせてくれる湯でございます。
入口は質素。観光施設というより、まさにジモ泉。
ところが暖簾をくぐると驚きやす。そこには、江戸時代の殿様が浸かったと伝わる石風呂が、180年以上経った今も現役で使われているのでございます。
石は黙っておりますが、人間よりよほど長生きでござんすな。

この照湯を開いたのは、天保の頃(1840年代)の豊後森藩主こと久留島通嘉公。
春木川の荒れた様子をご覧になって、「人々の為になるものを造れ」と命じたのが始まりと伝えられておりやす。
工事には庄屋や大工たちが総出であたり、湯船だけでなく、お茶屋に庭園、築山まで備えた立派な温泉場が完成したそうでございます。
いまで言えば、御用達の星野リゾート界。
もっとも、その頃は「インスタ映え」なんて言葉もござんせんから、殿様も純粋に湯治を楽しんでおられたことでしょう。
天保13年(1842)と15年(1844)には、実際に久留島公がここで湯治をされた記録も残っておりやす。
つまり照湯は、「殿様が入ったらしい」という噂ではなく、「ホンマに殿様が浸かった湯」なんでございます。
ただし、殿様が
「熱っ!」
と声をあげたかどうかは、記録にござんせん。
しかしあっしは確信してやす。あの熱さなら、殿様も声をあげたに違いない。お殿様も人間でござんすからねぇ…

驚き桃の木山椒の木、柳の下にどじょうが三匹、へい、いらっしゃい…いやこれは失礼…その頃の「石組みの湯船」が今もちゃんと残っているんでござんすよ。
巨大な切石を積み上げた湯船は、180年以上の歳月をじっと見つめてきやした。
江戸の武士も見たであろう石。明治の農家のおじさんも触れたであろう石。昭和の湯治客も枕にしたであろう石。その石に、令和の旅人が背中を預ける。
温泉というのは、歴史の教科書よりも人間の時間を感じさせるものでございます。
脱衣場一体の浴場へ入ると、高い木造の天井の下に、どーんと石風呂。
まるで殿様が今しがた席を外したような風格がござんす。
ところが湯に手を入れると、「熱っ!」
これがまた、なかなかの熱湯。常連さんが初めての旅人に、
「ゆっくり入らにゃ、やけどするがな」
と声をかけるほどで。

身体の芯まで温まり、湯上がりに冷たい風が吹いても寒くならない。
昔から「湯冷めしにくい」と評判なのも納得いたしやす。
身体が温まったところで、ふと湯面を眺めると―これがまた、妙な色をしている日がありやしてね。
あっしは最初、
「殿様の霊でも出るのか」
と思いやしたが、どうもそうじゃござんせん。
温泉に含まれるメタケイ酸が冷えることで細かな粒になり、光を散乱させるため青く見えるのだそう。
難しい言葉で言えばレイリー散乱。簡単に言えば、「お湯がその日の気分でおしゃれをしている」ということでござんすよ。
もっとも、おしゃれ行き過ぎて、「今日は真っ青すぎ」という日もなくはない。
そんな日にゃ常連のおばちゃんが一言。
「今日の殿様、きげん悪かったんじゃなかかい?」
これが照湯の気候変動でございます。
……で、そういう意味では、「殿様の湯は、今日も青かった」というのは、
殿様の機嫌がよかった証拠。青ければ縁起が良ろしい、ということでございます。
さて、「隣の湯は青い」と申しますが、並びの照湯の源泉も、普通の温泉とはちょいと違う。
地中から噴き上がる高温の蒸気に地下水を通して温泉を作る、明礬らしい蒸気加熱型。まるで天然の巨大な「蒸し器」でございますな。
だから湯温も、色も、湯ざわりも、その日の自然の機嫌によって少しずつ変わる。
毎日同じようでいて、実は毎日違う。人間と同じでござんす。
そして照湯が面白いのは歴史だけではござんせん。
現在は地域の婦人会の皆さんが守り続けておりやす。
石風呂にカビが生えないよう、水滴をスポンジで一滴ずつ吸い取る。聞けば気の遠くなるような作業の毎日。
しかし、その積み重ねがあるからこそ、江戸時代の石風呂が今も現役で使われているのでございます。
この湯を守っているのは石ではなく、人でございます。何十年と毎日通い、手をかけ、お湯を張り続ける人たち「湯守」の手で。
文化財は博物館にあるだけではござんせん。
毎日お湯を張り、人が入り、掃除をすることで生き続ける。
まさに照湯はその証明でございます。

名物の温泉玉子をどうぞ
2個で百円也
昨今なんでも値上がりの世の中でござんすが、この玉子🥚を見ておりますと、「日本人の良心はまだ生きているなあ」とつくづく思いやす。
ベンチでは地元のお年寄りが世間話。相撲中継が始まると誰も帰らない。
観光パンフレットには載りやしやせんが、これこそ本物の温泉文化ではござんせんか。
殿様の御前湯として生まれた照湯。
時代が変わり、村人の共同湯となり、いまでは地域の居間として生き続けている。
かの殿様も、もし今の照湯をご覧になったならば…
「そちの働き、まことに天晴れじゃ」
「これほど頼りになる湯守を持ち、余は幸せ者じゃ」
「近こう寄れ、好きなものを申せ、叶えてやろう」
と目を細めるやもしれやせん。
……と、ここで婦人会の代表がひと言。
「お湯、もうちっとぬくしてくれんか」
こりゃ殿様、たじたじでござんすなぁ。
さては皆々様、明礬を訪れた折には、ぜひとも、この殿様の湯「照湯」まで。
運が良ければ、その日の湯は青く輝いているかもしれやせんぜ。もっとも、殿の気分次第でござんすがね…
…おあとがよろしいようで…
それでは次の湯で、またお目にかかりやしょう。
明日もまた、湯けむりの向こうに、ええ人生が湧いてまっせ。
See 湯
湯は黙って、今日も湧いております。
【エンディングテーマ】
♪湯けむりの向こうに、今日も誰かの物語が湧いている。
…そんな別府に、あっしは惚れちまった…
路地裏の流し、湯に魅かれたオッチャンの十八番を一曲、お代はいらねぇよ。

「別府八湯温泉道」のテーマ
『ラブ湯~別府』♫(feat.ラブユー東京)
別府温泉に
魅かれてしまったの
湯けむりがまとわる
わたしのタオル
泉質だけが生き甲斐なの 八湯をめぐる
ラブ湯~
ラブ湯~
湯の町別府
別府温泉で
のぼせてしまったの
湯の華が漂う
わたしのタオル
ジモ泉だけが
生き甲斐なの
脱衣場一体
ラブ湯~
ラブ湯~
湯けむり別府
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寸志
有り難く頂戴いたします
ほんま、おおきに