酒を楽しく飲めるなど、それだけでどれほど幸せなことでしょうか。

僕にとっての酒は麻酔のようなものであり、敏感すぎる心を麻痺させ大雑把で出鱈目な人間にさせてくれる鎮痛剤なのです。

「幸福って、何も感じないことなのよ。
幸福って、もっと鈍感なものよ。
……幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考えないで生きてゆくんですよ。」

僕の敬愛する三島由紀夫先生はこうおっしゃっておりましたが、敏感な人間とは幸福から最も遠くに位置することは歴史の示すところでありますし、自分の経験と重ねてみてもそれは間違いないことと確信しています。

「なぜそんなに酒を飲むのか」と問われるたびに僕は諦観を宿した笑みを浮かべながら「好きだからかねぇ」と答えるばかりなのですが、そもそもそのような質問をする人に酒飲みの心理は到底わかりえぬものでしょう。

酒飲みは好んで酒を飲んでるわけではありませんし、酒に愛おしさを抱いてるわけでもありません。

むしろ酒飲みというのはいつの時代も酒のことなんて大嫌いで、酒そのものにも、酒に溺れている自分自身にも嫌悪感を抱きながら必死に酒の濁流から逃れようと手足をジタバタさせて抵抗しているものです。


酒というのはダメな恋愛と一緒で「あぁいっそ嫌いになれればどれほど楽だろう」などと思いながらもついつい自ら近づいてしまい「こんどこそもう縁を切るぞ」と決めたにもかかわらず、なにかと理由をつけて合理化しては近づくことを繰り返すうちにズブズブと沼に引き摺り込ませ、最後にはもうそれなしでは生きていけなくなさせてしまうような、危険な魔力を秘めた妖艶な液体です。

澄んだ空気のサッパリとした朝を迎えると共に「今日こそは飲まないぞ」と胸に固く決意をするものの「やっぱり貴女なしではいられない」「貴女がいなければ耐えられない」と昼の前くらいにはもう心も頭も完全に支配されてしまいます。


酒なんて辞められるなら辞めるに越したことはないのです。

飲まないのであれば飲まないに越したことはないのです。

とはいえ「酒は百薬の長」というように、決して健康にとっても悪いことばかりではないでしょうし、人との間柄を今より良くするような効能もありましょう。

しかし、それは程よい距離感を保てる健康体の心の持ち主に限る話です。

恋愛だって健全で爽やかなものであれば心身の健康を促進させる作用があるでしょうが、いっつも愛に飢えて寂しさを胸に抱いた人間同士が陥る恋愛がドロドロとした共依存のものになりがちであるように酒を麻酔として使ってるような人間が酒を百薬の長になど到底できるはずがないのです。

千鳥足になる前に辞めておくべきです。

倒れ込んでしまうなんてもってのほかです。

惚れた相手が悪かったのです。

もっと清らかで麗しく水々しい人に恋しましょう。

健全に渇きを潤しましょう。

酒に惚れれば泥酔し、喉は余計に渇きます。

癒しのようでその実は飲めば飲むほど渇くのです。

それでもどうせ今日も飲む。

明日には心が潤うでしょうか。

明日には心が麻痺してくれるでしょうか。

もしも何も感じなくなったとしても、僕は愛を享受することはできるのでしょうか。


何も感じないことと愛を感じることが両立できることとはとても思えませんが、どうせまた酒の嵐に身を投じて、人間や愛を知ろうと行脚する夜の中で力尽きてくたばる日を過ごすのでしょう。


あなたのことが大嫌いです。

あなたから離れられず、あなたと共に夜を過ごすたびにベタベタとした脂濃いような気持ちの悪い嫌悪感を自分に抱きます。

それでも痛みしか感じられない世の中で、偽りであろうと一瞬でも靄のかかったとぼけた頭で過ごせるなら、僕はまたあなたと共に過ごしてしまうのです。

来世があるのなら「酒を楽しく飲める人に生まれてこられますように」と願いを込め

また私は顔を赤らめてしどろもどろになるのです。

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