「レアンドロ・ロの死」

1 レアンドロ・ロ殺害に至る経緯

2022年8月、レアンドロ・ロがナイトクラブで非番の警察官に銃撃され死亡した。
 レアンドロ・ロはムンジアル(ブラジリアン柔術・・・以下、「BJJ」と略す・・・世界選手権)を8回制したBJJのトップ選手であり、この事件はBJJコミュニティの中では大きなニュースとなった(注1)。
 事件の経緯を見る限り、銃撃犯エンリケ・ヴェロゾと口論になった後、周りの人間に引き離され、ロがその後もナイトクラブに留まっていたところを銃撃されて亡くなったようである(注2)。

2 ロは弱かったから殺されたのか?

 そうではない。だが、彼がBJJ選手であり、「柔術家(武術家)」ではなかった事が一因にあると私は思う。
 現在のBJJはあくまでも「スポーツ」であって、「武術」ではない。
「スポーツ」は、予め決められたルールに従って互いのパフォーマンスを競い合い、その結果によって優劣を付けることを特徴としている。
 したがって、BJJという「スポーツ」で成功を収めた者ほど、BJJという「ルール」の枠内での勝利に固執するため、「ルール」の枠外で起こる出来事についての想像力が欠如しがちになるのは否めないだろう。

3 ヒクソンの予言

 一時期日本でも「最強」と謳われたヒクソン・グレイシーが同じ2022年2月に出した自伝「『BREATH』 A LIFE IN FLOW」の中で彼自身の経験を次のように語っている。

 「暴徒にいっせいに襲いかかられた場合の選択肢は、私でも、・・・(略)・・・、戦略的退却しかない。17歳のとき、そんな状況を経験した。カーニバルのためブラジル南部にいたときだ。ナイトクラブの前で女の子たちと話していたら、ひとりの男がいきなり殴ってきた。殴り返したら、近所の住民が束になって襲ってきた。とつぜん二十人の男たちから通りを追いかけられたのだ。誰かが私の頭に大きな木片を投げつけた。上腕をあげてなんとか防いだが、ひとつ間違えたら大変なことになっていただろう。ひたすら走っているうち、ついに暴徒のほうが疲れてあきらめた。柔術らしい柔術は何も使わなかったが、私を救ってくれたのは武術家としての心構えだった。」(「『BREATHE A LIFE IN FLOW』 ヒクソン・グレイシー自伝」p281亜紀書房)

 ヒクソンの日本でのイメージは、「400戦無敗の男」というマスコミの(多分に悪意に満ちた)煽りや彼の試合(VTJ・PRIDE)がMMAルールで行われたこともあって、「ファイター」としての側面ばかりに焦点が当てられがちであるが、彼はれっきとした「柔術家(武術家)」である。『BREATH』より再度彼の言葉を引用しよう。

 「柔術競技のトップ選手たちを優れたアスリートとして尊敬してはいたが、非の打ちどころのない武術家とは思わなかった。護身術の側面を無視していたからだ。実戦とは予測不可能なもので、生き延びることが唯一の目標になることだって珍しくない。」(同p281)
 「私たちの文化、柔術文化は包囲を受けている。我々は少数派になり、かつてのスタイルを失いかけている。私たちのシステムは弱者が強者から身を守るために編み出されたものだ。美しいメダルや派手な宙返りは、実生活とは関係ない。護身術を知らなければ柔術を知っているとは言えない。」(同285p)

 この二つの文章からも分かるように、ヒクソンは護身術(セルフディフェンス)こそが柔術の本質であり、BJJの試合に勝利する選手たちを「アスリート」として、「武術家」とは見ていない事が分かる。
 俗に「柔術あるある」と言われる小話のひとつに、「ストリートファイトになったら柔術家(BJJ選手と呼ぶ方が正確だろう)はまず引き込む」というのがある。
 柔術を知らない方のためにこの小話の状況を説明すると、BJJ選手が喧嘩になったら、まず自分からアスファルトの上に仰向けに寝転がる、という事である。
 BJJの試合では打撃が禁止でなおかつ自分からマットの上に座ることが許されているため、こういう小話が出来たのだろう。裏を返せば、BJJの選手は試合に勝てば勝つほどマットの外で起こりうる事態についての想像力が著しく欠如してしまっている事に当人達も薄々気付いているのかもしれない。

4 ロの死から我々は何を学ぶべきか?

 ロが殺害されたことにBJJコミュニティは哀悼の意を寄せているらしい(注3)。それはそれで結構な事であろう。だが、ロが自分の「競技者としての強さ」を過信せず、もし「柔術家」であったなら、このような事態には至らなかったのではないだろうか?
 少なくとも私であれば、ブラジルのナイトクラブに行くことはない。「武術家は常在戦場である」という便利な言葉があるが、常在戦場ならば、誰がどんな武器を持っているかも分からない、ブラジルのナイトクラブに行くことは自分の命を危険にさらしに行くようなものだろう。
 ロがナイトクラブに行ったことを咎めるのが酷だという意見もあるだろうが、そうだとしても、エンリケ某と口論になった時点で、ナイトクラブを去るべきだったと私は思う。
 それは「逃げだ!」という人もいるかもしれないが、ロはBJJという「スポーツ」の競技者である。彼がBJJの試合で負けたのなら恥かもしれないが(私はムンジアルという舞台で長年に渡って戦い続けて来た事実だけでも彼が優れたBJJ選手であることを疑う気は毛頭ない)、マットの外で喧嘩から逃げたとしても、彼は試合に負けてはいないのだから何も恥じる必要はなかったのである。

 日本でも「スポーツ」化されたBJJ競技者の多くが、想像力の欠如というロと同じ過ちを犯しているように感じている。
 BJJ競技者は1対1の勝負でルールの中では強いに決まっている。だが、彼らははたして夜の繁華街でいきなり喧嘩を吹っ掛けられても常に生き延びられるのだろうか?BJJ競技者もルールに守られていることを忘れず、もって今回のロの殺害事件を他山の意思とし、「セルフディフェンス」「護身術」といった柔術の本来の側面にもっと目を向けるべきではないだろうか?

注1)http://btbrasil.livedoor.biz/archives/2022-08-08.html
注2)レアンドロ・ロの個人についての詳しい情報は以下のサイトを参照。https://www.bjjheroes.com/bjj-fighters/leandro-lo-pereira
注3)https://grapplinginsider.com/jiu-jitsu-community-honors-remembers-leandro-lo/

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