花札に封じられた妖の姫たち─狐の姫、幻蝶の姫、緋金の姫
平安の都には、夜毎ひそやかに現れるという「妖の姫」たちの噂があった。
月のない晩、灯の届かぬ小路に立ち、甘く微笑んでは人の心を惑わせる。
その姿を見た者は、魅入られたように後を追い、二度と元の場所へは戻れなかったという。
狐の姫。幻蝶の姫。
そして、水底の夢を纏う緋金の姫。
あまりに美しく、あまりに妖しい姫たち。
その噂は、やがて都の闇に、ひとりの陰陽師を呼び寄せた。
狐の姫。人を惑わす翠の瞳

月の沈まぬ夜、黒き御殿の奥で、妖の姫は狐面を指先で弄びながら笑った。
「わらわに近づくものは、皆、二度と帰らぬ」
その噂を確かめようと、欲深い男たちが宝や名声を求めて門をくぐる。
けれど姫の翠の瞳に見つめられた瞬間、足は止まり、声は消え、魂だけが甘く絡め取られていく。
翌朝、御殿には誰もいない。
残るのは、畳に落ちた一本の簪と、庭に増えた白い狐火だけ。
姫は面の奥で、そっと唇を開く。
「次は、誰がわらわの夜を慰めに来るのじゃ?」
幻蝶の姫。名を隠す夜

桜が咲く満月の夜、山の奥にひとりの姫が現れるという。
赤い扇を手に、背後には白い面と鬼の影を従えて。
迷い込んだ旅人が名を尋ねると、姫は静かに笑った。
「名は、とうに隠した。呼ばれれば、戻らねばならぬから」
蝶が舞い、月が赤く滲む。
次の瞬間、姫の姿は霧に溶けていた。
ただ、扇の香だけが残る。
誰にも呼ばれぬ名を、守るように。
緋金の姫。忘れ去られた想ひ

黒い池の底には、赤い着物の姫が棲んでいる。
人は彼女を、金魚の姫と呼んだ。
けれど本当は、彼女は金魚の妖ではない。
忘れられた願いが、金魚の形をして彼女の周りを泳いでいるのだ。
泣くたびに、目元の紅は水に溶け、
また一匹、赤い金魚が生まれる。
「もう、誰も願わないで」
姫はそう呟く。
けれど夜が来るたび、人はまた願いを落としていく。
金魚たちは、闇の中でひらりと尾を揺らす。
姫はそれを抱くように、静かに目を伏せた。
その涙が乾くことはない。
けれど、彼女のそばで泳ぐ金魚だけは、いつも美しく、妖しく──
人を惑わす。
狐の姫は人の名を奪い、
幻蝶の姫は夢と現の境へ人を誘い、
緋金の姫は叶わなかった願いを水底へ沈めていく。
あまりに美しく、あまりに妖しいその気配を、
都の闇の中で、ひとり追う者がいた。
その名は──瓊季。

瓊季は都と人々を守るため、三姫を花札へと封じる術を選んだ。

瓊季は護符を宙へ放ち、静かに指先を結んだ。
風もない夜に、白い札がひらり、ひらりと舞い上がる。
やがて彼は、低く呪を唱えた。
臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前──
その声に応じるように、三枚の花札が淡く光を帯びていく。
狐の尾が揺れ、青い蝶が羽ばたき、赤き金魚が水のない空を泳ぐ。
次の瞬間、姫たちの妖しき気配は、光とともに札の奥へ吸い込まれていった。
瓊季は最後の護符を静かに貼る。
封印は、成された。

狐面を掲げ、月夜に人を惑わす姫。
その名を呼んだ者は、帰る道を失う。

青き蝶をまとい、夢と現の境に立つ姫。
その瞳に触れた者は、甘い幻に囚われる。

水底の願いを、赤き金魚に変える姫。
想う者は、静かな深みに囚われる。
三姫は花札に封じられた。
けれど月夜になると、札の奥で、狐が笑い、蝶が舞い、金魚が泳ぐという。


