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蒲田新宿村の大火【2月3日 今日は何の日】(蒲田東特別出張所) #227

※本記事は
 Otapedia公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
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火事の状況

230年前の今日──
1796年 (寛政8年) 2月3日夜

蒲田新宿村
(かまたしんしゅく) 
東海道往筋の
弥七宅より出火し、
強風にあおられて
15軒が焼失した。


蒲田新宿村の位置

蒲田新宿村は
大田区の合併の
1947年 (昭和22年) 3月15日まで
残った古い地名。

その範囲は広く
西は
大田区立新宿小学校 (しんしゅく) 付近
東は
糀谷駅近くまでの広範囲が
新宿という地名だった。

大田区立新宿小学校
蒲田本町1-5-1
かつて糀谷駅の近くにあった
新宿東町会詰所
2023年6月24日 Otapedia撮影

大田区の新宿

新宿といえば
繁華街を想像される方も
多いでしょうが、
大田区の蒲田にも
読み方は違いますが
「新宿」という
地名がありました。

当時
新宿と呼ばれた
範囲から推測すれば、
東海道の品川と川崎の
間の宿 (宿場と宿場の間の宿場) から
名付けられたのかもしれません。


推測される火事の場所

史料には詳細な地点は
書かれていないが
「東海道沿いの蒲田新宿村」
という記述から
Otapediaが推察すると、
現在の
国道15号と
環八通りの交わる
南蒲田交差点周辺が
もっとも大火の発生地点に
近いと考えられる。

また、
15軒の家

焼失したという
記録から判断すると
この周辺は、
旅籠や商店が
集まる "間の宿" だった
可能性が高い。

環八通り外回りから
南蒲田交差点を見て
京急本線方向を望む

最後に

たった1行の記録ですが、
確かにこの地で起きた
大火の記録です。

地名がなくなっても、
新宿小学校という
旧町名を冠した
学校が誕生し、
今も脈々と旧地名の
受け継がれている様子が
うかがえます。

今後は
大火の起こった場所が
"間の宿" であった事実について
掘り下げたいと思います。

Otapediaは、
蒲田新宿村と
大田区立新宿小学校を
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
当時の東海道の街道筋で
大火が発生した
2月3日を
「大田区記憶の日」
として登録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。

出典
 護国寺文書
ヘッダー
 AIによるイメージ

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