シバタ・サーカスの火災 (蒲田西特別出張所) #271
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週末のテント小屋で起きた悲劇
Tragedy at a Weekend Circus Tent (Tokyo, 1939)
1939年 (昭和14年) 3月18日
午後四時頃
蒲田区女塚町4-9の
空き地で興行中だった
シバタ・サーカスの
猛獣繋留場付近から出火した。
強風に煽られ、
約500坪の大天幕は
一瞬にして全焼。
※ 当時の女塚町4-9は、
現在の
日本工学院付近にあたります。
大人気のサーカス興行
土曜日の午後
ということもあり、
約700名ほどの観客が
来場していた。
緊迫の現場の消火活動
蒲田消防署・
大森消防署の消防署員、
さらに附近の
在郷軍人たちも加わり
懸命な消火活動が行われた。
出火から約一時間後の
午後五時頃に鎮火した。
負傷者
見物中の姉妹や
大森消防署員など、
数名が負傷した。
動物たちの哀れな最期
同時にサーカス団員による
動物たちの避難も行われたが、
ライオン3頭、ヒョウ1頭は
猛火の中で焼死。
さらに、
犬・猿20匹の焼死体が確認され、
ゾウとラクダは全身に
やけどを負った状態で発見された。
日本のサーカス史
寛政~文政時代に
隆盛を極めた
「日本曲馬」に始まる。
江戸末期(1864年頃)に
西洋の「曲馬団」来日が
近代サーカスの
契機となったとされる。
1899年
初の国産サーカス
「日本チャリネ一座」旗揚げ。
1902年
「木下サーカス」の源流である
木下唯助が創始。
大正時代には
初めてライオンを使った
ショーで人気を博した
「矢野サーカス」
が登場した。
1933年 (昭和8年)
世界一の動物調教を誇る
ドイツの
「ハーゲンベック・サーカス」
が来日し、
日本国中で
爆発的な人気を得た。
彼らの
来日により
広く「サーカス」
と名乗るようになったと
されている。
黄金期を迎えた
サーカス団は
この時
国内に30以上の
あったそうですが、
1942年 (昭和17年)
国内情勢強化という
理由で全猛獣が
処分されました。
戦後
サーカスは
徐々に活気を
取り戻していきました。
1948年 (昭和23年) の
児童福祉法制定により
15歳未満の児童が
参加できなくなり
後継の育成が
困難になりました。
それでも
1956年 (昭和31年) には
「日本仮設興行協同組合」が
設立され、
シバタ・サーカスを含めた
約20の団体が所属していました。
1967年には
木下サーカス
矢野サーカス
キグレサーカス
の3団体のみと
なってしまいました。
シバタ・サーカスの沿革
山梨出身の小林隆英が、
名古屋に移り
小幡半四郎こと
柴田半四郎のもとで興行を学ぶ。
1898年 (明治31年)
半四郎の子分となり
柴田隆英を名乗る。
21歳の時(年代不明)
新潟県中蒲原郡新津町の
長谷川家の婿養子となるが
興行では柴田姓を名乗る。
1922年 (大正11年)
柴田曲馬団を結成。
1923年 (大正12年)
大橋粂次郎一座を吸収し
柴田大曲馬団と改称した。
1927年 (昭和2年) 春
隆英は、
公演中の熊谷市で
刺殺される。
行年45歳。
隆英亡き後は
長男・長谷川秀市(当時24歳)
次男・長谷川高次(当時22歳)
により再出発した。
1933年(昭和8年)
シバタサーカスと改称する。
1942年(昭和17年)
大阪出の村上サーカス団を吸収。
戦後
黒須・管野・豊田・ラッキーの
4団体を吸収し再興する。
1963年 (昭和38年)
サーカス業界を牽引した
シバタ・大サーカスは
残念ながら解散した。
その後、
その系譜は
大きく姿を変えていくこととなる。
最後に
歴史を振り返ると
明治時代後期から
サーカスは広く認知され
人々の娯楽として
広く親しまれていた。
Otapediaは
シバタ・大サーカスを
「大田区無名の組織・集団」
火災が起きた
3月18日を
「大田区記憶の日」
として登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらは
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『東京朝日新聞』 昭和14年3月19日版
2.『かまにし17』 第44号 蒲田西特別出張所管内 平成24年6月1日 発行
3. シバタ大サーカス - 新発田近隣 『緑の谷・赤い谷』
4. 日本サーカス史 『chansuke net.』
5. Yakuza Wiki 『柴田一家』
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