平和島競艇場【6月5日 今日は何の日】 (入新井特別出張所) #349
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平和島競艇場がある場所
明治時代には、
大森海水浴場。
大正時代には、
料亭が立ち並ぶ
大森海岸三業地。
昭和時代には、
東京捕虜収容所
(大森収容所)
が置かれ、
戦後、
その跡地が競艇場へと
姿を変えた。

今の平和島競艇場の向こう正面あたり
遠くに東京瓦斯 大森製造所のガスタンクが見える
所蔵:大田区立郷土博物館
京急開発株式会社沿革
1934年 (昭和9年) 12月12日
「株式会社大宮八幡園」設立。
大宮八幡神社の隣接地
和田堀公園で
プールや貸しボートなどを備えた
遊園地の経営を開始する。
第二次世界大戦によって
施設の大半を焼失。
1952年 (昭和27年) 6月27日
株式会社武蔵水園に社名変更
和田堀公園で
競艇場の設置を目指すものの、
学校が隣接していることや
地元住民の反対などもあり
計画を断念しました。
その後、
武蔵水園の山名社長が、
大田区での競艇場誘致に向けて
活発な獲得運動を展開し、
大森(平和島)における
競艇場の企業準備業務を
正式に引き継ぎました。
1952年 (昭和27年) 12月10日
東京水上レクリエーション株式会社
が大田区平和島へ拠点を移す。
1952年 (昭和27年) 12月13日
大田区協力の下
競艇場建設を目指します。
1953年 (昭和28年) 2月24日
平和島の埋立権譲渡請願書を
東京都へ提出。
1953年 (昭和28年) 3月9日
モーターボート競走
早急実施について願書を
東京都へ提出。
1953年 (昭和28年) 5月19日
大田区議会から
東京都議会へ提出した
大田区平和島に
「モーターボート競走設置に関する陳情」に対し、
都営モーターボート競走の
施行並びに競走場を
大田区平和島に設置することが
都議会において可決される。
1953年 (昭和28年) 5月20日
東京水上レクリエーション株式会社から
大森水上レクリエーション株式会社へ
社名変更。
同日
モーターボート競走場
建設指令願を
東京都へ提出。
1954年 (昭和29年) 1月5日
モーターボート競走場
建設工事に着手する。
1954年 (昭和29年) 1月19日
大森水上レクリエーション株式会社
が京浜急行電鉄の傘下となる。
1954年 (昭和29年) 2月22日
新規橋梁「平和橋」
架設が認可される。
1954年 (昭和29年) 3月26日
都営モーターボート競走に
使用するモーター及び
ボートのオーナーとして
承認される。
1954年 (昭和29年) 5月31日
競走場の登録が完了する。
1954年 (昭和29年) 6月4日
「平和橋」が完成
安井都知事も参加し
渡り初めが行われる。
1954年 (昭和29年) 6月5日
大森競走場が開場し、
第一回都営モーターボート競走が
初開催されました。
1956年 (昭和31年) 12月26日
「平和橋」を
東京都へ無償寄付する。
1957年 (昭和32年) 5月15日
株式会社平和嶋へ社名変更。
同日
大森競走場より
平和島競艇場へ名称変更。
1960年 (昭和35年) 3月31日
第一回相模湖モーターボート競走組合が
初開催されました。
1981年 (昭和56年) 1月1日
京急開発株式会社へ社名変更。
大森競走場
1954年 (昭和29年) 6月5日
全国で18番目の競艇場
大森競走場が
東京都主催によって開場した。
(閉鎖も含む。現在は全24場)
前日の6月4日には、
大森競走場に繋がる
「平和橋」が開通した。
当時は、
国道15号線以東が海であり、
橋の整備が不可欠だった。

現・平和島口交差点
撮影:かえる11号
経営不振による主催変更
大森競走場は、
開場したものの
順調ではなかった。
開場の翌年
1955年 (昭和30年) 9月2日
東京都は主催から撤退。
同9月20日からは、
東京都府中市が主催を引き継ぎ、
現在に至る。
1960年 (昭和35年) 3月から
2004年 (平成16年) 度までは、
相模湖モーターボート競走組合が
主催に加わっていた。

出典:Webおおた写真館(大田区役所)
なぜ府中市が主催となったのか
大田区から離れた府中市が
主催に加わった経緯は
明確には確認できていない。
府中市役所の
競艇事業担当部長は
その前年である
1954年に市町村合併で
府中市が発足したことから
財政基盤を確立する目的が
あったのではないかと推測している。
関東を代表する競艇場へ
競艇には
SG・PGI・GI・GII・GIII・一般
のカテゴリがあり、
SGが最上級。
毎年年末に
年間獲得賞金上位者で行われる
グランプリ(賞金王決定戦)
も開催されるなど
関東地区の
主要競艇場となっている。

平和島競艇場
撮影:かえる11号

撮影:かえる11号
施設とサービス
施設の所有者は、
京浜急行電鉄グループの
京急開発となっている。
開催日には、
JR大森駅と
京浜急行平和島駅から
無料送迎バスが
運行している。
また、
BIG FUN平和島があり
映画館・ボーリング場・
ドン・キホーテなどを備えた、
一大アミューズメント施設となっている。

BIG FUN平和島
さまざまな施設が入居する
撮影:かえる11号
ボートレース平和島劇場
映像ホールだった
東京テレシアターを、
外向発売所(場外発売所)として
平和島競艇劇場の名称で
2010年 (平成22年) 1月20日に
オープンした。
2012年 (平成24年) 1月12日に
現在の名称に変更した。
24競艇場のうち
12競艇場併売を行っている。

撮影:かえる11号
1979年 (昭和54年) の騒動
1979年 (昭和54年) 8月18日
第7レースの
払戻金発表を巡って
観客約150人が抗議を行った。
最終レース後になっても
正門付近で抗議が続いたため、
警視庁機動隊が出動し
観客を場外へ排除する事態となった。
平和島競艇場 サポーター
クジラの「P☆STAR(ピースター)」
応援サポーターには、
女性マジシャンのLUNA氏が
就任している。

出典:BOATRACE 平和島
平和島競艇場名物
全国24競艇場には、
それぞれ名物メシがある。
平和島競艇場では、
煮込みの店 おおこし
で提供される、
「煮込みライス」
通称「ニコライ」
が名物となっている。
食べたくなった方は、
入場料100円で入場すると、
味わうことができる。

「煮込みライス」
撮影:かえる11号

撮影:かえる11号
最後に
Otapediaは、
平和島競艇場を
「大田区初」
「大田区唯一」
の競艇場として
平和島競艇場を
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
煮込みの店 おおこしの
煮込みライス
「ニコライ」を
「大田区の逸品」
として
平和島競艇場が開場された
6月5日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは、
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『平和島競艇場』Wikipedia
2.『平和島』Wikipedia
3.『京急開発』Wikipedia
4.『煮込みの店 おおこし』食べログ
ヘッダー
4.『昭和30年代の平和島競艇場』 Webおおた写真館(大田区役所)
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