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歴史が息づく旧町名「森ケ崎」復活のご提案 『承』(大森東特別出張所) #43

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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承: 「森ケ崎の父」田中新造の登場

 いよいよ今回は、
 観光地であった「森ケ崎」が、
 どのようにして
 多くの人を魅了する観光地へと
 変貌していったのか、
 その夜明けの物語を深掘りしていきます。 

 ※「森ケ崎の父」とは
   大田区の公的な呼称ではなく
   本記事の運営者である
   「Otapedia」が、
   田中新造氏の功績を讃えて
   便宜的に用いている呼称です。 


【1.旧地名「森ケ崎」の歴史】

 この地はもともと
 「大森の崎」と呼ばれていた場所が
 変化し「森ケ崎」になったと
 言われています。
 古くから
 「大森八景 (おおもりはっけい)」の一つ
 「森ケ崎の秋月 (しゅうげつ)」として
 知られる美しい名所でした。


【2.森ケ崎の運命を握る田中新造】

 1912年 (明治45年) 発行の
 『通俗荏原風土記稿』によれば、
 今からおよそ150年ほど前の
 明治10年 (1877年) 頃
 森ケ崎は住む人もほとんどなく、
 広々とした荒れ地であったと
 記されています。

 同年、
 この土地の豪家であった
 田中新造氏が、
 数十町 (約10~30ヘクタール、
 東京ドーム約2~6個分) の
 広大な土地を開墾しました。
 元々東京湾の干潟であった
 水辺の湿地帯だった土地を、
 埋め立てたのです。

 その結果、
 この土地に住む人々が増え、
 次第に森ケ崎という街が
 形成されていきました。[出典 2]

※荏原郡群会議員・
 大森村議会議員・
 大森町議会議員名簿に
 田中新造の名前が確認できるが
 同一人物かは未確認である。
       [出典 3]
   (2025年11月20日加筆)

当時の写真が著作権等の問題で使用できないため
AIにイメージ生成を依頼しました
歴史的事実を証明する資料ではありません

【3.とある男の予言】

 森ケ崎の運命が大きく変わったのは、
 今からおよそ120年以上前のことです。

 この頃人々が
 この地のさらなる発展を考えている中、
 ある川崎の瓦屋の主人
 「この辺りには
 きっと鉱泉があるはずだから、
 掘ってみてはどうか
」と
 提案したと伝えられています。

当時の写真が著作権等の問題で使用できないため
AIにイメージ生成を依頼しました
歴史的事実を証明する資料ではありません

【4.奇跡の森ケ崎鉱泉発見】

 その言葉を受けて、
 1899年 (明治32年) 8月
 付近の農民灌漑用水
 参拝者用の手洗い水を得ようと、
 無縁堂 (大森寺) の一角に
 灌漑用の井戸を掘ったところ
 見事に鉱泉が湧きだしました。
 1900年 (明治33年) 3月
 効能試験
が行われ
 その成分が
 様々な病気にも効くことが
 医学的に認められると、
 ビジネスチャンスに敏感な人々が、
 次々と旅館料理屋
 開業していきました。
 こうして
 京浜地方 (今の東京や横浜方面) から
 遊びに来る人や、
 療養目的のお客さんたちが
 森ケ崎を訪れるようになり、
 たちまち人気を博しました。[出典 2]


【5.温泉郷としての森ケ崎誕生】

 こうして1902年 (明治35年) 
 森ケ崎最初の旅館
 
光遊館」が開業しました。
 
 そして、
 多くの人が訪れる観光地となった
 森ヶ崎へ向かうため、
 平林吉蔵氏による
 「森ケ崎人力自動車」が
 山谷 (大森町駅) 森ケ崎の間で、
 運行を開始しました。
 さらに鉱泉病院が開業したことで
 保養地としての体制が整っていきました。

 1914年 (大正3年)
 島田平吉が中心となり、
 13軒の店舗による
 森ケ崎料理旅館組合が設立され、
 温泉郷は組織的な発展を遂げました。

 1922年 (大正11年) 5月
 横山榮太郎が発起人となり
 森ケ崎藝妓屋組合が設立され
 花街としての体制が整えられました。

 史跡
  森ケ崎鉱泉源泉の碑 (大森寺 大森南5‐1‐2)

当時の写真が著作権等の問題で使用できないため
AIにイメージ生成を依頼しました
歴史的事実を証明する資料ではありません
出典
都市空間の史層、
花街の近代──
ひとつの「場所の系譜学」へ向けて | 加藤政洋
大森寺にある
森ケ崎鉱泉源泉碑
大田区教育委員会による
大田区文化財
森ケ崎鉱泉源泉碑 説明

【6.森ケ崎の多様な発展と賑わい】

 100年前森ケ崎は、
 大田区内でも屈指の観光地
 発展していたのです。
 
 今も大森や蒲田から森ケ崎へ
 バス路線が伸びているのは、
 このような歴史的背景からでしょう。
 
 その後、森ケ崎海水浴場
 三業地と呼ばれる (花街) として栄え、
 また東京湾のきれいな水を利用して
 森ケ崎養魚場もできました。

 芥川龍之介田山花袋など
 多くの文化人も
 逗留 (とうりゅう) しました。

 1915年 (大正4年)
 大手出版社博文館
 旅館「大金」を開業させました。 

写真:府下森ケ崎大金旅館鯉池之景
大田区立郷土博物館 所蔵

【7.著名人が愛した旅館「大金」と「万金」の話】

 当時「東の万金」「西の大金」と
 並び称される
 森ケ崎を代表する二つの旅館がありました。
 大金は出版社が経営する旅館であったため
 尾崎士郎菊池寛芥川龍之介北原白秋など
 多くの作家が訪れました。
   
 一方、万金には玉川勝太郎松旭斎天勝など
 多くの芸能人が訪れ、
 その他政財界画家相撲界の人々も
 保養地として利用しました。

写真:大森森ケ崎鉱泉 万金
大田区立郷土博物館 所蔵
参考資料
出典 絵地図に見る森ケ崎界隈の今昔
森ヶ崎地区の絵地図(大正末期〜昭和初期)
見にくいですが
「左上に大金」「右下に万金」が見えます

【8.森ケ崎が舞台となった作品】

 尾崎士郎人生劇場
 この地で代表作の後半部分を
 執筆したと言われています。

 永井荷風「腕くらべ」など
        2025年7月31日加筆

写真:大森 森ケ崎 勇館
大田区立郷土博物館 所蔵

【9.関東大震災後の森ケ崎の変化と新たな役割】

 関東大震災後の森ケ崎は
 旅館街歓楽街へと
 姿を変えていきました。
 
 三業地で発生する
 病気に対応するため
 療養で使用されていた
 鉱泉病院
 重要な役割を担うようになりました。

 跡地には
 東京労災病院の宿舎が
 建っています

当時の写真が著作権等の問題で使用できないため
AIにイメージ生成を依頼しました
歴史的事実を証明する資料ではありません

【10.ブリッジ】

 「森ケ崎の父」とも言える
 田中新造の登場と
 彼の尽力がが形づくられ、
 さらにある男の予言通り
 鉱泉発見されます。
 これが、 
 森ケ崎の運命を大きく変えたのです
 温泉旅館や料亭が次々と建ち並び、
 移動手段や病院も整い、
 ここに温泉郷「森ケ崎」が完成しました。 

 東京湾の風光明媚な立地も手伝って、
 東京近郊の湯治場保養地として
 一気に繁栄していきました。

 震災を経て姿を変えながらも、
 森ケ崎の歴史は静かに、
 途切れることなく続いていきました。

参考資料
   1. 絵地図に見る森ケ崎界隈の今昔
出典
   2. 『大田の史話 その2』
   3.『大森區史』
   4.『大田区の文化財8』
   5.『大田区史』 下巻
   6.『都市空間の史層』
    花街の近代──ひとつの「場所の系譜学」へ向けて | 加藤政洋
参考 出典 7. 絵地図に見る森ケ崎界隈の今昔から
 旅館「光遊館」大森南5-1-30大森寺裏
 旅館「盛平館」大森南5-1「寿々元」西側
 旅館「平盛館」大森南5-1-23あたり
 旅館「寿々元」大森南5-3-2あたり
 旅館「大金」大森南5-2現京浜急行バス森ケ崎車庫向かいあたり
 旅館「万金」大森南5-3-17あたり
 「人力車立場」大森南2-6-9あたり
 「鉱泉病院」大森南5-2 「大金」の西側
 
ヘッダー写真
 『大森 森ケ崎 勇館』 大田区立郷土博物館 所蔵
本文内写真
 『府下森ケ崎大金旅館 鯉池之景』 大田区立郷土博物館 所蔵
 『大森森ケ崎鑛泉 万金』 大田区立郷土博物館 所蔵
 『大森 森ケ崎 勇館』 大田区立郷土博物館 所蔵

※当時の写真が    
 使用許可等の問題で使えません。

 つきましては
 当時の様子をイメージしやすいよう
 一部AIによるイメージを添付しました   
 歴史的な資料ではありませんので
 ご注意ください

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