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第12回夏季オリンピック開催地が東京に決まる【7月31日 今日は何の日】#404

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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※史料に基づき記述していますが、
 必要に応じて
 考察が入る場合があります。


日本初の五輪招致への挑戦

1932年(昭和7年)
第12回国際オリンピック競技大会
開催候補地として
日本が初めて
正式に立候補しました。


アジア初!東京開催の決定

1936年 (昭和11年) 7月29日から
ベルリンのホテル・アドロンで
IOC総会が行われました。

この総会で、
IOC委員であった嘉納治五郎氏は
「日本が遠いと言う理由で
 五輪が来なければ、
 日本が欧州の五輪に出る必要はない」
と熱弁を振るい、
アジア初開催の意義を訴えました。

そして
7月31日の投票において
東京36票
ヘルシンキ27票
第12回夏季オリンピック開催地が
東京に決まりました。


動き出した大会組織委員会

第12回オリンピック
東京大会組織委員会が設立され
元貴族院議長で
IOC委員の徳川家達公爵が
委員長に就任しました。


神宮から駒沢へ難航した会場計画

当初は明治神宮外苑に
10万人規模のスタジアムを
作る計画でしたが、
神社局(内務省)が
「神聖な神宮の森に巨大建築はならん」
と猛反対をしたため断念し、
郊外の
「駒沢のゴルフ練習場跡地」
に変更されたという
経緯があります。

また大田区では
「森ヶ崎」と「田園調布」が
付帯施設建設の予定地として、
候補に上がりました。
地元では、
国際ホテル建設運動が起こり、
関係行政庁に
意見書が提出されるなど、
誘致に向けた
積極的な動きがありました。

その他の競技会場も
次々と計画されました。

自転車(芝浦自転車競技場)
射的・水泳(神宮外苑水泳場)
ボート(戸田漕艇場)
馬術(馬事公苑)


第12回東京オリンピックの開催日程と「秋開催」の理由

開催期間は、
1940年 (昭和15年) 9月21日
~1940年 (昭和15年) 10月6日

日本の夏の
猛暑・台風を避けるために
秋開催が予定されていました。
(※1964年の東京五輪が
  10月10日開幕だったのもこの名残です)


シルクロードを通る「聖火リレー」の夢

1940年大会では、
前年の1936年ベルリン大会で
始まったばかりの「聖火リレー」を、
ギリシャのアテネから
ユーラシア大陸(シルクロード)を
陸路で越え、
馬や船を乗り継いで
東京へ運ぶという
壮大な計画が立てられていました。


同時並行で進んでいた「日本万国博覧会」

オリンピックと並行して、
紀元2600年を記念する
「日本万国博覧会」の
計画も進んでいました。

1938年 (昭和13年) 3月には
世界70カ国へ招請状が
発出されました。


日本万国博覧会の概要

開催期間は、
1940年 (昭和15年) 3月15日
~1940年 (昭和15年) 8月31日

会場は、
晴海・豊洲・お台場に加え
山下公園が会場に選定されました。


戦争の影に消えた無念の返上

1937年 (昭和12年) 7月7日
盧溝橋事件を
発端として発生した
日中戦争が激化しました。

さらに
軍部からの反対や
参加国の減少が
確実になったことで
1938年 (昭和13年) 7月15日
日本政府は正式に、
オリンピックと万国博覧会の
開催返上を決定しました。


姿を消した「札幌冬季オリンピック」

1940年 (昭和15年) には
夏季オリンピックだけでなく、
冬季オリンピック(札幌)
の開催も決定していました。

開催予定日
1940年 (昭和15年) 2月3日
~1940年 (昭和15年) 2月14日

この大会もまた、
歴史の渦の中に
消えていくことになりました。


幻となった1940年のイベントとその後の結実

夏季オリンピック(東京計画→東京オリンピック)
1940年 (昭和15年) → 1964年 (昭和39年) 24年後

冬季オリンピック(札幌計画→札幌オリンピック)
1940年 (昭和15年) → 1972年 (昭和47年) 32年後

万国博覧会(東京計画→大阪万博)
1940年 (昭和15年) → 1970年 (昭和45年) 30年後


おわりに

誘致に情熱を傾けた人々の
熱意と準備は、
一度は「幻」となってしまいましたが、
敗戦からの復興を遂げ、
約30年をかけて
その夢をすべて実現させました。

一見すると
大田区とは関係のない
出来事に見えますが、
その歴史は森ヶ崎や田園調布にも
及んでいました。
Otapediaは、
大田区につながる
歴史の記憶として、
この出来事を記録します。

Otapediaは、
1940年東京オリンピックの
開催が決定した
7月31日を
「大田区記憶の日」
として
1940年東京オリンピックと
紀元2600年記念日本万国博覧会の
返上を決定した
7月15日も
「大田区記憶の日」

として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『1940年東京オリンピック』Wikipedia
 2.『紀元2600年記念日本万国博覧会』Wikipedia
 3.『日中戦争』Wikipedia
 4.『1940年札幌オリンピック』Wikipedia

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