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中山ムメ先生 江戸末期の女性教育者 (蒲田西) #222

※本記事は
 Otapedia公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
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寺子屋の広がり

江戸後期から
明治初期にかけて
大田区の各村において
寺子屋が開設され始めました。


政府による「小学」の設置

東京都で最初の公立小学校は、
1870年 (明治3年) に
東京府が設立した6つの「小学」
です。

その中で最も著名なのが、
仮小学校として設立された 
現・千代田区立番町小学校
(当時は小学第二校) で、
1870年 (明治3年) 6月12日
市谷八幡町の洞雲寺の境内
開校されました。


文部科学省の設立

政府は
前年の仮小学校の設立の翌年
1871年 (明治4年) 9月2日 (新暦) 
太政官布告により
湯島聖堂内に
文部省 (当時) を設置しました。

これは
東京府下に
小学校および洋学校の
設置する計画であり、
同年明治4年12月23日
文部省布達によって
明らかにされました。


寺子屋の存在

文部省は
それまであった
寺子屋や私学について
黙認しました。

後に
それらから
小学校になるものもあり
教師には
指導者
そのまま起用されました。


明治5年学制が敷かれる

全国に小学校ができました。
しかし、
貧しい村では
学校が建てられず、
子どもたちは、
隣村に出来た 
遠方の小学校まで通いました。


大田区の女性教育者:中山ムメ氏

中でも
今から158年前の
1868年 (慶応4年) 1月のこと
中山ムメ氏
東京府の認可を得て
大楽寺 (蒲田不動尊) を借りて
周辺の子供たちに
暮らしに必要な
筆道 (読み書き) 
教え始めました。

月謝は、
1銭お米五合
10名の子供たちが
通っていたそうです。

大楽寺 山門
新蒲田3-4-12

東京府の意向

1873年 (明治6年) 
寺子屋に対し
開学願書を提出させ、
家塾として
正式に認可した。

これは
学制に基づいて
新しく小学校を
設立するよりも
地域に根付いている寺子屋を
"代替えの学校"として
認可することで
新しい教育制度に
素早く対応しようとした
政策だった。


矢口村の小学校

この地域に
小学校が出来るのは
1878年 (明治11年) 5月17日
大田区で8番目の
薫泉小学校
(現 矢口小学校) 
でした。


最後に

Otapediaは
明治時代に代わる
激動の時代
文部省設置以前に
寺子屋を開設した
中山ムメ氏を
「大田区無名の偉人」
として、
また
場所を提供した大楽寺を
「大田区陰の功労者」
として、
1月27日
薫泉小学校を前身とする
矢口小学校創立日を
「大田区記憶の日」
として登録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。

出典
 文部科学省 「幕末維新期の教育」(文部科学省HP)
 Wikipedia 「文部省」
 Wikipedia 「大楽寺」
 道塚自治会 「道塚の歴史」
 『かまにし17 第33号』 (平成21年9月1日 発行)
 矢口小学校 沿革 (大田区教育委員会)
 『大田区史 下巻』
 『東京教育史大系』
画像について
 ※ヘッダー画像はAIにより生成した、
  筆道を教えている様子のイメージです。

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