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また芸術作品つくったらどうなるねんとおもって適当に作ったら

猫四コマを作っていたはずだった。

待機時間に何となく画像生成を試し、ふと「芸術作品のようなものは作れないだろうか」と考え始めた。

最初のテーマは単純だった。

「時間」


時間と聞いて誰もが思い浮かべるのは時計である。

そこで横長の線画として、左から右へ過去、現在、未来が流れていく構図を考えた。

しかし出来上がった画像を見て違和感を覚えた。

時間を描きたかったはずなのに、時計を描いていた。

そこで発想を変える。

過去、現在、未来を三人の女神として表現できないか。

淡い水彩で描かれた三女神を、細密な線画の都市の中に溶け込ませる。

それはそれで美しかった。

しかしまた違和感が残った。

時間を表現しているのか。

女神を表現しているのか。

テーマが曖昧になっていた。

そこでさらに考える。

時間とは一本の線ではないだろうか。

過去から未来へ。

切れることなく続く一本の線。

時計も女神も都市も、その線が形を変えた姿に過ぎない。

その発想は面白かったが、今度は別の方向へ脱線する。

「時の流れに身をまかせ」

という言葉から恋愛の話になった。


恋愛を描くなら何だろう。

見つめ合う二人か。

寄り添う二人か。

しかしそれでは説明的すぎる。

そこで考えた。

恋愛とは相手を見ることではなく、同じものを見ることではないだろうか。

渋谷のスクランブル交差点。

何百人もの人が行き交う。

誰もが急ぎ、誰もが自分の目的地へ向かっている。

その中で二人だけが立ち止まる。

同じものを見ている。

それだけで恋愛は成立する。

さらに話は進む。


橋の下。

段ボールに入った子猫。

周囲の人々は誰も興味を示さない。

ただ二人だけが足を止める。

二人はお互いを見ていない。

子猫を見ている。

しかし観客は気付く。

この二人は同じものに心を動かされたのだと。

もしかすると恋愛とはそういうものかもしれない。

好きだと言うことではなく。

見つめ合うことでもなく。

世界の中で、同じものを大切だと思うこと。

AIで芸術作品を作ろうとしていたはずなのに、最後に辿り着いたのはそんな結論だった。

完成した画像は理想とは程遠い。

横長にしたかった。

もっと群衆を描きたかった。

もっと風景画に寄せたかった。

不満はいくらでもある。

しかし芸術とは案外そういうものなのかもしれない。

完成品ではなく。

「違うな」

「まだ違うな」

と考え続ける過程そのものが、一番面白いのだから。

おまけ


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