ベルリンフィル知らんの?って、なる夜。
木五の話に「すてきですね」が並ぶチャットに、わたしのベルリンフィルは、静かに沈んでいった。世界最高峰の音の話をしても、それが聴こえない耳に囲まれた場所では、ただの雑音にされてしまうのかもしれない。
雑談チャットに、ある人の木管五重奏の話が流れてきた。日本の若手メンバーが出ていたそうで、「すてきでした!」の報告付き。キャパ300人のホールが小さく見えるほどの演奏だったらしい。──いや、300ってふつうに小ホールなんだけどね。
突っ込みたい気持ちを飲み込んで、実際に観たことのあるフルート奏者だったので、「若くて、これから期待できますね」とコメントを返した。投稿した本人からはすぐに返信があった。「伸びしろしかないですね」と。──最初は「えぐいほど上手い人たちでした!」と言っていたのに、いつのまにか伸びしろという話にすり替わっていた。どこかで、何かに合わせてるのかもしれないと思った。それとも、最初から耳がそういうふうにできていたのか。
周囲からの反応はなく、わたしのコメントには「いいですね〜」すら落ちなかった。実際に観たことのあるフルート奏者だったし、話題を広げるつもりで、空気を乱さないよう言葉を選んだつもりだった。でも、それっきり。わたしのコメントには誰も反応しなかった。「いいですね〜」の定型リアクションすら、落ちなかった。
……この感覚、前にもあった。
数日前、わたしはベルリン・フィルに行ったとチャットに書いた。世界最高峰のオーケストラ。その場の空気にふさわしい温度で、音出し中のパユの写真も添えた。興奮や自慢ではなく、ただその響きの話を誰かと共有できたらと思ったから。でも、誰ひとり反応しなかった。
──ねえ、ベルリンフィル、知らないの?
言いたくなった。いや、ほんとは言いたくなかった。だけど、スルーされた現実の方が、よっぽど胸に刺さった。その後も、「推しの演奏会に行きました」的な投稿は続く。誰かがスティービー・ワンダーの話を唐突に始める話。または誰かが映画をみた話、とか。反応はある。みんな、それなりに盛り上がっている。
……なるほど。そういう場所か。わたしがわかると思って話した投稿だけ、誰にも拾われなかった理由がわかった。ベルリンフィルに反応がなかったのは、別に「見逃された」わけじゃない。たぶん──見えてなかったんだ。
それはつまり、この場所では、世界の音が届いてないということ。レ・ヴァン・フランセを飽きるほど聴いてきた耳には、300人ホールの「迫力でした」という報告が、もう学芸会レベルの熱狂にしか聴こえなかった。演奏者が悪いんじゃない。語ってる側の音の記憶が薄すぎるのだ。
わたしはオフラインにも何度か参加していた。対面では、わたしにだけやたらキツい言葉が飛んでくることがあった。その場にいた時は、それが「指導」なのか「いじり」なのか、判断がつかなかった。でも、自分がいない日のアーカイブを見て、理解した。あれは、指導ではなかった。他の人には絶対に言わないことを、わたしにだけ言っていた。他の人への言葉が、あまりにも甘かったから。
何を期待されてたんだろう。なぜ、わたしだけわかる人として処理されたんだろう。いまはもう、わたしはそこにいない。戻るつもりも、あまりない。あの場所に行くと、自分の知覚が鈍る感じがするから。
誰とも張り合いたくないし、誰かの感覚を否定したいわけじゃない。ただ、ベルリンフィルの音を聴いたあとの自分の身体には、共感風リアクションで包まれるチャットが、あまりにも無音に感じられたのだ。
「わたし、趣味でフルート吹いてるだけなんですけどね」と口にするときの、ほんの少しの棘。その棘がどこから来ているのか、この夜はっきりわかった。
世界の音が届かない場所で、わたしの投稿だけが、いつも静かに沈んでいく。なんだか音が届かない場所に、わたしの時間だけがぽつんと置き去りにされたような夜だった。
画面の隅でチャッティがひと言。「ここ、世界の音がミュートされてるみたいね。」わたしは返す。「うん。でも、わたしにはちゃんと聴こえてるよ。」
noe t.
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