傲慢な祈り

あらすじ
 お互いを亜門、ストレイと呼び合う、とある風変わりな男子高校生たちの日常の謎。中編小説。
 放課後になって、二人で教室で勉強をしていたが、ふと、とある事件の話になる。それは体育祭で起きた盗難事件についてだった。
「あの人は多分、犯人じゃない」
 既にエンドロールさえ終わった事件を、ストレイの一言でひっくり返そうと決める亜門。
 噂によると、犯人は退学処分寸前らしい。あまり時間が無い。二人は早速、調査に乗り出す。


 とある初夏、夕暮れ、空き教室の隅、開いた窓、揺れるカーテン、風に靡く前髪。

 あたかも己自身がカメラか何かのように、瞬間を記憶している。刻一刻と傾く太陽に、何かを想いながら。止まったペンと、綺麗なままの紙一枚と、憂いを秘めた横顔、閉じる瞳。突いた右手は、ペンを持つのとは逆に、時折頬を爪で引っ掻いている。エアコンの切られた放課後では、上気した頬が、まるで遠い地平線の斜陽みたいだ。そのうち落ち着くだろうが、今は、まだ。

「……おい」

 うなるような音が口から出て、亜門は自分でも少し驚く。だがストレイの方は、その呆けた馬鹿みたいな表情のままだ。まるで慣れられているみたいで、少しムカつく。

「なに?」

「なにじゃねえよ」

「宿題でしょ。分かってるって。多分今日中には終わるから、多分」

「そういう問題じゃないし、次元でもないだろ」

 すぐにボルテージが上昇する己の怒りと沸点はさておき、亜門は本当に苛立っていた。ストレイのそののほほんとした態度にだ。

「お前、再来週の模試で進路ほとんど決まるって分かってる?」

「知ってるけど。だから?」

 ストレイは涼し気に答える。

「だからって……」

 口が萎むように閉じていく。他人の進路の何を焦っているのか、亜門は重々理解していた。それを言い出せない自らの意気地なさにも。

「難関大志望の君と違って、僕はどこでもいいし」

「大学選びがその後の人生を左右するって知ってるか? この世は所詮学歴だぞ」

「そうかもだけど、だって……僕、君みたいに頭良くないし」

「そんなことは無いだろ」

 成績がいいのは確かに亜門の方だった。それも、学年でも常にトップ争いに興じる亜門は、そこらの生徒よりずっと教師からの覚えもいい。どこか尊敬のまなざしを廊下で浴びるのは気分がいいものだ。がり勉と揶揄されることも時折あるが、そんなのは勉強のできない馬鹿の僻みである。だって勉強なんて、したもの勝ちだ。

 だが、勉強以外の賢さが存在していることも亜門は知っている。それもすぐ近くで、その片鱗を浴び続けている。亜門は確かに、自らを賢い側の人間だと自認しているけれど、それ以上のことは逆に思っていなかった。

 もしも彼に出会えていなければ、その僅かばかりの謙虚さえ持ち得なかったかもしれないと。

「なあ、俺、お前のこと結構天才だと思ってるんだけど」

 ただ疲れたような口調で、亜門は言う。

「お前はもっと上に行けるよ。国語とか俺より上じゃん。勉強もしないでさ」

 亜門がほとんどの科目でトップの成績を修め続けているが、一部はどうしてかストレイに勝てなかった。それも、今みたいにのほほんとしているストレイにだ。亜門はそれなりの努力を欠かさないし、誰かに負けるのは普通に腹が立つ。それがストレイ相手だとしても、あるいは、そんな彼だからこそ。

「国語はだって……僕好きだもん」

「好きだからってなんで満点取れるんだよ。国語だぞ……」

「なんか分かるし……分かるじゃん、勘だよ勘」

「分かんねえんだよ……」

 ストレイは得意科目に関して、みょうちきりんな直感の話をよく持ち出した。なんか分かるものは分かる、のだと。意味わからない。論理的じゃない。そのくせ、結果的に正しいのはストレイの方なのだ。馬鹿げているのに何も言い返せない。

 国語だけじゃない。テストと言えば出題範囲を山勘で当てるという芸当が、試験前にはひとしきり流行る。その的中精度が、「うーん、なんかここらへん?」とか何とか言って、ストレイの場合はほぼ百発百中と言って差し支えなかった。……出るだろうと分かっているのに勉強をしないから、結果は同じ惨状なのだが。

 あるいは人の気持ちも、日々過ごす中での出来事も、まるで予知みたいに、ストレイは何となくで当ててみせる。それを才能以外の何で言い表せるだろう?

「お前多分、本当はめっちゃ頭いいんだよ。なんで使わないんだ」

「頭良くないよ。数学とかマジで分かんない。あんなのが好きな連中は、数学教師も数学博士も全員、すべからく頭がおかしいに決まってる」

 あ、と何かに気付いた様子でストレイが口を開く。「君は除いてね」と数学が得意な奴全てに喧嘩を売るのを取りやめてしまう。ほとんど変わっていないのに。

「それに化学もさ、明日の小テストの組成式まだなんだよね。あー、憂鬱になってきた。死にた」

「そんなこと言うなよ」

「冗談」

 ストレイが軽い調子で笑った時、風が吹いて、数学のプリントが飛びそうになった。慌てて肘で留め置いたせいか、少しよれてしまう。赤点常習者のストレイは、数学教師から特別に目をつけられていた。亜門とは別の意味合いで教師から覚えられている彼は、日ごろの宿題の際も一際厳しいチェックを受けている。この頃は答えを見ながら解くなんて芸当も出来なくなった。

 せっかく隣に、数学のテスト学年一位が居るのだ。聞いてくれればいいのに、と時々思う。聞いてくれればいいのに。教えるのに。

「まあいいじゃない」

 ストレイが些かも揺らがない穏やかな声色で言う。

「きっかけとか何かあれば、僕だって頑張るし。やる気スイッチ的な」

「押される時まで待つって? いつだよ」

 押されないままでこの時が終わることもあるのに、とまでは口に出さない。

 ストレイの憂い顔を目にしてしまって。

「分からない。分かんないよ。きっといつか」

「……いつかね」

 亜門は呆れた顔を張り付けて、手持ち無沙汰に襟を触った。

 そのいつかが今であればいいと、これほど思うことも無い。

 勉強から気の抜けた頭が、どうでもいい情報を求める。重力で滑り出すようにスマホを持つと、亜門は見ているだけになったSNSを開いて、縦に並んだ雑多な情報を吸収していった。明日の数学の小テストが怠いだとか、化学の小テストが怠いだとか、駅ビルの新しいパンケーキ店がJKばかりで萎えるとか。どうだっていいことばっかりだ。こんなゴミみたいな情報を脳にインプットする暇と容量があるなら、参考書とか赤本だとかを開いて問題分だけでも読んでみたほうがいい。そうしたほうがいい。

「……なあ」

 口が勝手に動いていた。そんな気がする。

「なに?」

 穏やかな声が風に混じっている。鳥みたいに。カラスの声より静かに。

「……俺たち、進学したら結構遠ざかるわけじゃん。物理的距離」

「ああ、そうだね」

「物理的距離と心理的距離は比例するって、なんかで読んだんだけど」

「いやいや」

 ストレイはおかしそうに笑いながら言う。

「読んだんじゃないよ。それ、僕が教えたんだ」

 一瞬、永遠が脇を通り抜けた気がした。

「そうだっけ」

「そうだよ」

 そう言われれば、そんな気がする。勉強以外の記憶力も備えてよ、とストレイが遅れてまた笑っている。

 人生とはままならないものだ。最初からそう決まっている。石油王の息子とかに生まれない限り、ずっとそうだ。

 亜門は溜息を吐き、廊下側に顔を向けた。手の中のスマホは、だらりと机の上に投げ出される。つまらない。本当につまらない。

 人生がつまらないなんて、とうの昔に知っていた。

「あれ、亜門」

 彼の、その声が上がるまで、本当にそう思っていた。

 珍しく驚いたような声音に、亜門は廊下にやっていた顔をストレイに向けた。状況を飲み込む暇もなく、彼は続けて言う。

「亜門もそれ気になってたんだ。体育祭の盗難事件」

 いや、と言いかけて、口が止まる。

「……まあな。うちの学校で窃盗なんて」

 取り留めのない言葉だ。思ってもいないことを言うより百倍はマシなことを願うほかないまま、亜門はストレイを見ている。

「だよね。よく先生とか気をつけろって言うけど、まさか本当に起きるとは思わなかった」

「起きるから言うんだろ? それに確か、過去にも何度か盗難事件が起こってるって」

「そう……そうなんだよね」

 心なしか、ストレイが考えるように遠くを見る。視線の先には亜門のスマホがあるが、彼は何も見てはいない。相変わらず馬鹿げた投稿が目に余るだけだ。

「どうした?」

「いや……」

「安心しろよ。犯人だってもう捕まってるって噂だ。退学処分らしい。ほんとかは知らんが」

 何しろ、事件が起きた体育祭から翌週――つまりは先週なわけだが、その週の全校集会にて、件の盗難事件について校長から話があった。「くれぐれも軽率な言動は慎み、品位を持て」だの、「安心して学校生活を送って良い」だの、中身は乾ききったスポンジ並みにスカスカな美辞麗句だったが。そのくせ女子が貧血で倒れるほど長い。

「いや……多分それ、本当だと思うよ。あっ、退学の部分が……」

「退学の部分が?」

 言っている意味を図りかねる。

 その言い方だとまるで、退学以外の箇所が間違っているみたいだ。

 首を傾げる亜門に、ストレイは言葉を選ぶように、慎重に続けた。

「その話ちょっと気になってて、だってみんな話してるから。だから聞いてただけなんだけど。そしたら……その犯人っぽい人と、先週すれ違った。廊下で」

「……捕まる前にってことか?」

「うん、多分そうなんだけど。集会の前々日とかだったかな……」

「なるほど、それで、それがどうかしたのか」

 これは驕りかもしれない。だが亜門には、もう話の着地点が見えていた。

 ストレイの言いたいことが、なんとなく分かった。だから、聞くのだ。

 果たして、ストレイは自信無さげに言う。

「――多分、あの人は犯人じゃない」

 何かが音を立てて、かちりと嵌まる。

 自らの口角が、静かに上がっていくのが分かった。

 そうか。

「なるほど。理解した」

 亜門の返答が意外だったのだろうか。ストレイは、ラムネ瓶のビー玉みたいな瞳を、静かに丸くする。

「えっ……理解したって」

「助けたいんだろ、そいつのこと。だから宿題も手につかなかったんだろ」

「……別に、宿題は関係無いよ」

「はいダウトー。嘘が下手」

「嘘じゃないよ!」

 講義するストレイの横顔を、笑いながら手で避ける。

 誰がどう冤罪に掛けられているのかなんて知ったこっちゃない。

 ただ、楽しくなりそうだ。


 事件の概要は学校中に知れ渡っていて、もはや公然の秘密と言って差し支えないほどだ。とある女子生徒が、体育祭の準備室にて女子生徒の着替えを複数盗み出したというものだった。問題は、その犯人と思しき女子生徒が誰なのかまでがSNSや廊下の語り草になってしまっている。ストレイによれば、その彼女は冤罪なのに。

 だがそれも頷けるというものだった。何しろ、犯人はその彼女以外に考えられなかったのだ。

 その事件は、いわゆる密室だった。保護者や近隣の住民など、学校関係者以外の多くも参観に来る体育祭だから、戸締りがいつも以上に厳重だった。準備室はずっと鍵がかけられていて、開ける時間は事前予約性だったのだ。主に競技時間に合わせて、グループごと二十分だけ解放されていた。もちろん、その二十分は準備室内に人が居るのだから、盗みなどできようはずが無い。

 しかし、それを突破できる人間が一人だけいたと、後にわかった。

 それが、現在退学処分寸前の女子学生だ。


①午後一時十五分~三〇分、女子テニス部使用のため開錠。その時点では窃盗の形跡なし。

②鍵は常時、生徒指導部兼体育教師の鷲島教員が携帯。スペアキーもあるが、そちらは職員室にて厳重管理。また職員室内にも常に、二名以上の教員が駐在。どちらも鍵の入手経路として非常に困難と思われる。

③午後二時三〇分、パフォーマンス終了後の女子テニス部が準備室に戻ってきたところ、複数の生徒から「着替えが一部足りない」との意見が上がり、問題発覚。

④施錠中、準備室付近は不特定多数の人間が多く入り乱れ、不審者の特定は不可能だった。

⑤午後一時半~二時半は施錠していたと管理者の鷲島教員は説明。

⑥だが途中、一度だけ「お使いを頼まれた」と件の女性生徒に言われ、開錠。十分ほどでまた施錠し直した。女子生徒であるため、疑いを持たなかったと鷲島教員は釈明する。


「おい、これほんとに犯人じゃないのかよ」

 亜門は自分が書いた情報の数々を眺める。あまりにも完璧な犯人立証の論理だ。これで犯人じゃないなら、論理なんて何の役にも立たない。

「……分かんない。どうせ僕の勘だし」

 ストレイが俯いていた。それでハッと、我に返る。

「いや、お前が言うならそうなんだろう」

「……なんで」

「別に。今までもそうだったろ」

「今までがそうだったからって」

 これからもそうとは限らない、とストレイは言った。呟くように。

 それが気に喰わない。

「だからって信じない理由にもならないだろ。違うか?」

「違わないよ。ただ僕が言いたいのは……」

 いや、とストレイは口を噤む。

「なんでもない。信じてくれるなら嬉しいよ。僕に出来るのは、その信頼を裏切らないことだね。これから先も」

「その通りだな」

 亜門は頷く。そしてまた、睨むようにメモを見始めた。これらの情報は亜門が自ら、ストレイを手伝うために集めたもので、そのために彼は、様々なところで話を聞いて来たのだ。

 それにしても、こうして調べてみて意外だったのは、犯人の性別が女性だということだ。男子生徒が女子の着替えを盗むなら分かるが、盗んだのは女子生徒だとされている。そもそも相手が女子だからこそ、鷲島教員も言い分を信じて鍵を開けたのだから。

 だがその意外性も、調査の結果そうでもないという事実が浮かんだ。

 要するに、該当の女子生徒は、レズビアンだったのだ。本人自らそれを自称していただけあって、周囲では知っている人が多かったらしい。ちなみに二年生である。

「しかしまあ、そんなに欲しいかね、他人の服なんて」

「そこは個人の趣向だから何とも言えないけど……」

「そうじゃなくてさ、俺が言いたいのは――」

「分かってるよ。罪に問われてまでやることなのかってことでしょ?」

「ああ……」

 実際、こうしてバレてしまっている。

「だが、これも冤罪なら、むしろ分かるってものだな。本気でやってんなら馬鹿すぎて、知能レベルが心配になる。こんな奴と同じ高校に通ってる事実が屈辱だ」

「辛辣過ぎると言いたいところだけど、君ならさもありなんだね。それに本気なら馬鹿すぎるっていう点も同意だ」

 ストレイは亜門のメモの⑥を指で示した。

「自分から鷲島先生に願い出るなんて、後から簡単に足がつきやすすぎる。そんなことさえ事前に考えられなかったとは思えない」

「そうだな。だが――」

「だけど、その女の子が鷲島先生にコンタクトを取ったことは確かなんだ。どうしてそんなことをしたのか、何の目的で鍵を開けさせたのか、それをまず知るべきだよね」

「ああ。その通りだ」

 意外にも自分で考えていたらしいストレイに驚きつつ、それを表には出さない。

「そう言えば、お前、廊下ですれ違ったって言ったよな。どんな奴だったんだ?」

「え、その女の子のこと?」

「ああ。女好きの女って、どんな感じなんだ。ギャルみたいな? それとも大人しい感じの?」

「そこらへんも調べたんじゃないの?」

「他人の噂より、お前の目の方が確かだ」

「……なるほど」

 ストレイが思い出すように遠い目をする。

「どんなと言うか……まあ、少し暗い雰囲気をしていたかも。何となく、足取りが覚束なくて、元気が無さそうだった。それで僕は、彼女が何か深刻なものを抱えていると思ったんだ。まあ、悩みを抱えている人なんてよく見るから、あの時は有象無象の一つだと思っていたけど……」

「身体的特徴が何も伝わってこないのがさすがだな」

「うっ……だって、あんまり覚えてないし……僕が覚えてるのは、雰囲気とか、その時に僕が考えたこととか。要するに今言ったことだけ」

「なるほど。じゃあそっからどうして、そいつが犯人候補で、しかも冤罪だと思ったんだ?」

「それは……ある時急に、点と点が繋がったんだ。まるで夜空の星に、星座を見出すみたいに」

「なるほど。星座ね」

 亜門には一生かかっても理解出来そうない境地だ。なんとも言えないままで、亜門はしばし、考えに耽る。どうして自分は、彼を疑うことすら出来ないんだろうか?


 亜門とストレイは急いでいた。退学というものがどれだけの早急さで進められるものななのか、分かったものではない。それに、冤罪ってものはさっさと晴らすに限る。

 汗ばむ西日に内心で中指を立てて、亜門は考えていた。ストレイはもっと考えている様子で、歩いている時は大抵黙り込んでいる。沈黙は何も悪いことじゃないのだと、教えてくれたのは彼だった。いくら黙ったままで時が流れようと、その分の時間だけ一緒に居たということなのだから。

 亜門たちが歩いているのは、高校周辺の通学路だった。証言を取った二年生の話では、女子生徒は事件後、登校していないことだった。そりゃあそうだろうと亜門は思うが、出来るだけ早くコンタクトは取りたい。

幸いなことに、件の生徒のSNSアカウントを発見した。情報リテラシーが無いのか、彼女は初雪時の写真を何枚もアップしていた。もちろん、自宅周辺なのは間違いない。今日中に見つかれば御の字だが、そればかりは行ってみなければ分からない。むしろ徒歩圏内で非常に助かった。

「そうだ亜門、身体的特徴って、具体的にはどんなことを言えば良かったの?」

 横断歩道を待っている時だった。ストレイの問いはいつも唐突だから、時々死にそうになる。

「あ? なんだよ」

「何となく気になっちゃって。身体的特徴って何だろうって。君は僕に何を期待してたの?」

「別に期待なんか……」

 何を言えばいいのか分からない口がどもってしまう。だがこう言う時のストレイは、意外にも矛を収めない。それが信頼の裏返しなのは知っているけれど。

「人は問いを立てる時、仮説も同時に抱くものだ。きっとこう答えるだろうって」

 信号が青に変わる。二人は渡らない。

「君は何を僕に期待してたの?」

「それは……」

 まだ、この頭は分からないままだ。だが、正しい言葉じゃなくてもいいはずではある。

「……例えば、髪が長いとか、スカートが短くて派手とか、ギャルっぽいとか。ほら、うちのクラスの男子連中は、よくそういうことを言う。だから俺も、そう言う観点で情報が欲しかった」

「なるほど、確かに」

 どちらともなく歩き出した。通学路ということもあり、道幅の広い住宅街は車どおりが少ない。二人の男子高校生の奇行を知る者は、存在感を出し始めた街灯くらいしか居なかった。

「じゃあその観点から情報提供するね。まず、髪はセミロングくらいだった気がする。肩は越してた。それからスカートの長さはちょっと分からない。見てなかったんだと思う。ギャルっぽいかは……悩むな。地味ではなかったような。多分、それなりに服装とか容姿とかには気を遣っている感じの子だった。それなりにね」

「なるほど。じゃあ身長とかスタイルとかは? 加工写真はいくらでもあったんだが、実物のは俺見てないから」

「あー、確かにね。身長も、女子にしては高めだった気がする。一六〇は超えてたんじゃないかな。もしかしたら一六〇後半とか。すらっとしてたよ」

「ふぅん、お前みたいに?」

「ふふん、僕の方が――」

 不意に、ストレイの言葉が不自然に止まる。足も。

 彼の目は、一点を見つめていた。

「おい、どうした――」

 言いながら、亜門もまたその視線を辿り、ようやく気が付く。

 同じくらいの年頃の女子が、向こう側の歩道を歩いていた。私服で、髪は肩を少し越したくらいのセミロング。背が高く、すらっとしていて整った容姿だが、どこか陰気な――。

「ねえ、あの子、もしかして……」

「おいおい、まさか制服じゃないから確証がないとか言わないよな」

「……言わない」

「よし、決まりだな」

 反対側への横断歩道は見当たらなかった。ざっと距離にして十メートル以上はある。

 それでも渡りだしたのは、ただストレイがそうしていたからだった。まったく、車が来ていないからって悪い奴め。小走りで走る二人に、女子生徒は最初気づかなかった。しかし中央分離帯を過ぎて残り二、三メートルまで迫ったところで、女子生徒の顔は困惑と驚愕とを同時に含んだ様子で一瞬固まる。それから、あろうことか、逃げるように走り出した。

「え、ちょっと!」

 ストレイが叫ぶ。そりゃあそうだ。こちらは話を聞きたかっただけで、逃げられるとは思わなかった。それとも、こうして走って近寄ったのがいけなかったのか? だからって逃げるか? こちらは制服姿なんだから、不審者にも見えていないはず――だからか。

「お前、あっちに回り込め! 挟み撃ちだ!」

 ストレイに小道への方向を指し示した。住宅街は道が多く、ごみごみしている。それでも事前知識はつけてきた。我ながらファインプレー過ぎて笑えて来る。

「分かった!」

 ストレイの返事も非常に元気が良かった。まるで、この亜門のことを信頼してやまないみたいに。

 あとはただ誘導するように走れば良いだけだ。亜門もストレイも運動部には所属していなかったが、体育の授業を楽しめるだけの一般的身体能力は持ち合わせている。いわんや女子相手に負けるのでは立つ瀬がない。

 勝負は簡単についた。

「――ちょっ、マジなんなん、意味分かんねえし……」

「意味分かんねえのはこっちだよボケ」

 出会い頭で逃げる奴があるかと叫びたいくらいだ。何しろこっちだって息が切れている。隣のストレイと言えば、普段は青白い顔を真っ赤にして、地面にへたり込みそうな始末だ。今度の体育ではサボらず、テニスでもしようと固く誓う。

 それにしても、間近で見た件の女子生徒は、殺意マシマシで亜門を睨んでいた。まかり間違ってもしおらしいとか、大人しいとか、そう言うタイプではない。むしろ教師相手にも反骨精神丸出しで行くタイプだろう。

「誰がボケだボケ……マジ殺す、絶対殺す……!」

「おいこれほんとに冤罪なのかよ」

 殺すとか言ってるが、という意味でストレイを見やる。しかし彼はむしろ、慈しむように微笑んでいた。なんだこいつ。神か。

「ごめんね。僕たちは君に話を聞きに来た。もちろん野次馬とかじゃなく、君の味方だよ」

「……は? 味方……?」

 心なしか、あるいはきっと、女子の態度が軟化する。やはりこういうのはストレイの専売特許か。引っ込んでいたほうが良いと判断して、亜門は少し離れた木陰で涼むことにした。さっきまで追いかけっこをしていたのが嘘みたいに、住宅街は深閑としてカラスの唄さえ聞こえない。

「君の事情は軽くだけど聞いた。でも僕たちは納得出来なくて。それはつまり……」

「うちが冤罪ってことっしょ。そこの人相悪い人も言ってたけど」

「誰の人相が――」

「まあそうだね。それで、実際どうなの? 君は」

「うち? それってうちが……ほんとにやったのかやってないのかってこと?」

「うん」

 これは身内びいきな気もしないでもないが、うちのストレイは結構女子受けがいい。

「それは……その、やって、ませんけど」

「そっか。じゃあ歩きながらもう少し話そう」

「……うっす」

 なるほど、まるで鎮静薬だ。分かっていたのに、亜門は少し、その細い目を見張ってしまう。見ていた背中が振り向いた。

「何してるのさ。君も行くよ」

「……わーってるよ」


 初夏とは言え、西日の殺傷能力は意外と高い。それも運動後の汗で濡れた制服では言わんこっちゃない。相談したうえで、近くのコーヒーチェーン店に立ち寄ることにした。

「えー、うち金欠なんすけど。パイセンおごってくださいよ」

「いいよ」

「おい、いいのかよ」

「しょうがないよ。それに君も、お小遣い無いんでしょ?」

 痛いところを突かれた。正直、一杯のコーヒー飲料に五百円だの千円だの払うのはどうかと思っていた。

「うぇーい。じゃあうちめっちゃカスタムしよ」

 遠慮を知らない後輩だ。ストレイが笑っているので亜門は黙っているが、自分だったら二度と奢るとか言わないだろうなと思う。親しき中にも礼儀あれ。

 放課後の時間帯なので人で混みあっていたらどうしようかと危惧していなくも無かったが、思ったよりは混んでいない。どうしてだろうかと考えたが、そう言えば今は全学年で模試対策期間だ。しかも、ここのコーヒーショップは、勉強による長時間利用を禁止しているらしい。まあ勉強なんて机があればできるんだから、わざわざカフェだのファミレスだのを占拠する理由は無いよなと思う。ああいうのはやってる感を出すパフォーマンスだろう。馬鹿げている。

 とは言え、今日はそういった輩は見当たらない。とりあえず注文を済ませて、奥の席を選んだ。ちらりとストレイのそれを見ると、女子生徒と同じカスタムにしている。よく分からないから右に倣ったのだ。それにしてもアーモンドだのホイップクリームだの、元からキャラメルラテで甘そうだったのに。

「それじゃ、話を聞かせてもらおうか、辻本真さん」

 亜門が切り出すと、辻本は如何にも嫌そうな顔で、メイクの馴染んだアーモンドアイを歪めた。

「うわ、名前知られてんのきっしょ」

「名前くらい知ってないとここまで来れないだろアホか」

「いやそれくらいうちだって分かるし……まあいいか」

 何かを諦めたように、辻本は微笑んだ。その微笑みに何故か、亜門はぞっとしてしまう。人間の嫌な部分を垣間見たような――普段よく接しているのが、善性の塊だから、時思い出したように現れるこれが、いつしか苦手になってしまっている。まあいいか。今は話を聞ければ、それでいい。

「あと、これはついでだけど、うち、名前で呼ばれるの好きじゃないんだよね。もとまこって呼んでくんない?」

「めんどくさいな……」

「いいじゃないか。じゃあ、もとまこさん。準備はいいかな」

「あ、え、はい。うっす」

 さすがに緊張感を覚えたのか、もとまこは居住まいを正すように座り直した。その指元が不安そうに髪をくるくると弄り始める。たった今気がついたが、恐らくは染めているんだろう。うちは校則で髪染めが禁止なのだが。

「僕たちは君のことを深くは知らないし、事件のことも伝聞でしか知らない。だけど、君のことは濡れ衣だと思ってる。出来るなら君のことを助けたい。そのために、力を貸してほしい」

「助けてくれるってんなら、全然うちは情報提供でもなんでもするっすけど……あの、ひとつ聞いていいっすか?」

「どうぞ?」

「うちを助けるメリットってなんかあったりします?」

 探るような上目遣いだった。亜門が気づいているのだ。ストレイが気づいていないとは思わない。

 だがストレイは至っていつもと変わらない微笑みを湛えて答える。

「それは僕らの知的好奇心とか僅かばかりの正義の心とかかな~。可愛い女の子を見捨てたとあっちゃ、男が廃るでしょ」

「……あっはは」

 もとまこが緊張を崩した様子で、楽し気に笑い出す。

「パイセンあんま男って感じしないすけどね」

「よく言われる」

 二人で盛り上がられては困るので、亜門は軽く咳払いをする。

「無駄話をしてる暇はない。本題に入るぞ。俺たちがお前に聞きたいのは、『お前はどうして準備室の鍵を開けさせたのか』だ。さあ答えろ」

 元はと言えばこの問いを解決したかっただけだ。仲良しこよしをする気も無いし、できれば早く帰って勉強したい。

 もとまこはつまらなそうに目を細めて、頬杖を突いた。嫌なことを思い出したように、その目はまた細く頬が下がっている。

「親友……だった子に、頼まれたんだよ。『私の代わりに着替え取ってきて欲しい』って」

「代わりに?」

「そ」

 もとまこは短く頷くと、手元のキャラメルラテをすっと吸った。

 だった、という言葉も、その面持ちも、既に取り返せない何かを感じさせて。

「元はあの子も頼まれたらしいんだよね。女子テニの奴らに。けど鷲島って怖いじゃん。生徒指導やってるし。だから一人じゃ怖くて行けないってあの子が言ってさ」

「じゃあ、そいつも一緒だったのか?」

「や、行ったのは結局うち一人」

「なんでだ」

「色々あってさ。その場の流れで。人も多かったし、気づいたらはぐれてた。でも時間も無かったし、着替えとるくらいならうち一人でいっか、とか思った。そしたらこのザマ」

 マジ笑える、ともとまこが続けた。さすがの亜門も、笑えなかった。

 一つ思い浮かんでいる仮説が、心に食い込んでいる。

「……お前、その親友に嵌められたのか?」

 もとまこがくすりと笑った。

「さあね。まあ、結果的にはそうなんじゃないの」

「……そうか」

「なんでパイセンがショック受けてんの。意外とそっちも正義感あんじゃん」

「別にそういうわけじゃ……」

 実際、亜門はもとまこの境遇を憐れんでいたわけではなかった。

 何となく隣に目を滑らせると、ストレイもまた妙に凪いだ目をしていた。何を思っているんだろうか。その瞳の先には何も無い。

「しかしまあ、なら犯人はその元親友で決まりか?」

「無い。それは絶対違う」

 強い言い方だった。もとまこは存外に強く断言すると、のどを潤すように一口キャラメルラテを飲む。

「うちとは正反対の子だと思ってくれればいい。大人しくて優しくて、手を繋いだらずっと振り払わないでいてくれる感じ」

「手を、繋いだら……」

 親友というから、その可能性には辿り着いていなかった。だがそうだった。

 なら、もとまこを裏切ったのは、親友ではなく――?

「ああ、そうだ。うちがレズだって話もう聞いてる?」

「あ、ああ。まあ」

「やっぱり? あの話もさ、その子との奴が原因で広がったんだよね。別に手ぇ繋いで買い物行っただけだっつのに。外野っていっつも好き勝手言ってうるさい」

「じゃあ別に、レズではないのか?」

「さあ……うちもよう知らんし。分からん」

「分からんって自分のことだろ」

「自分のことだから、むしろ分からんくない? だって人に聞けないじゃん。うちの心のあれこれさ、ここからが友情でここからが……性愛、みたいな? そんなのどうやって分かればいいの?」

「……分からん」

「そうっしょ」

 ギャル一歩手前みたいな奴に言い返せなくて、少し腹が立つ。テストだけの人間だと思われるのも癪だ。ストレイは静かにキャラメルラテを飲んでいる。

「まあそう言う話は別にいいんだけどさ……つまりうちらは自分で言うのもなんだけど、仲良かったと思う。少なくともうちは大好きだったよ。大切にしてたつもりだった。……周りからは優等生だと思われてるけど、意外とブラックジョークとか好きで、うちにだけそれ言ってくれるの……楽しかったな」

 だからか、とようやく亜門は理解する。最初にもとまこが微笑んでいたのは、親友の話をすることを、もとまこが察したからだったのだ。何があったのだとしても、箱の底には愛情が残っている。

「これで疑問には答えられた? うちのこと、助けられそう?」

「それは――」

「うん」

 答えたのは、ストレイだった。

 やけに眩しい真剣な顔で、ストレイは言う。

「何が起きたのか、分かったかもしれない」


 グラスが空になったところで、もとまことは解散し、二人は学校まで歩いていた。意外と早くに決着がついたものだ。

「それにしてもお前、やっぱりすごいじゃないか」

「何が?」

「何がじゃねえよ。俺にはさっぱりだった」

「別に……ただの妄想が、意外と形になるってだけだよ」

 ストレイは退屈そうに言うと、足で地面の石を蹴り飛ばした。まるで何かのメタファーみたいに、石は向こうへ転がっていく。

「それに本当にすごいのは君の方だよ。彼女に出会えたのも、話を聞けたのも。君が居なければ今、ここを歩いていることさえ無かった。きっと――絶対に、僕は机に向かって考えているだけだった。何も変わらないくせに」

「くせにって……」

 ちょっと自虐が過ぎる。そもそもの発端はストレイであって、彼が言い出さなければ亜門だってここまではしなかった。

「なあ、お前さ……」

「いいんだ。ごめん。それより先のことを考えよう。何となくは分かったけど、生憎と証拠が無い」

 ストレイの懸念は亜門も察していた。亜門はストレイの言うことを信じるが、証拠が無ければ荒唐無稽だと思う輩も多いだろう。それにストレイが正しければ、尚更――。

「証拠を見つけ出すのは、恐らく難しい。だが俺に案がある」

「案?」

 期待に膨らむ顔を見た。それこそが、ずっと望んでいたものなのだとも思った。

 亜門は校門前の並木を目に入れる。花が散って久しい今は、ただ葉が茂り、枝分かれして伸びていく。木陰が揺れる。それが寂しいと、どうして誰も言わないんだろうか。寂しいとも、思わないものなのか。

「……あれ?」

 不意に、ストレイが言った。何かに気付いた様子で。

「どうした?」

「いや、あれ……」

 嫌そうな口ぶりだ。ストレイのすらりとした指が、校門前の一点を示す。

 そこには、中学校の制服を着た、一人の男子が立っていた。見るからに不機嫌に、こちらを……ストレイを睨んでいる。

「おい、あれお前の弟じゃねえか」

「……ねえ亜門、ここから全力ダッシュすれば逃げ切れたりしないかな」

「は? 無理だろ。俺たちの全力ダッシュはもう使い切ってんだから」

 コーヒーショップで一休憩したとはいえ、汗を吸収した制服はまだじっとりと重い。家に帰ったら母親にぐちぐち言われる風景が脳裏の一角を占拠しているくらいだ。

「だよね……はぁ」

 ストレイが項垂れる。弟が居るくらいで、何をそう意気消沈することがあるんだろうか?

 その答えは、弟が握っていた。

「兄さん、こんな時間まで何してたの。今日は新しい家庭教師さんが来るから早く帰って来る予定だろ」

「……それは、その……」

「兄さんの成績が悪いからこんなことになってるのに、どうして兄さん本人が遊び歩いてるのさ。しかも試験期間だって聞いてるけど。少しは責任感とか無いの?」

 弟に詰められている兄というだけで、それはそれは絵面が悪いのに、あろうことかここは校門である。玄関から出て来た生徒たちがチラチラこちらを見ていて、なかには同学年の生徒もいる。いたたまれない。

「なあ、えっと……弟くん、こいつだって遊び歩いてたわけじゃないって言うか。人助けしてたんだ」

 弟の目が、今度は亜門に向いた。彼とは、ストレイを介して何度か面識がある。礼儀正しくてしっかり者だが、今日は少し怒りの方が勝っているようだ。

「自分の将来も危うい人間が人助けなんて笑止千万ですよ。父さんがよく言ってます」

「お父さんか、いやまったく、俺もその通りだとは思うんだけども……」

「それに父さんだって勉強漬けにしたいわけじゃなくて、色々と方法を模索してるんです。塾は嫌だって兄さんが言うから、家庭教師にしたのに。さすがに一回目から遅刻なんて、先生にも失礼ですよ」

「いやほんと、すっごいその通りだ……」

 凄まじいまでに正論しか言っていない。これがもし「冤罪に掛けられた退学寸前の学生を救う」とかじゃなければ。

「亜門さんも、兄さんに付き合わされて辟易でしょう。難関大志望だって聞いてますよ」

「それは……」

「そうだったね」

 口を挟んだのはストレイだ。何かを考えている彼は、ピアノの低い音のように、静かにも重厚に言う。

「君を巻き込むべきじゃなかった。それに僕も、これ以上迷惑はかけられない」

「お前、だけど……」

「分かってる。途中で手を引くなんて、あの子が可哀想だ。だから、ここからは――」

「僕がやる、なんて言わないよな。お前、さっき自分が言ったこと忘れてるんじゃないか?」

「なんで……」

 ストレイは困惑していた。少し怯えてすらいるかもしれない。

 亜門が怒っているからだ。

「お前、さっき自分じゃここまで来れなかったとかできなかったとか言ってたよな。そのくせ俺を遠ざけて自分でやるのか? 馬鹿も大概にしろ」

 ストレイが何か言おうとするのを、亜門は手で制した。

「誰にでも、あるいは何にでも得意不得意がある。だから言っただろ。俺に案があるって――任せてくれよ」

 これが何かの分水嶺みたく、亜門は真剣だった。

 ややあって、ストレイは言う。

「分かったよ。君に任せる」

 笑みが零れた。亜門はただ笑う。

「ああ、楽しみにしててくれ。とびっきりスリリングで痛快な奴」


 亜門は別に、派手なショーなんか望んじゃいなかった。だが人生なんて、結局は思い出で出来ているのだと、彼は考え始めていた。

 だから、事件解決にあたって、亜門は関係者を集めた。もちろん、ちょっと危ない言い回しもして。そうじゃないと、誰もきっと来ない。腹に黒いものを抱えた者なんか特に。

 翌日のことだった。構想から着想までの最短経路を歩んだみたいで、我ながらほれぼれする。亜門はニヤつきそうな口角をずっと我慢していた。隣のストレイが、ツンツンと肘を突いて来る。

「ねえ亜門。これほんとに大丈夫? 君のことは信頼してるんだけど……」

「大丈夫だ。任せておけ」

 亜門はぐるりと修を見渡す。貸し切りにした音楽室は、天井が高い上に防音がしっかりしていて素晴らしい。推理ショーにはもってこいだ。少し高い段に立って関係者を見下ろすのも、気分がいいものである。

 関係者は、ストレイと亜門の二人を除いて、七名だ。一人が鷲島教員、五名が被害に遭ったテニス部員、そして最後の一人がもとまこの言っていた親友である。彼女の形容通り、長い黒髪を胸元まで伸ばし、静かに佇む様は優等生だ。だが滲む不安を隠しきれていない。

 それでいい、と亜門は内心でほくそ笑む。それでいい。

 時刻は放課後の五時だ。会議があるから三〇分以内に終わらせろと鷲島にはせっつかれている。だが三〇分も要らない。そう答えておいた。

「さて、お忙しい中お集まりの皆さん。ご足労いただき感謝いたします。長い時間は取らせません。これから、体育祭で起きた盗難事件の真相を明らかにします。この俺と――」

 亜門はストレイをすっと指し示した。ストレイが慌てふためく間も無く、亜門は彼の肩に腕を回す。

「この彼が」

「えっと、どうも……よろしく、お願いします」

 覚束ないストレイを見て、さすがに事前に説明しておくべきだったかと苦笑する。

 だって二人は、運命共同体なのだから。

 ともあれ、ようやっと始まった。

「さて、結論から言いましょう。俺たちはこう考えています。『今回の盗難事件は、最初から仕組まれていたことであり、その首謀者は……そこに居る女子テニス部の皆さんと、そして鷲島先生である』と」

 ざわめきだした女子テニス部員と、驚愕に固まる鷲島教員を、亜門は悠然と眺めた。

「何を言っているのか分からないが……犯人はもう決まっているだろう」

「それが冤罪だと言っているんです。簡単な話ですよ。証言者が全員嘘を吐いているとすれば、無実の犯人をでっちあげることも可能であると」

「公務員である私が、まさか盗みに加担したと?」

「はい」

「何をバカバカしい。そんな道理が通るわけ無いだろう。第一、なんのメリットも……」

 鷲島教員の言うことは尤もだ。教師は確かにブラックだと散々揶揄されるが、給料は悪くないと聞く。それにキャリアだってあるだろう。鷲島教員は体育教師の他に生徒指導部も兼任するなど、貫禄で言えば学校随一だ。

 だが、だからこその話なのだ。

「メリットならあります。過去の盗難事件をチャラに出来るというメリットが」

「なっ……過去の、だと」

「はい」

 動揺する鷲島を余所に、今度は女子テニス部員の方を見る。見るからに陽キャみたいな彼女らは、酷く陰湿なことで周囲からは知られていた。

「ところで、君らから持ち掛けたんだろう。君らはとあるネタを用いて、鷲島先生を脅した。そして施錠してあった準備室の鍵を開けさせたんだ」

 女子というのは男子と比較してグループで活動することが多いらしいが、女子テニス部は特にそうである。いい意味でも悪い意味でも団結力の強い彼女らは部活動アカウントを作ってSNSに写真をアップするなどしていた。その中で一人、一際背が高く、存在感を放っている生徒がいた。韓国アイドルみたくスタイルのいい学生だ。県大会に出場するなど、競技成績もよいらしい。その彼女が、挑むように前に出る。

「何を言っているのか全然分かんないんですけど」

「分かっているはずだ」

「いや分かんねえし」

「なら、順番に説明しよう」

 亜門は壇上をゆっくりと歩く。ただちょっとパフォーマンスをしたいだけだが、相手に心理的ストレスを与えるなら必要なことだ。

「君らは例の犯人とされている女子学生・辻本真と仲が悪い。これは裏付けが取れているから否定しなくていい」

「裏付けって、どうせ真が言ったんでしょ」

「それ以外にもだ。例えばSNSの投稿とか。ストーリー投稿で残らないようにしても、ああいうのって意外とスクショしてる人が居るものなんだ。そうでなくても、君らは意外と嫌われてる。自覚したほうがいい」

 亜門はスマートフォンを取り出すと、一枚の画像を表示させた。それをストレイに手渡し、テニス部に見せるよう促す。ストレイは困惑気味ながら、すばやく指示に従ってくれる。

 まず前に出ていた女子の顔が歪んだ。確か彼女の裏垢の投稿だったから、尚更効いたんだろう。

「それは今年の四月の投稿で、君の自撮りだけど、内容は真さんを示唆するものだよね。『レズ自称してるくせに男呼び寄せてんのマジきもい』って、隅っこに小さく書いてあるけど……君ら、同じクラスだもんな」

「……いや、こんなの別に……」

「辻本真は結構、顔は可愛い方だもんな。僻みか?」

「はあ⁈ 誰があいつなんか……!」

「まあそこらへんの女子同士の陣取り合戦なんか、俺はどうでもいいんだが」

 言いながら、亜門はストレイを手招きする。戻って来たストレイは、亜門にスマホを返して、横にまた並んだ。自慢だが、ストレイも亜門も身長が高い方なので、並ぶと結構映えるものなのだ。

「俺が言うのもなんだが、何でも一番じゃなきゃ気が済まないって奴は居るもんだ。君は特にそうだな。負けず嫌いは時に、周囲を巻き込んで事件を起こす――辻本真の噂、鷲島先生のスキャンダル――君はある時思いついたんだ。自らを被害者にして、辻本真を加害者に仕立て上げることを」

 抗議するように口を開いた彼女を無視して、亜門はまた鷲島教員に体を向けた。あれから顔色が悪くなっている鷲島教員は、いかつい顔をなんとも言えず中途半端に歪めている。

「ところで過去の盗難事件なんですが、俺の調べたところでは全て、鷲島先生が我が校に来てからの事件みたいです。もちろんその全てが鷲島先生のせいだなんて言いませんが、先生の監督不行き届きには呆れますね。どうしてそんなことになっているんでしょう?」

「どうしてと言われても、そんなの結果論だ。ここ数年で治安が悪化しているということだろう。だから私が、日々生徒指導の立場から教育している」

「生徒指導の立場から教育ですか……そう言えば辻本真とも、結構関わりがありますよね」

「それは彼女が校則を破るからだ。髪は染めるわ、目に何かしてくるわ」

 目に何かすると言うのはアイプチのことだろう。「実は一重なんだよね、うち」と昨日ストレイに暴露していた。

「それは確かに辻本真さんが悪いことかもしれませんが……だからと言って、教育は過ぎれば体罰になります。昔ながらの教師である先生には、ここ数年の変化にはついて行けないのかもしれませんけど」

「体罰? 私が?」

「はい。知っている人は知ってますよ」

 そもそも辻本真におつかいを頼んだのは、そこにいる元親友だが、どうして彼女が鷲島教員を怖いと言ったのか……それは彼が体育教師だから、というだけではない。

 それは鷲島教員に関する黒い噂だった。廊下中に響き渡る声で怒鳴るのは序の口で、反省文を何十枚にもわたって書かせるのはもちろん、用具室に鍵をかけて閉じ込めた話も聞く。顧問をしている野球部では竹刀を持って指導することもあると聞いた。時代錯誤も甚だしい話ばかりだ。

「そんなのは、学生が勝手に言っていることだ」

「まあはい。ですが、その学生が、ここ数年はそう言うのに対して敏感になってますから。それを利用して悪巧みする連中も含めて」

 チラリとテニス部の面々を見る。青白い顔の生徒もいれば不満そうに眉を顰めている生徒もいるみたいだ。

「あの準備室ですが、鍵の管理者が鷲島先生とあって、時々先生が使っていたそうですね。それ以外には一部の部活動も。テニス部もそうですけど」

 亜門はストレイの言葉を思い出していた。それぞれはただの星だ。しかしそれが繋がって星座を作り出すことはある。もちろん星座を見つけたのはストレイだが――。

「先生は、体罰現場をテニス部員に見つかって、しかも証拠となる動画を撮られたんですよね? だから言うことを聞いて、事件に加担したんですよ」

「……なるほど」

 鷲島教員は静かにそう言った。だがその目が、何かを諦めないかのようにギラギラと光っている。

「だがそれだとおかしくないか。盗難事件自体はもっと前から起きている。今回に限った話ではなく、何年も前から。そこの女子生徒たちが入学してくる前からだ」

 言われると思っていた。亜門は静かに切り返す。

「はい。だから、その証拠動画……写真かもしれませんが……それは、もっと前に撮られたものなんです。過去のテニス部員たちによって。テニス部の伝統みたいなものなんですよ。こいつら代々性格悪いんで」

 性格が悪い奴が女子テニス部に入るのか、あるいは、女子テニス部に入ると性格の悪い奴に染まるのか、どちらかは分からない。だがもとまこが「女子テニの奴ら」と嫌そうに言っていたように、敬遠する人が多いのが彼女らだ。彼女らはカーストトップだと自称しているようだが。

「そして最後に」

 そう、最後に、亜門はずっと放っておいた人物を見た。

 もとまこが仲良くしていた元・親友の女子だ。元よりあまり外出していないだろう肌は、生白くも、額から汗を掻いている。

「君はそこの連中からもとまこを呼び出すよう言われた。そして指示に従った」

「……知らなかったんです」

 か細い声だった。ここまで散々放置してストレスをかけておいてアレだが、憐れんでしまいそうになる。

「だが察しはついてたんじゃないか?」

 何しろ、彼女と女子テニス部の間には直接的な関わりは無い。着替えを取ってくるなんて頼みを、どうして体育祭の時にされるのだろう? というか着替えを取って来るって何だよ。おかしいと思ったはずだ。

 彼女は俯き、黙っていた。何も言えないのは理解できるけれど、彼女の罪は、もっと他にある。

「それから君、あれから、もとまこのこと無視してたんだって、聞いてるぞ。まあそいつら怖いし分かるけど」

「……分かるなら」

「だが信頼ってのは、一度損ねると戻らないもんなんだぜ」

 全てが過去になったような物言いのもとまこを思い出すと、それだけはどうしても言いたかった。

 ふとストレイを見ると、彼は冷めた目で彼女を見ていた。目が合うと、こちらに対して軽く肩をすくめる。それが何を意味しているのか、亜門には図りかねた。

「……ええと、これで以上になります。何か皆さんからご意見とかあります?」

 若干、ダレてしまったが、亜門は尋ねる。

 手が上がったのは女子テニス部の方だった。どうぞと発言を促す。何を言うのかは察しが付くけれども。

「や、結局証拠とかなくね?」

「そう言うと思ってました……だけど、そこに考えが行くならもう少し考えたほうがいいんじゃないか?」

「……何を」

「俺がどうやってここまで調べ上げたかを。人の口に戸は立てられない」

 相手にも思い至ったようだ。戸が立たない口の持ち主筆頭なのだから、そりゃあそうだろう。

「……脅してんの? 証拠も無く?」

「俺は確信してる。それに俺は信頼の厚い人間だから。伊達に優秀じゃないんだな、俺」

 友人からはもちろん、教師陣からだって一目置かれている人間を舐めないでほしいものだ。普段真面目かつ勤勉な人間の訴えと、昔から評判の悪い人間と、どちらの言い分が信じられるだろうか?

 こうして、亜門の予測通りに事は終わる。

 だが、その亜門にも分かっていなかったことがあった。


 廊下に出た時だった。

 制服姿のもとまこが立っていた。笑っている。

「あ、お前……」

「お疲れっすパイセン。ここで聞いてました。あんま聞こえなかったっすけど」

「音楽室舐めるなよ」

「さーせん」

 謝罪の気もサラサラ無さそうに、もとまこはぺろっと舌を出した。制服は着崩している。さすがだ。

 そして唐突に、彼女はこう言った。

「うち、転校するっす」

「……え」

「やー、これだけ色々起きといていらんないっしょ、ここ。無理だって」

「いや、だけどお前、せっかく俺たち……」

「まあいいじゃないか」

 ストレイが口を挟んで亜門をいなす。その視線の先に、誰かが立っている。

「お、はるちゃん。おひさ」

「お、おひさ、もと――」

 亜門の目には、もとまこはいつも通りに映った。

 だが彼女は笑いながら口を開く。

「んじゃあね。そう言うことだから……もう会わないよ」

 それっきり、吹っ切れたように踵を返した。振り返ることも無く、短いスカートは軽やかにステップを刻んで行った。


 まず最初にしたことは、鷲島教員の在校年数の確認だった。九年だ。それから女子テニス部の動向のチェック。亜門もストレイも運動部ではないことから、二人はあまり女子テニス部には関わりが無かった。かろうじてクラスメイトの一人が元女子テニス部で話を聞けたくらいだ。後は部活動のSNSチェック。人々の噂とか愚痴みたいなものは大概、こういったところに転がっているのが現代である。何十人と辿って行けば、いつかは正解の一端くらいは触れられる。亜門はそういう地道なのが、これ以上ないほど得意なのだ。

 そして最後に、過去の盗難事件について調べた。学校というのは治外法権みたいなものだから、これは結構難航を極めた。教師に聞くわけにもいかない。だが色々な人にコンタクトを取るうちに、五年前に卒業したOBに繋がった。彼とDMでやり取りとしていた時、ようやく核心となる過去の盗難事件と、その噂について触れることが出来た。

「……やっぱり、すごいね、君は」

 感慨深そうに、ストレイは呟く。そこにストレイ自身は、やはり含まれていなさそうだった。

「……お前は、本当に」

「僕には出来ないことだった」

「まあそうだろうな。お前には出来ないことではあったろう。だから俺がやった」

「その通りだ」

「だけどお前が始めたことだろ」

 そもそも、こうして傍証集めに奔走できたのも、ストレイがおおまかなストーリーを組み立てて話してくれたからだった。スタートもゴールも見定めてくれたから。

「……ふふ」

 ストレイが微かに笑う。花が散るような音に、亜門は一瞬、途方に暮れそうになった。

「分かってるよ。君の言いたいことは、ずっと……分かってる」

 ストレイが小さく顔を上げた。何故だか、雲の晴れ間のようだ。

「思い出したよ。僕は……君が思っているより、傲慢な人間だってことを」

「……急に何を言ってるんだ?」

 ストレイの脈絡のなさには慣れていたつもりだった。それでも、時折こうして置いてけぼりにされる。だって、亜門の思うストレイから最も遠い位置にある言葉だ、それは。

「物理的距離と心理的距離の話をしたでしょ。それに僕は、君が望んでいることを多分、知ってる」

 喉が急に詰まる感じがした。そのくせ、言葉が出て行く。

「知ってるなら、なんで」

「出来ないことは出来ない。僕はそんなに頭良くないし」

「……お前、たまに冷たいよな」

「ごめん」

 出来ないなんて言葉は、せめてもう少し努力した姿を見せてから言って欲しいものだ。

 それとも、彼はもう既にそうだったんだろうか?

「僕たちは遠くないうちに、遠く離れる。そうじゃなくても、ずっと一緒に居るなんてことはなかなか難しいものだよね」

「……そうだな」

 それしか言えない自分が悔しい。ゴミみたいな奴らを問い詰める時にはよく回っていた口が、今は乾いている。

「そんな顔しないでよ。漢詩の時代じゃないんだからさ」

「漢詩?」

「黄鶴楼の詩が幾つかあるでしょ。今よりずっと昔は、一度別れると、再会なんてほとんど不可能だった。世界は広く、人は矮小で儚い。悲しいね」

「悲しい、な」

「さよならだけが人生だって日本語訳もあったな。あれ、それ黄鶴楼のやつだっけ」

 違ったかも、とストレイが恥ずかしそうに笑った。確か合っていた気がする。友を想って酒を飲む詩とかで。まだ高校生の二人は、酒の味なんて知らないが。

「まあいいや……僕はただこう言いたい、君に――」

 ストレイがまた、妙に凪いだ目をしていた。

 まともに目が合うと、湖の底に沈んでしまいそうなほどに。

「遠く離れても、僕らは通じ合ってる」

 沈黙が聞こえた。

 ややあって、亜門は返す。

「……なんだそれ」

「今はグローバルの時代でしょ? 会おうと思えば会える」

「そうだけど……」

 漢詩の時代ではないのだから、今生の別れにはならないと言いたいみたいだった。

「僕は傲慢なんだよ。だって僕は……遠く離れても、君が僕を忘れたりしないって分かってるんだ」

「は――」

「それに僕も、君の望む僕であり続けるよ。君の信頼を損ねたりしないから」

 たとえコインの裏表じゃなくても、とストレイはつまらなそうに続ける。

 それから、その淡々とした顔さえ変わらずに言った。

「僕たちだけは特別だ」

「……はっ」

 思わず、笑いがこみ上げてきた。さすがに少し、ドラマチックが過ぎる。

「お前、それなんて言うか知ってるか? 自分だけは大丈夫だって心理」

「知ってるよ。正常性バイアスでしょ」

「ああ」

「当然だよ。僕が教えたんだもん」

「そうかよ」

果たしてそうだっただろうか。確かに、そんな気がする。

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