noteを1年間続けて見えてきたもの
私は、とある地方の公立小学校教員です。
昨年の10月8日にnoteでの投稿を始めてから1年が経ちました。
とはいえ、毎日投稿を続けたわけでも毎週投稿を続けたわけでもなく、ただただ記事を93個書いてきたというだけです。
(週の連続は狙っていたのに、どこかで途切れてしまっていました・・・)
さて、そのような私ですが、まずは1年間アウトプットを続けてきたことで感じたことを記事にしてみたいと思います。
記事のネタ探し
私は記事を書くにあたって、いわゆるストックがありません。
基本的に週末に記事を書くことが多いので、平日に書くネタの候補を探してスマホにメモをしています。
最初の頃は書きたいことが色々とあったので、ネタに困ることはありませんでしたが、次第に尽きてきました。
今年度は特に担任を持っているわけでもないので、なかなか実践のアップデートが難しく、ICTや考え方のアウトプットが多くなってきました。
なかなか働き方の面からのアプローチや子育てに関する記事が書けていないのは反省です。
しかしネタが尽きることなく書くことができているのは、日頃からアウトプット前提でインプットすることを心がけたからだと思います。
インプットとアウトプットは両輪だと改めて感じました。
自分の実践に似た実践を見て比較ができる
普段からnoteをアウトプットの場にしている教員の方と私はそもそもの属性が似ているのでしょう。
多くの私がやりたい実践や少し手をつけた実践がごろごろ転がっています。
それらを比較しながら自校に置き換えることで、多くの学びが得られます。
自分の感覚の鈍さ(?)がよくわかる
ある程度noteの投稿が軌道に乗り始めてから、感じていることなのですが・・・
ビュー数とスキの数が自分の感覚となかなか合いません。
自分の中で渾身の記事だと思っていても、ビュー数スキの数ともに伸びなかったり、ビュー数はいくのにスキの数が増えない・・・などが多くありました。
もちろん予想外の伸びを見せた記事もありますし、想定通りだった記事もあります。
どちらにせよ、多くの方に見て頂いて時にはフィードバックまで頂けることもあって、大きなモチベーションになっています。
失ったはずの「欲」が再び生まれてきた
私は、昨年の家族旅行の帰りに妻とこんな話をしました。
「もう、なんか自分の人生は終わった感じやね」
「?」
「何かもう自分の成し遂げたいことってだいたい終わって、後は『学校が』とか『子どもが』とか『息子が』○○になって欲しいみたいな感じが多くなってきた」
「?」
「もう自分を主語にすることがなくなって、人が主役の人生になった感じ・・・」
というよく分からない会話をしました。
分かってはもらえませんでしたが、要は自分の番は終わって、これからは次世代のために生きていこうという前向きな話です。
しかし、ちょうどそのころからnoteを書き始めたのですが、「自分の記事を読んでもらいたい」という自分を主語にした欲が再び生まれてきました。
また、最近では自分の勤務校はもちろん、自治体レベルで変えられることはないかと動き回っています。
自分の力でできることを最大化しようとかなりのエネルギーを持って働いています。
息子が小学校に入学するまであと3年と半年。
少しでも学校を取り巻く環境がよくなるように、今は頑張りどころかなと思って少しがむしゃらに頑張っています。
そういった欲というか「熱」を思い出させてくれたnoteには感謝しかありません。
今後も無理はせず、「微熱」状態で頑張って記事を書いていこうと思いますので、どうぞ引き続きよろしくお願いします。
